ボブ・ディランの人物史は、The Band抜きで語ることはできません。メンバーはディランから多大な影響を受けたと同時に、ディランも彼らとの共演はホームのような居心地の良さを感じていたのではないでしょうか。
50年代末にアメリカの歌手のロニー・ホーキンスは自分のバンド、The Hawks (ホークス)を率いてカナダに渡りましたが、ドラムのレヴォン・ヘルム以外が脱退してしまったため、現地でギターのロビー・ロバートソン、ベースのリック・ダンコ、ピアノのリチャード・マニュエル、オルガンのガース・ハドソンを採用しました。
1964年からレヴォン&ザ・ホークスとして単独で活動を始めますが、1965年の夏、ロバートソンは偶然にディランが「Like a Rolling Stone」のレコーディング中だったスタジオを見学します。これがきっかけで、秋のライブでロバートソンとヘルムがディランのバックにつくことになりました。しかし、電気楽器を取り入れてロック化したディランの演奏は、純粋なフォーク音楽信奉者から不評を買いました。ライブではブーイングの嵐だったので、耐えきれなかったヘルムは故郷に帰ってしまい、メキシコ湾の石油採掘のしごとに就いたりして放浪するのでした。
残ったロバートソンは他のホークスのメンバーと供にディランのレコーディングに参加した後、1966年春のディランのヨーロッパ・ツアーに同行しました。アメリカに戻った後、ディランの「Blonde on Blonde」のレコーディングに参加したもの、アルバム発売直後にディランが交通事故により休養を余儀なくされます。
怪我がおちついたディランは、静養先のウッドストックにメンバーを誘いました。1967年は毎日のようにビッグ・ピンクと呼んだ家で、戻って来たヘルムも含めて私的な「地下室」セッションを続けました。ここから多くのことを学んだメンバーは、1968年に「The Band」と改名し「Music from Big Pink」でメジャー・デヴューを飾ります。
アメリカのルーツ音楽の一つであるカントリー音楽をベースにした、いわゆるルーツ・ロックの先駆けとして彼らのアルバムは絶大な支持を得ました。ヒッピー文化から派生し勢いをつけていたサイケデリック音楽に対抗し、より影響力のあるロック・バンドとして成長していくことになります。
1973年には、再びディランと組んで「Planet Waves」で共演し、そのままの勢いで1974年1月~2月のディランのアメリカツアーを対等な立場で回りました。1966年のツアーとは違い、今回は激しい非難を受けることなく、各地で大歓声で迎えられたのですが、グループ内ではロバートソンの発言力が強まり、リーダーのヘルムとの間の関係がしだいに悪化していたのです。
それでも、彼らはマリブに自分たち専用スタジオ「シャングリラ」を完成させますが、ツアーに疲れたロバートソンとライブをメインに考えるヘルムの確執は広がるばかりで、ついに1976年11月25日のコンサートをもって、バンドを解散することになってしまいます。
この時のライブが「Last Waltz」で、マーティン・スコセッシ監督により映画としても映像が公開されています。ライブにはエリック・クラプトン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、マディ・ウォーターズなどの豪華なゲストが登場しましたが、ここでもゲストに誰を呼ぶかでメンバー内では大きな揉め事になっています。
それでも、最後に登場したボブ・ディランとの共演は、全員が一丸となった見事な演奏を聞かせてくれました。このライブは、当初2枚組レコードとして発売されましたが、その後完全版として4枚組CDも登場しています。
その後、ロバートソン抜きで再結成され活動を再開しますが、往年の人気は戻ることはありませんでした。1986年にマニュエルが自殺、1999年にダンコが病死し、事実上活動を停止しました。ヘルムは2012年、ロバートソンは2023年、そしてハドソンも2025年にそれぞれ亡くなっていて、生存するメンバーはいなくなっています。
