青天の霹靂(せいてんのへきれき)・・・とは、随分と難しいタイトルですが、米の銘柄ではなく、故事による「晴れ渡った空に突然起こる雷」という意味で、一般には思っても見なかった事件、突然の衝撃といった意味で用いられています。ピン芸人の劇団ひとりが書いた小説が原作で、劇団ひとりが自ら監督・脚本を務めています。
場末のマジックバーで店員をしている轟晴夫(大泉洋)は、手品の腕は悪くないのに口下手のために、後輩がテレビに出てちやほやされているのを苦い思いで見ているしかありませんでした。晴夫はラブホテルの清掃員だった父親の正太郎の手によって育てられ、母親は晴夫を生むと子供を置いて出て行ってしまったということで、ろくな生活をしてこなかったのです。その父親とも、高校を卒業してから一度も顔を合わせていません。
ある日、警察から河原でのたれ死にしていたホームレスが、晴夫の父親、轟正太郎であることが分かったので遺体を引き取りに来てほしいと連絡を受けます。お骨を持って河原に立ち寄った晴夫は、突然の雷に打たれ気を失ってしまうのでした。
気がつくとそこは何と昭和48年、自分が生まれる1年前の東京でした。困っていると通りかかった手品好きの少年に連れられて、演芸場である雷門ホールに案内され、晴夫は支配人(風間杜夫)に手品を見せます。スプーン曲げに興味を持った支配人は、相方が姿を消してしまった悦子(柴咲コウ)に助手をさせて晴夫を舞台に出させるのです。
これが好評で軌道にのったかに見えましたが、悦子が妊娠していることがわかり、父親は姿を消していた相方、手品師の轟正太郎(劇団ひとり)であることが判明します。支配人は、戻ってきた正太郎と晴夫を組ませて、喧嘩しながら手品を見せるようにしたところ、これも人気になりました。
正太郎と晴夫はテレビのオーディション番組に応募して勝ち進みますが、悦子が倒れてしまいます。医者から胎盤早期剥離で、母子ともに危険な状態と聞かされた正太郎はテレビの決勝を辞退してしまいます。悦子が分娩室に入っていったとき、晴夫は一人で決勝の舞台に立ち、一世一代のマジックショーを始めるのでした。
まずキャスティングが絶妙です。バラエティでおおはしゃぎするイメージが強い大泉洋ですが、映画となると実に人間臭い演技がうまい。ここでも、将来に希望が持てない売れない手品師、そしてその根っこにある母親に捨てられたという生きる意義を見出せない男を見事に演じています。気丈な芸人の妻を演じる柴咲コウも、この役にぴったりです。
劇団ひとりはフィクションとして小説を書いているわけですが、実際に昭和の時代までは浅草あたりの場末には売れることを夢見る芸人が山ほどいて、ヒントになるような夫婦が実在していたのかもしれません。劇団ひとりが実際に体験してきたはずはありませんが、そのようにがむしゃらに生きていた人々に対するリスペクトみたいなものが感じられます。
過去にタイムスリップして、自分の出生の謎を解き明かすというファンタジーですが、いろいろな形の家族、親子の関係の一つとして救いを見つけることができるストーリーは素晴らしい。映画監督としての劇団ひとりの評価は可も無し不可も無しというところかもしれませんが、俳優たちに恵まれて合格点の監督デヴューと言えそうです。