これはその第1作目にあたり、島根県出身の錦織良成監督にとっても「島根三部作」の最後を飾る作品となりました。主として松江から出雲大社の間を走るローカル鉄道である一畑電車(通称バタデン)が全面的に協力して、四季折々の美しい風景を織り込みながら良質なヒューマンドラマに仕上がっています。
東京の大手企業の経営企画室長を務める49歳の筒井肇(中井貴一)は、会社命の生活で家族との関係もギクシャクしていました。そんな折、島根で一人暮らしをしている母親の絹代(奈良岡朋子)が倒れてしまいます。さらに同期入社の親友が事故で急死の知らせを聞き、肇は今の自分の生き方に疑問をもち、こどもの頃は家のすぐ近くを走るバタデンの運転手になることが夢だったことを思い出すのです。
肇は夢を叶えられる最初で最後のチャンスなのかもしれないと思い、会社を退職し一畑電車の運転手に応募するのです。妻の由紀子(高島礼子)は、ハーブティーの店を始めて、軌道に乗りかけていました。由紀子は自分はこのまま東京に残るけど、あなたは自分では気がつかないところで息切れしていたからと応援してくれました。
就活中の娘の倖(本仮屋ユイカ)は、休みのたびに島根を訪れ祖母を見舞います。話をしていても時計ばかり見ている父親をうっとうしく思っていましたが、変わっていく父親を見て少しずつ会話が増えていきました。
肇と同期で研修を受けた宮田(三浦貴大)は、高校球児でプロ入り目前でしたが肘の故障で夢を断たれしかたがなく運転手に応募したのです。事情を知ると、肇は自分が何故この年になって運転手を目指したのかを話をして、元気づけるのでした。
運転手の仕事に慣れてきた頃、宮田が運転席に座らせてあげたことがある小学生が、肇と宮田がちょっと目を離したすきに電車を動かしてしまいました。あわてて肇がブレーキを掛けたので、大事には至りませんでしたが、責任を取って肇は退職願いを提出するのでした。
ふだん仕事を理由にして、いろいろなことから意識的に、あるいは無意識に逃げている自分というのは少なからず誰にでも当てはまることかもしれません。そして、そのことによって何か大事なものを失っていくことに気がつくことはめったにないように思います。
この主人公はそこに気がついた。とんでもなくドラマチックなことが起こるわけではありませんが、より豊かな生き方を見つけることができて、それを実践できたのはとても幸せな事だと思います。こういうまじめ一筋のサラリーマンは中井貴一は適任で、このキャスティングだけでもう映画は完成したようなもの・・・というのはさすがに言いすぎかもしれません。
それにしても、こどもが運転してしまうという重大な不祥事を起こし社長が記者会見で謝罪するという場面があるにもかかわらず、実名で登場する一畑電車には頭が下がります。実在する電車が登場するからフィクションでもリアリティが増してくるわけで、会社の英断には拍手を送りたいと思います。