キリスト教からすると、今日は三位一体節後第3主日ですが、なんちゃって仏教徒の自分にとっては7月の最初の日曜日でしかないわけです。
そういってしまうと話が終わってしまいますが、バッハの教会カンタータを教会暦に合わせて聴いてみようなどという、もともと声楽音痴の自分にとって無謀な計画を遂行中ですから、しっかり「今日は何の日」か確認しないと。
三位一体節後にキリスト誕生まで続く、この長い期間は、そういう自分にはいろいろと下調べをするにはちょうどいい期間です。そこで、ネット上でとても参考になるいくつかのサイトをまとめておきます。
バッハのカンタータを聴く
日本語で様々な説明が読めるのサイトとしては、最も素晴らしいのがここ。教会暦を意識して聴くとき、本当に助かります。
Bach Cantata Website
英語だったら、内容の充実度では天下無敵。
川口バッハハウス
カンタータに限定したものではありませんが、バッハを広く知るための充実した案内が豊富です。
Kenichi Yamagishi's Web Site
バッハだけでなく、クラシック全般の名曲・名盤の紹介をしています。宗教曲、古楽のジャンルが充実していて、とても参考になります。
教会暦について
教会暦の説明は、直接教会のHPなどだとけっこうわかりにくい。ここだと、バッハを意識した説明があり、理解しやすく助かります。
Cantata Finder
これは我らがガーディナー先生の運営するSDGレーベルのサイトの一部で、お目当てがどのCDに入っているかすぐに探す事ができますし、今聴くべきカンタータをいつも表示しているので助かります。
La VOCE ORFICA
日本の声楽アンサンブルのHPですが、豆知識として宗教曲を聴く上で知っておくべき楽典的なキーワードの解説があります。
探せば、役に立つサイトは山ほど見つかるのですが、とりあえず上にあげたものだけおさえておけば、自分の場合たいていのことは困りません。
もちろん以前に紹介した本はもっとも重要な情報を与えてくれるわけで、普段はネットで、時間があるときはゆったりと読書で勉強するという感じでしょうか。
さて、今日のためにバッハが用意したカンタータは2曲あります。
BWV 21 わがうちに憂いは満ちぬ(1713)
BWV 135 ああ主よ、哀れなる罪人なるわれを(1724)
BWV21はワイマール時代のもので、40分かかる大作。シンフォニアから始まり、2つのコラールを含む4つの合唱が含まれます。前半の憂いと後半の憂いが晴れた曲調の明暗の違いが、バッハの構成力を感じさせます。
それに比べるとBWV135は15分かからない短めの、2つのコラールのアリアとレチタティーボをはさんだ普通の構成。地味といえば地味。実はバッハ自身が、出張でいなかったらしく、この曲の演奏当日はライブチィヒにはいなかったらしい。
2014年7月6日日曜日
2014年7月5日土曜日
2014年7月4日金曜日
HUMACHINE
7/5と7/6に準々決勝、7/9と7/10に準決勝、そして7/14のファイナルまで、どうなることやら。自分の希望的予想としては、とりあえずはブラジル、ドイツ、オランダ、アルゼンチンかと。
さて、先日つらつらと考えていたら脳がハードディスクなんてことを書いてしまいましたが、さらによく考えてみると、当然それは脳の皮質と読んでいる表面部分のこと。
脳の奥は脳幹部と呼ばれ、ここがいろいろな判断をして体を動かす指令をだしている。ということは、まさにCPUそのもの。つまり、脳幹部がCPUで脳皮質がROMというのが正しいかもとれません。
心臓は電源部で、血液と言う「電流」を体中に送ることでエネルギーを供給している。入力装置は、感覚器と呼ばれる、目・耳・鼻・皮膚などからくる五感です。出力先は、言葉を発する口と体を動かす筋肉というところでしょうか。
電流を維持するためにヒトは、強力な自家発電装置を備えているわけですが、それが酸素を取り込む肺と栄養素を吸収するための腸。胃や膵臓などは、それをサポートするところ。体中のエネルギーの使いかすを処理するのは、肝臓と腎臓。
そんなことを考え出すと、ヒトというのは、というより生物というのはよく出来ています。一つ一つが個別の判断をして、独自に稼動できる機械なんてものは、まだ人間は作り出せていません。
そこでヒトを機械に例えて呼ぶなら、HUMAN + MACHINE = HUMACHINE。おお、なかなか面白い事を考え付いた・・・と思ったら、ネットで探すと、すでにいろいろなところで使われていました。
ただヒトという「装置」は、エコかというとそうでもない。リサイクルは腎臓で水分を中心に再吸収しますが、体全体では出て行くほうが多い。基本的には、エネルギーを消費する一方です。
限りある資源を大切に、という標語がありますが、まずはヒトそのものがエゴを抑えてエコを目指す事も大事なのかもしれません。
2014年7月3日木曜日
Michael Jackson / Xscape (2014)
もともと生前に発売された最後のオリジナルのスタジオアルバムである''Invincible''の未発表音源だそうで、このアルバムのためにかなり使われなかった大量の音源が残されているらしい。
それらの中から、今の時代に耐えるものを厳選して、新たなアレンジを加えたりして完成したのだそうで、基本的には「新曲」なんだそうな。
先頃、亡くなってから稼いだ額の番付みたいなものがニュースになっていましたが、マイケルはダントツの1位。遺族にも、気が遠くなる収入をいまだにもたらしいるらしいです。
それにしても、このアルバム、実質的には8曲で、40分に満たない収録時間。まぁ、演奏部分を引き伸ばせば、いくらでも時間は稼げるでしょうが、マイケルのボーカル・トラックに絞ったと言えば聞こえはいい。
未発表音源というと、ファンは飛びつきたくなるものです。でも、未発表ということは、「お蔵入り」という言葉がありますが、発表するほどではないとか、発表する価値がないと、マイケルをはじめもともとのスタッフが判断したもの。
あくまでも、未発表音源集としてそのままでマニア向けに発売するならまだいいのですが、今の時代の「新譜」として出すことには、その努力は否定しませんがどうもぴんと来ないところです。
たまたまスマホを新しくしたら、無料でダウンロードというオマケがあったので聴くことができたんですが、わざわざ購入はしないなぁと思いながら、やはり時代は終わっていたことを確認したわけです。
2014年7月2日水曜日
マリアのエリザベト訪問の祝日
イエスの母のマリアが、エリザベトさんのもとを訪問して、3ヶ月間滞在したという話があります。
マリアとエリザベトは従姉妹同士で、それだけだと単に親戚の家に遊びに行ったというだけのことなんですが、キリスト教ではわざわざ祝日としてお祝いしている。それが今日ということなんですが・・・
マリアは3月に受胎告知を受けたのですが、と同時にエリザベトの妊娠、それもすでに6ヶ月であることも知らされていたんだそうです。エリザベトは長年こどもに恵まれなかったので、マリアは神の偉大さをあらためて感じ、さっそくお祝いに出かけていったわけです。
エリザベトの身ごもったのが、実は洗礼者ヨハネであり、先週お祝いした偉人なのでした。ですから、ヨハネはイエスよりは6ヶ月年上ということになるわけです。

さて、バッハが残したこの日のカンタータは2つあります。ガーディナー先生のカンタータ巡礼では、収録が分かれています。
BWV 147 心と口と行いと生きざまもて(1723)
BWV 10 わがこころは主をあがめ(1724)
受胎告知の祝日で紹介したマニフィカトも、もとをただせば、今日の日にマリアが神を称えた歌です。
ここで、バッハのぼうだいなカンタータの中で、おそらく最も有名なメロディがBWV147に登場します。クラシックを聴かない人でも、まず知らない事はないという有名なコラール「主よ、人の望みの喜びよ」です。
3連符が続くこのメロディは、いろいろな形で今でもあちこちで使われており、バッハのみならずクラシック史上ベスト5くらいに入るくらいの認知度ではないでしょうか。
全体には受胎・懐妊を喜ぶ明るい曲調の中に、神を称える厳粛な雰囲気も併せ持つ感じ。合唱から始まり、レチタティーボ、アリア、レチタティーボ、有名なコラールでいったん〆。後半はアリアから始まり、レチタティーボ、アリアときて、最後にまた有名なコラールを繰り返すいうやや変則的な構成です。
何にしても、2回出てくる有名すぎるコラールがすべてかもしれません。なんと言っても、イエス(この時点ではまだ生まれていない)に対する愛おしさをストレートに歌う内容で、本当に気持ちも落着きます。
マリアとエリザベトは従姉妹同士で、それだけだと単に親戚の家に遊びに行ったというだけのことなんですが、キリスト教ではわざわざ祝日としてお祝いしている。それが今日ということなんですが・・・
マリアは3月に受胎告知を受けたのですが、と同時にエリザベトの妊娠、それもすでに6ヶ月であることも知らされていたんだそうです。エリザベトは長年こどもに恵まれなかったので、マリアは神の偉大さをあらためて感じ、さっそくお祝いに出かけていったわけです。
エリザベトの身ごもったのが、実は洗礼者ヨハネであり、先週お祝いした偉人なのでした。ですから、ヨハネはイエスよりは6ヶ月年上ということになるわけです。
BWV 147 心と口と行いと生きざまもて(1723)
BWV 10 わがこころは主をあがめ(1724)
受胎告知の祝日で紹介したマニフィカトも、もとをただせば、今日の日にマリアが神を称えた歌です。
ここで、バッハのぼうだいなカンタータの中で、おそらく最も有名なメロディがBWV147に登場します。クラシックを聴かない人でも、まず知らない事はないという有名なコラール「主よ、人の望みの喜びよ」です。
3連符が続くこのメロディは、いろいろな形で今でもあちこちで使われており、バッハのみならずクラシック史上ベスト5くらいに入るくらいの認知度ではないでしょうか。
全体には受胎・懐妊を喜ぶ明るい曲調の中に、神を称える厳粛な雰囲気も併せ持つ感じ。合唱から始まり、レチタティーボ、アリア、レチタティーボ、有名なコラールでいったん〆。後半はアリアから始まり、レチタティーボ、アリアときて、最後にまた有名なコラールを繰り返すいうやや変則的な構成です。
何にしても、2回出てくる有名すぎるコラールがすべてかもしれません。なんと言っても、イエス(この時点ではまだ生まれていない)に対する愛おしさをストレートに歌う内容で、本当に気持ちも落着きます。
2014年7月1日火曜日
脳とハードディスク
2014年も半分終わって、今日から7月、下半期に入ります。どうして、年を取ると月日のたつのが早いんでしょうかね。
あっという間に時間が過ぎ去っていくので、残りの人生でできる事がどんどん少なくなっていくような・・・というか、若い時ほどやる事が多くて時間が必要ということなのか。
ことわざとして有名な少年易老學難成(少年老いやすく学なり難し)は、若いと時間があると思って先延ばしにしやすいが、すぐに年を取って何も学べないよという意味で使います。
この場合は、実際に時間があるのか無いのか、どっちなんでしょう。現実の時間軸で考えると、老若男女、誰も平等に時間が流れているはずです。
ニノマエみたいな特別なSPECでも無い限り、あるい009のような加速装置でも埋め込んでいない限り、こればかりは変えようがない。
もしかしたら、こういう話の場合の「時間」というのは脳のキャパシティに関係するかも、なんて思いついたりしました。
若いうちは脳をはじめとして、肉体は元気で、脳はいくらでも記憶をする領域があります。ところが、成長段階が終わると、それは10代後半のことですが、あとは老化しかありません。
脳も毎日たくさんの神経細胞がダメになっていくわけです。古くなったハードディスクみたいなもので、記録していたファイルがしだいにエラーになりだし、使える領域が減っていきます。
そのうち古いファイルや、使う頻度の少ないファイルから消去していかないと、新しい事を記録できなくなります。いわゆる、デフラグもしないといけない。
実際の脳には、断片化した記憶を統合する便利なスイッチなんてありませんから、バラバラの記憶を整理するには、ばっさりと忘れて新たにまとめて勉強するしかないのかもしれません。
ことわざの今風の意味は、新しいハードディスクはまっさらな記録領域がたくさんありますが、どんどん壊れて領域が減っていくので、記録できるファイルの数はだんだん減っていきますよ、ということかもしれません。
自分の脳も、エラーが頻発しているんでしょうから、必死に毎日修復しているんでしょうね。できるだけ、多くの記憶を出し入れしていると、書き換え頻度が高くなりエラーの原因になるかもしれません。
でも、使わない記憶は完全に消去していくので、結局消耗品だと割り切って使わにゃ損損。古い記憶の修復に忙しいので、新しいことを覚える余裕が無いのかもしれませんね。
あっという間に時間が過ぎ去っていくので、残りの人生でできる事がどんどん少なくなっていくような・・・というか、若い時ほどやる事が多くて時間が必要ということなのか。
ことわざとして有名な少年易老學難成(少年老いやすく学なり難し)は、若いと時間があると思って先延ばしにしやすいが、すぐに年を取って何も学べないよという意味で使います。
この場合は、実際に時間があるのか無いのか、どっちなんでしょう。現実の時間軸で考えると、老若男女、誰も平等に時間が流れているはずです。
ニノマエみたいな特別なSPECでも無い限り、あるい009のような加速装置でも埋め込んでいない限り、こればかりは変えようがない。
もしかしたら、こういう話の場合の「時間」というのは脳のキャパシティに関係するかも、なんて思いついたりしました。
若いうちは脳をはじめとして、肉体は元気で、脳はいくらでも記憶をする領域があります。ところが、成長段階が終わると、それは10代後半のことですが、あとは老化しかありません。
脳も毎日たくさんの神経細胞がダメになっていくわけです。古くなったハードディスクみたいなもので、記録していたファイルがしだいにエラーになりだし、使える領域が減っていきます。
そのうち古いファイルや、使う頻度の少ないファイルから消去していかないと、新しい事を記録できなくなります。いわゆる、デフラグもしないといけない。
実際の脳には、断片化した記憶を統合する便利なスイッチなんてありませんから、バラバラの記憶を整理するには、ばっさりと忘れて新たにまとめて勉強するしかないのかもしれません。
ことわざの今風の意味は、新しいハードディスクはまっさらな記録領域がたくさんありますが、どんどん壊れて領域が減っていくので、記録できるファイルの数はだんだん減っていきますよ、ということかもしれません。
自分の脳も、エラーが頻発しているんでしょうから、必死に毎日修復しているんでしょうね。できるだけ、多くの記憶を出し入れしていると、書き換え頻度が高くなりエラーの原因になるかもしれません。
でも、使わない記憶は完全に消去していくので、結局消耗品だと割り切って使わにゃ損損。古い記憶の修復に忙しいので、新しいことを覚える余裕が無いのかもしれませんね。
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