2025年11月14日金曜日

さかなのこ (2022)

 


宮澤正之による自叙伝「さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜」が原作。宮澤正之というと「 誰??」となるんですが、「さかなクン」と言えば知らない人はいない。

さかなクン、本名宮澤正之は、いつでもハコフグの帽子をかぶりハイテンションで魚に関する様々な解説をすることで人気者になりました。一方で、その魚類に関する博学ぶりは専門家をも凌駕する場合があり、内閣総理大臣賞(2012年)を受賞し、現在は東京海洋大学の客員教授を務めるほどになりました。

監督・脚本は沖田修一。さかなクンは男性ですが、監督は中性的な魅力も感じる女優ののん(能年玲奈)を起用し、ミー坊と呼ばれた少年が「さかなクン」になるまでを沖田流のフィクションの味付けを加えて描いています。

小学生のミー坊(西村瑞季)は、魚が大好き過ぎてクラスの中でも浮いていました。それでも、
クラスメートのヒヨ(中須翔真)、モモコ(増田光桜)とは仲良しでした。母親のミチコ(井川遥)は、そんなミー坊を否定することなく、応援するのでした。

ある日、ミー坊はギョギョおじさん(さかなクン)と出会います。魚に詳しいギョギョおじさんは、ミー坊にいろいろな魚の話をしてくれたのですが、夢中にになって夜遅くなってしまい警察がやってきて、ギョギョおじさんは連行されてしまうのです。去り際にギョギョおじさんは、かぶっていたハコフグの帽子をミー坊に渡すのでした。

高校生になったミー坊(のん)は、学校で飼育するカブトガニの孵化に成功して新聞に紹介されました。原付暴走族の総長(磯村勇斗)との仲良くなり、対抗するグループの籾山(岡山天音)とも親しくなりました。しかし、ミー坊の学校の成績はいまいちでした。それでも三者面談で、母親は成績が悪くてもかまわないと言うのです。

水族館に就職したミー坊は、魚への愛ばかりで仕事はからっきし。寿司屋に転職したものの、魚好きのミー坊にはどうも向いていない。高級歯科医院からアクアリウムの設計を頼まれても、マニアック過ぎる魚ばかりをチョイスして失敗します。

熱帯魚店でやっとやっと落ち着いたミー坊の元に、モモコ(夏帆)が子連れで転がり込んできました。しかしモモコを同居させるには部屋に置いていたたくさんの水槽が邪魔だったので、ミー坊は水槽を整理するのです。それを知ったモモコは黙って出ていきました。

ミー坊の魚の絵が上手なことを知っていた総長は、寿司店を開こうとしていた籾山のもとに連れていき、ミー坊に店の外壁・内壁にたくさんの魚を絵を描かせます。これが評判になり、ミー坊の元には魚のイラストの仕事が舞い込むようになりました。それを知ったテレビ局で働くヒヨは、ミー坊をテレビで紹介することにしました。緊張するミー坊は、ギョギョおじさんから受け継いだハコフグ帽をかぶり、ついに「さかなクン」になったのでした。

さかなクンにまつわる本当の話も混ざっていますが、大部分はフィクション。それでも、実にうまく話が作られていて、さかなクンならこうやって誕生したのかもしれないと思わせてくれます。この辺りは脚本の妙味というところなんで、映画としては良く出来ているところです。

ただし、沖田監督作品としては・・・ちょっと原作に振り回された感じで、ある意味「普通」の映画です。原作がフィクションではなく、かつ原作者が存命中ということで、皆が知っているさかなクンのキャラクターに寄せ過ぎた感は否めません。その結果、沖田カラーは彩度を失ってしまったのかもしれません。

事務所移籍トラブルから露出が激減したのん(能年玲奈)にとっては、この年は自ら監督も行った「Ribbon」に続いての女優としての実力を再確認させることにつながっています。男性とも女性とも、あるいはトランスジェンダーでもない何にも染まらない存在感を、見事に演じています。

2025年11月13日木曜日

子供はわかってあげない (2021)

沖田修一の監督作品としては、劇場用第9作目になり、当然脚本も自ら担当しています。予定では2020年公開予定でしたが、コロナ渦の影響で1年遅れになっています。本来は、「おらおらでひとりいぐも」で老人、本作で若者を扱い、ほぼ同時公開を考えていたようです。とはいえ、両作品にはそれほど共通点はありません。

原作は田島列島で、沖田作品としては初めてマンガ作品が取り上げられました。冒頭、「魔法左官少女バッファローKOTEKO」というオリジナル・アニメが登場して、「あれ? 見るものを間違えた」と思ってしまうかもしれません。

高校2年生で、水泳とアニメ一筋の生活を送る朔田美波(上白石萌歌)は4人家族。父の清(古舘寛治)とはアニメ趣味も同じで仲が良く、母の由起(斉藤由貴)も明るく理解があります。大好きなアニメが同じだったことから、美波は同級生の門司昭平(細田佳央太)と仲良くなります。

美波は、偶然に昭平の家にあったお札が、高校生になった時差出人不明で自分宛てに送られてきたものと同じであることに気がつきました。書道家である昭平の父が書いたもので、新興宗教の「光の函」のお札であることを知った美波は、昭平の兄で探偵っぽいことをしている明大(千葉雄大)を紹介してもらいます。

実は母は子連れの再婚で、美波は本当の父親との記憶はありませんでした。お札は父親から送られてきたものかもしれないと考えていた美波は、「藁谷」という苗字だけを頼りに父親の捜索を頼むのでした。明大は教団の線から教祖である藁谷友充(豊川悦司)を割り出し、今は教祖を辞めて海辺の町で整骨院の手伝いをしていることを調べ上げます。

美波は水泳部の夏合宿の期間に、両親には黙って友充を訪ねることにしました。整骨院は友充の実家で、美波が会いに来たことを歓迎します。二人は湿っぽい話はせず、美波は友充が可哀そうだからと夏合宿への合流を先延ばしにして留まることにしました。

友充は自分には自然に人の心を読む能力が身についていたので教祖に祭り上げられたが、それを教えても誰もできなかったため教壇を抜けたと語ります。さらに友充は、姪の小学生の仁子が泳げないので水泳を教えてあげるよう美波に頼みました。仁子は少しずつ泳ぎが上達しているうちに、夏合宿期間が終わろうとしていました。美波がまったく合宿に現れないことを知った昭平は、何かトラブルになっているのではないかと心配し、美波の行き先に急ぐのでした。

昭平は自宅で小学生相手の書道教室で先生をしていて、それを見た美波は感心するのですが、昭平は「教えられたものを教えるのは簡単だよ」と返していました。美波は水泳を人に教えたことはなかったのですが、仁子に教えることを頼まれたときにその言葉を思い返します。

一方、友充の「特殊能力」は、誰かに教えてもらったものではないので、美波が教えてもらってもまったくどうにもならないのです。この映画のポイントはそこのところで、人は様々な事柄を教えてもらい成長し、そしてそれをまた誰かに教えていくことで継承されていくのだということ。

現代っ子なのか、記憶にない父親と再会しての、美波の反応はドライな印象を受けます。今になってヒントになるお札を送ってきた理由は尋ねますが、何故母と離婚したのか尋ねないし、10年以上の空白があるにしては打ち解けすぎじゃないかと感じました。もっとも、そこを突っ込んでいくとお涙頂戴的な悲壮感とかも出てきてしまい、沖田カラーとは異質の展開に行ってしまいそうです。

むしろ、過去は横に置いて、前向きに父親との時間を取り戻すことに集中したということ。同時に、こどもは急速に距離を縮めることができるのに対して、大人はこどもの好きなものをそろえたりしてそれなりに四苦八苦している。「親の心子知らず」的なところが、タイトルの由来なのかもしれません。

今回も、基本ほのぼのとした「ハート・ウォーミング」なストーリーを目指しているので、いつものカットを減らして長回しでゆったりとした間を活かした「らしさ」は十二分に堪能できます。そういう意味では一つのシーンが長いので、俳優陣は大変だったろうと思いますが、若手陣はなかなか頑張ったと言えそうです。

2025年11月12日水曜日

おらおらでひとりいぐも (2020)

若竹佐知子の63歳でのデヴュー小説を原作として、沖田修一が監督・脚本した作品。

日高桃子(田中裕子)は75歳、数年前に夫に先立たれ、一男一女を授かりましたがそれぞれ独立して、今では一人住まいの身の上です。趣味と言えば、図書館で借りてくる本を参考にして書きためた「地球46億年の記憶ノート」を作ることくらい。

桃子の目の前には、桃子の心を代弁するさびしさ1(濱田岳)、さびしさ2(青木崇高)、さびしさ3(宮藤官九郎)がしょっちゅう現れます。朝になると、どうせ(六角精児)が「どうせ起きても昨日と同じでやることはないよ」囁いている。確かに、起きても図書館と病院に通うだけの生活なのです。

桃子は岩手県の出身で、東京オリンピックの年に、親が決めた縁談が嫌で「新しい女」になると東京に飛び出してきたのです。若かった桃子(蒼井優)は、住み込みの食堂の客だった同郷の周造(東出昌大)と知り合い結婚したのです。幸せな結婚生活でしたが、古い習慣に縛られ新しい女のイメージとはほど遠い生活でした。

昔の自分を思い出し、様々な妄想を繰り返しているうちに、むしろ自分が一番輝いているのは周造が死んでからの勝手気ままな生活をしている今なのかもしれないと思うようになります。そして。「おらおらでひとりいぐも」と言うと、今を受け入れるようになるのでした。

タイトルは東北弁で、「私は私で、一人で行きます」という意味。宮沢賢治の「永訣の朝」の中の死の床にいる最愛の妹に対する決別の言葉です。ここでは亡くなった夫に向けた桃子の気持ちの整理を意味しているようです。

原作にならって、現実では標準語、妄想の中では東北弁が使われていて、一部東北弁については聞き取りにくいところがあります。東京に出てきて標準語で通してきたはずの桃子でしたが、やはり標準語を使う自分に後ろめたさを感じていたわけで、出自を完全に捨て去ることはできないということ(46億年前の地球に重なります)。

主たるテーマは「老いと孤独」ということだと思うのですが、沖田作品の特徴である無理しないユーモアのおかげで悲壮感はありません。むしろ、若かったころの桃子の「この幸せが終わることはないと思っていた」という言葉に、「周造が死んだことで、独りで生きてみたいと思っていたことが叶った」と今の桃子が返答するのは、ある意味真実なのかなと思ってしまいました。

田中裕子はこの映画の時は65歳くらいですが、シーンによって孤独な老女とお茶目な少女の両方を演じ分けていてさすがです。もともと地味な印象がある沖田作品のなかでは、群を抜いて地味な感じですが、沖田監督らしさを随所に感じられるほのぼのとした仕上がりになっています。

2025年11月11日火曜日

モリのいる場所 (2018)

沖田修一の監督・脚本による7作目の劇場用長編映画。

沖田修一は2006年の「このすばらしきせかい」以来、一貫して脚本も自ら書き起こす映画監督で、21世紀の邦画界では常に注目すべき映画作家の一人だと思います。常に日常的な何気ない風景の中から、大声で笑うわけではなく、心が嬉しくなるような「コメディ」を構築しています。

昭和49年、東京都豊島区の一角にある古い平屋に、94歳の画家の熊谷守一(山崎努)は妻の秀子(樹木希林)、姪の美恵(池谷のぶえ)と暮らしていました。守一は、毎日、身支度を整えると、秀子に「行ってきます」と挨拶をして出かけていくのです。途中、見慣れない小石に「どっから飛んできた?」と問いかけ、蟻の行列をじっと見つめ、生繫った植物や小動物を観察するのです。

これはすべて守一の家の30坪足らずの庭での出来事。守一は、この地に家を構えて30年間も外出せずに暮らしていたのです。ごくたまに家の敷地の外に出ても、ちょっと歩いただけで誰かと出会うと逃げ帰ってきます。守一が毎日出かけていくのは、庭のはじにある池。少しずつ自分で掘った深い穴の底にある水溜りのような池ですが、メダカが泳いでいるのです。

親しい人からはモリと呼ばれていた熊谷守一は、1880年生まれでシンプルな構図の中に大胆な色彩で(自宅の庭にある)自然物を描き続けた画家です。二度の褒章の機会を「人がもっと来たら困る」という理由で辞退し、60歳頃からは家から出ることなく、1977年に97歳で亡くなっています。絵画に興味が無くても、誰もがモリの作品をどこかで見たことがあることでしょう。

モリは二科会の早くからの会員であり、二科展へは毎回のように出品を続けていました。昭和天皇が二科展を訪れた際に、モリの作品を見て「これはどこのこどもが描いたものか」と尋ねたという有名なエピソードがあり、この映画もその場面から始まります。しかし、後に昭和天皇はモリの作品が大好きになられたらしい。

この映画は、そんなモリのある一日を描きます。モリの日常を撮影しているカメラマンの藤田武(加瀬亮)が、今日は新米の鹿島(吉村界人)を連れて訪れます。信州から看板を書いてもらいたくてやってきた朝比奈(光石研)は、旅館名ではなく「無一物」と書かれて困惑して帰っていきます。宮内省の役人(嶋田久作)は、電話で褒章の内示を伝えるものの断られて呆然とするのです。近所の人々(黒田大輔、きたろう)も特に用がないのに集まってくるのでした。

モリの家のすぐ横にマンション建築が始まり、現場監督(吹越満)と作業員の岩谷(青木崇高)がやってきて、美術大学生らが反対運動をしているのを何とかしてほしいと言ってきます。岩谷はモリが著名な画家であることを知っていたので、自分の息子の描いた絵を見せるのです。モリは「下手だ。でも下手はいい。上手は先が見えちまう」と評するのでした。

モリはマンションが建つと、日当たりは池のところだけになってしまうので、岩谷に池の穴を埋め戻すことを頼み、夜には建築作業員をにすき焼きを振舞うのでした。宴会の中、モリは庭に見たような人がいることに気がつきます。その人は変わった姿をしていて、「池が宇宙につながりました。一緒に行きましょう」とモリに言うのです。しかし、モリは「行かない。この庭でも私には広すぎる。行くと母ちゃんが疲れちゃうのが、一番困る」と言うのです。

池は無くなり、マンションも建ちましが、モリの暮らしは相変わらずでした。また訪れた藤田はマンションの屋上に上がってみます。見下ろすと、とても狭いけど大きなモリの宇宙が広がっていました。

人にはそれぞれ自分の世界があって、それは安心できる小宇宙ということ。そして、モリのいる場所はそんな庭の世界・・・であると同時に「秀子のいる世界」が大事だということ。沖田監督はモリの「奇妙」な生活に興味を持ち、ストーリーの大多数はフィクションであろうと思いますが、カメラマンの藤田のモデルである「獨楽- 熊谷守一の世界」を出版した藤森武氏にも取材されたのかもしれません。

主演の山崎努と樹木希林は、50年来の知り合いですがこの映画が初共演。樹木希林はこの映画を気に入っていて、「喋りやすい、喋過ぎない脚本で、無駄がない」と語っていたそうです。山崎努は「キツツキと雨」で大御所俳優として出演していましたが、その中で新人監督の小栗旬に「またやろう」というシーンがありました。沖田監督はそれを実現したかったのかもしれません。

2025年11月10日月曜日

海老クリーム・パスタ


有頭海老を見つけたらパエリア・・・じゃなくて、海老クリームのパスタがおすすめです。

殻付きのまま有頭海老を、ちよと多めのオリーブオイルで炒めましょう。両面をしっかり焼いたら、トングなどでギュっと押しつぶして、味噌を絞り出します。そしたら、一度フライパンから取り出しておきます。海老のエキスがたっぷり出た海老オイルになります。

フライパンにみじん切りにしたタマネギ、2人前で1/2個分を入れて炒めます。ちょっとだけニンニク入れるとさらに美味しい。

この辺りでパスタを茹ではじめましょう。通常1%の塩を入れますが、この塩で全体の味が決まります。確実に塩茹してください。それと茹で時間は、指定された時間より2分ほど短くします。

さて、フライパンに戻りましょう。トマト缶1/3(130ml程度)、生クリーム100mlを追加します。キノコとか入れたかったら、このタイミングでお願いします。

パスタが茹で上がったら、フライパンに移しましょう。少し水を加えたほうがやりやすいです。フライパンの中で数分間パスタを煮て、味を吸わせてパスタを完成させます。

あ~至福の美味しさ。申し訳ありませんが、そこらの店よりうまいぞ~

2025年11月9日日曜日

野球場の話


今はサッカー人気が高いので、こどもたちの夢はJリーガーなりたいというのがダントツで多い。昭和のこどもは、特に自分に関しては当然のように野球少年であり、将来野球選手という夢をもつこどもがほとんどでした。

それというのも、王・長嶋全盛期、読売ジャイアンツが連続V9を達成していた頃ですから、娯楽も今ほど多くなかったので、こどもだけでなく大人も野球が大好き。

東京にいるとジャイアンツの試合は全試合テレビ・ラジオ中継がありましたから、ジャイアンツの選手の名前は憶えても、他のチームの選手はわからない。必然的に、ジャイアンツのファンとアンチ・ジャイアンツに二分されるということになります。

後楽園球場のチケットを入手するのは大変だったらしく、ほとんど観戦に行ったことはありません。ただし、神宮球場は当日券でも楽勝に入場できたので、生の野球観戦といえば、ほぼサンケイ・アトムズ対読売ジャイアンツに限られるということになります。

サンケイ・アトムズはもともとは国鉄スワローズだったわけで、後に巨人に移籍した大投手の金田正一がいたチーム。東京オリンピックのあとに産経グループに売却されましたが、大坂万博の頃にはヤクルト・アトムズに変わっています。1974年にヤクルト・スワローズとなり、2006年から現行の東京ヤクルト・スワローズを名乗っています。

自分が知っている頃のスワローズ(あるいはアトムズ)は、リーグで最弱と言ってもかまわないくらい弱いチームで、神宮球場の外野は閑古鳥なんてものじゃない。その頃は外野スタンドは芝生だったので、好きな場所でゴロっと横になって見物できたし、あきると友人とキャッチボールもできました。

現在、横浜DeNAベイスターズと名乗っているのは、自分がこども時は大洋ホエールズでした。当時は川崎球場がホームでしたが、1978年に横浜に移転し横浜大洋ホエールズとなり、1993年から横浜ベイスターズ、2012年にDeNAが球団名に加わりました。

川崎球場は一度だけ、ホエールズ対ジャイアンツの試合を見に行ったことがある。たぶんJR川崎駅から徒歩で行ったのだと思いますが、何か場末の繁華街みたいなところを通り抜けるので、こども心にはずいぶんと怖い場所にあるという記憶だけが残っています。

セントラル・リーグには、他に甲子園球場の阪神タイガース、広島球場の広島東洋カープ、名古屋球場の中日ドラゴンズがありますが、いずれも球団名はほぼ変更されていません。ただ、地方で野球観戦というのはしたことがありません。

ただ唯一、1974年、確か京都への修学旅行の帰りに、新幹線の中から名古屋球場の灯りを一瞬見ました。実はその日は、ペナントレースの最終戦で、ドラゴンズ対ジャイアンツの試合が行われている時だったのです。ジャイアンツはこの試合に敗北してV10を逃し、鉄人・川上哲治監督は勇退したわけです。

2025年11月8日土曜日

久しぶりにカルボナーラ


パスタのメニューの中で、カルボナーラはトップクラスの人気を誇ります。

もちろん自分も嫌いではないのですが、かなりカロリーが高めになってしまうので、やや避け気味になっいます。でも、うまく出来た時の満足感はけっこうあるので、たまに作りたくなります。

ポイントの一つは、味の決め手の塩は、パスタを茹でる時にしか使わない。そして用意したソースを絡める時の過熱の仕方だと思います。

通常パスタを茹でる場合には、1%の塩を入れます。つまり1Lの水に対して塩は10g。これだけでは味が薄いのでないかと心配しそうですが、ベーコン(またはパンチェッタ)も使うので、そこから出る塩味があるのでまったく心配はありません。

二人前くらいで、まずみじん切りのタマネギ中1/2個を炒めます。これは焦げない程度。そして好きなだけベーコンを入れて火を通します。既定の時間より1~2分早めに茹で上げたパスタをフライパンに投入したら、少しだけ茹でるのに使った湯を入れてパスタに味を吸わせていきます。

さてソースは先に用意しておくのですが、使うのは生クリーム200ml、生卵の黄身1個分、パルメザンチーズ(いわゆる粉チーズ)適量、そして粗挽き黒コショウです。

チーズをたくさん入れたくなりますが、入れすぎるとソースが重くなりますので注意が必要。このあたりのバランスには個人の好みもあるので、何度か自分で試してみるしかないかもしれません。

パスタがほどほどに煮汁を吸ったら、あとはソースを混ぜるだけなんですが、火をつけたままだと卵黄がかたまり過ぎて失敗します。ゆっくりじっくり、そして冷めないように火を入れるのが大事。

プロは湯煎をしたりしますが、家庭ではなかなか大変。そこで、超弱火にしてソースをフライパンに投入する方式がおすすめです。ゆっくり混ぜながら1~2分程度加熱すると、いい感じに仕上がります。

皿に盛ったら、黒コショウ追加、パセリを散らせば完成。何度が作って、ほぼパーフェクトと威張れる自己満足満点のカルボナーラが出来上がりました。

2025年11月7日金曜日

モヒカン故郷に帰る (2016)

1951年、日本初のカラー映画として公開されたのが木下惠介監督、高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」でした。東京のストリッパーが錦を飾るつもりで故郷に帰って騒動になるというストーリーですが、タイトルからしてモヒカンはカルメンに対するオマージュであることは間違いない。

監督・脚本は沖田修二で、広島県呉市の瀬戸内海の小島で撮影されました。島の美しい風景と暮らす人々の素朴な心情をはさみながら、しばらくぶりに故郷に帰って来た長男と父親の関係をユーモラスに描くハートフル・コメディです。

東京でデスメタルバンドのボーカルをしていてモヒカン頭がトレードマークの田村永吉(松田龍平)は、妊娠した婚約者の会沢由佳(前田敦子)を紹介するために、故郷の瀬戸内海の戸鼻島に帰ってきました。

永吉の父親である田村治(柄本明)は、若い頃から矢沢永吉の大ファンで、ずっと面倒を見ている中学の10人しかいない吹奏楽部には矢沢の「アイ・ラブ・ユー、OK」を演奏させていました。母親の春子(もたいまさこ)は広島カープの大ファンで、弟の浩二(千葉雄大)も定職についていませんでした。

モヒカン頭は気に入らないものの、治はとりあえず長男の結婚祝いの宴会を開きます。しかし、その夜治は倒れ、肺がんの末期であることが判明するのでした。永吉は家業の酒屋を手伝い、由佳も島に馴染みましたが、治も春子も二人に東京に帰るように勧めるのでした。一度は連絡船に乗って島を離れたものの、二人は宮島観光をしただけで戻ってきます。

治の病状は悪化していましたが、痛いのは嫌だからと大きな病院に行くことはしません。永吉は、治の思い出のピザを取り寄せたり、吹奏楽部の連中にノリノリの矢沢永吉を演奏させたり、矢沢の扮装で治のベッドの横に立ち治を喜ばせたりします。そして、治の最後の願いで永吉と由佳は結婚式をあげ、その晴れ姿を見せることにするのでした。

父親が死の病に侵され、しばらく父との対話か無かった息子が父を助けるために奔走するみたいなベタな展開はありません。登場する人々は、良いことも悪いこともそのまま受け入れて、特に頑張るわけでもなく、それでもやさしく見守るのです。

モヒカン頭で変わり果てた息子はともかく、初対面の息子の彼女(少なくとも両家の子女ではない)に対してすら、そのまま受け入れることができるのはなかなかできるものではありません。でも、それがまったく普通のことに思えるのは作品の持つおおらかな雰囲気の賜物と言えそうです。

沖田監督作品としては、ストーリーがわかりやすく作られているように思いますが、死に向き合いつつも、日常的な自然に発生するユーモアをうまく挟み込んでいるところは、この監督らしさだと思います。同じキャストで、続編なんかも見たいものだと思いました。

2025年11月6日木曜日

滝を見にいく (2014)

沖田修一は、2006年に映画監督デヴューしましたが、2009年の長編2作目「南極料理人」で一躍知られるようになりました。一貫して、脚本も手掛けており、原作有る無しに関わらず、映像作家として独自の世界を構築してきました。

ほのぼのとした雰囲気の中で、自然に笑いがこみ上げてくるような癒し系のような作品が多いのですが、この作品は特にその傾向が強い。

ストーリーはいたって簡単です。紅葉の山の中で滝を見学するツアーに参加した7人のおばちゃんが、素人ガイド(黒田大輔)のせいで迷子になり、なんとなく協力して一晩野宿し、本来の目的だった滝を見ることができた・・・という感じです。

おばちゃんたちは、ほとんど知らない女優さんばかりですし、実際素人も混ざっているらしい。知られた人がでてこないので、なおさらただのおばちゃんに見えるというのがポイントです。

それぞれが、一般に「おばちゃん」と呼ばれる人の特徴を備えていて、最初のうちはお互いにその「おばちゃん」らしさが鼻につく。ところが、遭難したとなると反目している場合じゃないことが少しずつわかってきて、それぞれの持ち味を生かした協力体制かできてきます。

それはもう「おばちゃん」というより、危機的状況を逆手にとって楽しむ少女のような感じになっていきます。何とか帰り道の目鼻がついたところで、まだ滝を見ていないことに気がついた7人は、とにかく滝だけは見て帰ろうと再び戻っていくのです。

かなりゆったりとした流れの映像で、劇中音楽もかなり控えめで、たまに聞こえるのはほとんどゆったりとしたクラシック音楽なので、緊張感はかなり少な目です。

そんなのんびりとした時間を過ごさせてくれる佳作として、休日の午後にゴロっとなってみるのに丁度良い作品です。

2025年11月5日水曜日

横道世之介 (2013)

この奇妙な名前がタイトルの映画は、「国宝」の映画化で話題の吉田修一による小説が原作。そして、監督・脚本は沖田修一です。1987年に長崎から上京して東京で大学生生活を送ることになった一人の若者を通して描かれる青春グラフィティです。

明るい性格でお人好し、そしてちょっと横着者である横道世之介(高良健吾)は、入学してすぐに倉持一平(池松壮亮)と阿久津唯(朝倉あき)とともだちになり、サンバ研究会に入会します。一緒に上京してメディア研に入った小沢(柄本佑)とのからみで知り合った年上の片瀬千春(伊藤歩)に、男との別れ話をするため弟のふりをするように頼まれ、千春に一目惚れしてしまいます。

世之介は教室で加藤雄介(綾野剛)と知り合い、加藤のアパートにはエアコンがあったので、夏の間いりびたりになります。加藤に気がある女子の誘いでダブルデートになった世之介は、一緒に現れた与謝野祥子(吉高由里子)と知り合いました。祥子は富豪の娘で、運転手付きの車の送迎がある箱入りのお嬢様でした。

世之介が夏休みに長崎に帰省すると、祥子も実家にやって来て父(きたろう)・母(余貴美子)と仲良くなってしまいます。夜に海岸でいいところまでいった二人でしたが、ちょうどそこへベトナム難民のボートピープルが上陸してきて、世間知らずの祥子は大きなショックを受けるのでした。

新学期になって、大学に戻ると倉持が退学していました。倉持は唯と付き合っていたのですが、唯が妊娠してしまったため結婚して就職することになったのです。世之介は、当面必要な金を倉持に貸すことにします。

きちんと付き合うことにした世之介と祥子は楽しくクリスマスを過ごし、正月にスキーで祥子が足を骨折したことで、より一層絆が深まることになりました。バレンタインデーに世之介のポストに間違ってチョコが入っていて、初めて隣人の室田(井浦新)と話をし、室田がカメラマンであることを知ります。室田はお礼にとカメラを貸してくれたことで、世之介は写真を撮ることに夢中になり将来の仕事にするのでした。

それぞれの登場人物が16年後の「今」に、ちょっとしたことから世之介を思い出す構成で、メインのストーリーはそれぞれの人物の回想という形を取っている。前半で回想されるのは、世之介との楽しい思い出ばかりで、世之介のお人好しを笑って楽しめるものばかりです。

しかし、ほぼ真ん中でラジオのパーソナリティになっていた16年後の千春の登場から、物語の雰囲気はガラリと違った印象に変わってしまうのです。千春は今日のニュースを読み上げ、そこからディレクターにテンションが下がったと指摘されるのです。そのニュースは、地下鉄のホームから落下した人を助けようとして世之介も亡くなったというものでした。

これは2001年に山手線新大久保駅で実際に起こった人身事故がモチーフになったことはあきらかです。泥酔してホームから落下した男性を助けようとした日本人カメラマンと韓国人留学生が亡くなられた事件で、当時大きな話題になりました。もちろん「日本人カメラマン=世之介」ではありませんが、原作者に大きなヒントを与えたことは間違いない。

そのことを知らされた視聴者は、同じように語られているはずの後半のストーリーはも前半と正反対の悲しい思い出になってしまうのです。先ほどまで笑えていたエピソードと同じような話が続くにもかかわらず、油断すると泣けてしまうこの構成はすごい。

特別に何かすごいことを成し遂げたわけではないにもかかわらず、世之介と知り合った人々は、より幸せな人生を送っている。皆を笑顔にできる世之介のような人物の存在は、誰もがともだちにすべきとても貴重な存在だといえそうです。

沖田組からは高良健吾、黒田大輔が再登場しています。カットを少な目にしてシーンの印象を強くしたり、派手な音楽を使わない沖田流の映像手法は完成したと言ってよさそうです。160分という長尺の映画ですが、もっと世之介を見ていたい気分にさせられました。

2025年11月4日火曜日

キツツキと雨 (2012)

沖田修二の監督・脚本による自身の長編映画第3作で、大御所俳優をキャスティングした見応えのある作品になっています。しかも、新人監督としては上映時間2時間の壁を突破した129分は立派なものです。

林業を営む岸克彦(役所広司)は、昔ながらの職人気質の頑固一徹な人物。2年前に妻に先立たれ、定職につかない25歳の息子・浩一(高良健吾)と二人暮らし。

村にゾンビ映画の撮影隊がやって来て、克彦は偶然に彼らの手伝いをする羽目になってしまいます。仕切っているのは助監督の鳥居(古舘寛治)で、一緒にいるのに何も動こうとしない若者に克彦は説教をしてしまいます。

その若者、田辺幸一(小栗旬)は、実は自分に自信が持てない25歳の若手監督で、この作品も自分の意見が言えずスタッフの言いなりになっていたのです。幸一は現場から逃げ出そうと、克彦に駅まで送ってもらいます。車の中で、克彦がしつこくあらすじを聞いてくるので台本を渡してしまいます。しかし、駆けつけてきた鳥居に捕まり、幸一は連れ戻されてしまいました。

克彦が家に戻ると、幸一が身支度をしていて、東京に行くと言い捨てて出ていってしまいます。幸一は、克彦の家に台本を返してもらいに行きますが、何となく克彦は幸一の立場が想像できるのでした。それから克彦の声掛けで村中からエキストラが集められ、少しずつ映画の体裁がまともになっていくのです。

幸一は克彦の応援してくれる声が頭の中に聞こえる気がして、少しずつ自信をつけていくのでした。

ゾンビ映画のキャストとして、山崎努、平田満、臼田あさ美、スタッフには嶋田久作、黒田大輔、克彦の仕事仲間に伊武雅刀、高橋努などが登場します。高良、嶋田、黒田などは沖田作品には何度も登場しています。

沖田監督の特徴として、とても静かな長い間合いがあります。今作でも、ぎりぎり長過ぎない間合いによって、説明セリフに頼らず人物の心情などをうまく表現しています。もちろん、そこは言葉に頼らない俳優の演技があってのこと。

撮影でも、カットは多用せず一つの画面に中に、会話をしている二人を同時に映しこむことで、流れを途切れさせない演出が目立ちます。音楽は控えめで、簡単音楽で盛り上げようとするような姑息な手段は使われません。このことで、むしろ映像の中に没入できる感覚になります。

当時30代半ばの沖田監督は、おそらく幸一に自分の分身を投影していたのかもしれません。そして、息子の浩一とうまく折り合えない克彦と、おそらく父親とうまくいっていない幸一の関係を重ねてくることで、父と息子という家族のつながりが描かれているのだと思います。

2025年11月3日月曜日

ちょっとだけエスパー (2025)


この秋のテレビドラマで注目していた作品の一つがこれ。

何しろ、大泉洋主演、ヒロインが久しぶりの連続ドラマ登場の宮﨑あおい。二人は2018年の「あにいもうと(TBS)」以来2度目の共演。そして、最も楽しみなのは脚本が野木亜紀子というところ。

野木さんのオリジナル脚本は、登場人物の作り込みがすごいのでドラマの奥行きがめちゃめちゃ深い。大泉洋出演作では、「ラッキーセブン(2012、フジTV)」、「アイアムアヒーロー(2016)」以来ということになります。

今作は、10月スタートのゴールデンタイムの新番組としては最も遅いスタートで、待ちに待った感じで否が応にも期待が高まりましたが、その期待をまったく裏切らない面白しさがすでにあふれている感じです。

平凡なサラリーマンだった文太(大泉洋)は、会社の金を横領して、仕事も家族もすべて失いネットカフェで細々と暮らすどん底の身。ある日、面接に行ったノナマーレという会社で、社長の兆(岡田将生)に謎のカプセルを渡され、それを飲めば採用と言われます。

そのカプセルは、世界を救うためにちょっとだけエスパー・・・超能力者になれるというもので、文太は社宅で四季(宮崎あおい)と夫婦として暮らすように言われます。文太はあくまでも世間を欺く仮の夫婦だと思いますが、何故か四季はまったく演技ではなく本当に文太を夫だと思っている様子。

文太の周りには、同じくノナマーレの社員である「ちょっとだけエスパー」な人々いる。桜介(ディーン・フジオカ)はどこでも花を咲かせる能力の持ち主で、円寂(高畑淳子)は念じるとちょっと温められる200w程度のレンチン能力があり、半蔵は動物と話ができてお願いを出来るというもの。そして、文太の能力は触れていると相手の心の声が聞こえるというものでした。

彼らに兆から送られてくるミッションは他愛のないものばかりで、これで世界を救えるのか疑問しかないものばかり。兆は世の中の出来事にはいろいろな選択肢があり、些細な事でもその結果は大きな変化につながることがあると文太に説明します。

ノナマーレの意味は、イタリア語で「Non Amare (人を愛してはいけない)」であり、文太にとっては仮の夫婦である四季への接し方が難しい。四季はノナマーレの社員ではなく、本当の夫が死んだことで心が壊れ、文太を本当の夫だと思い込んでいるのでした。

今のところ第2話まで放送されていますが、それぞれのちょっとだけの超能力がどのように使われていくのか気になりますし、一瞬登場して彼らがエスパーであることに気がつく大学生(北村匠海)もどのように絡んでくるのか注目です。

もちろん、仮の夫婦である文太と四季がどうなっていくのかも気がかりですが、何よりもノナマーレ、いや兆の真の目的が隠されているように思えるし、そもそも兆の正体も謎過ぎる。

まだ間に合いますから、これは是非みんなで見てもらいたい。社会派が続いた野木作品ですが、今回はちょっと肩の力を抜いて本人も楽しみながら話をつくっているのかもしれません。でも、第2話の衝撃のバッドエンドには、思わずびっくりして一筋縄ではいかない野木作品の闇も垣間見えました。

2025年11月2日日曜日

海鮮丼


海近の町でよくある名物が海鮮丼。

テレビでも、「こんなにすごい」丼があったと紹介されることがしばしば。圧倒的なボリュームで驚かしたり、めちゃめちゃ安くて嬉しくなったりと、いろいろです。

そんなのを見ていたら、むしょうに食べたくなってきた。ただし、出かける時間が無ければ、自分で作るしかない。

・・・というわけで、スーパーで安いお刺身を買い込んできました。

こういう時は、あまりお財布の中身を気にしてはいけないのですが、おいしそうな物はやはり値段が高い。自然と頭の中で計算して、手が出なくなります。

結局のところ、質より量、少しでも安いものをたくさん購入。二人分で4500円ほど。一食にかける金額としては、ふだんの3倍くらいでしょうか。

ブリ、めばちマグロ、イカ、ホタテ、赤海老、サーモン、一番単価が高いイクラ、いくらに隠れていますがタコを並べてみました。

御飯はタマノイのすしのこで味付けして寿司飯にしてあります。後はワサビ醤油を用意して食べるだけです。

まぁ、そこそこ満足が得られました。上を見たらきりがありませんが、家で楽しむなら簡単で十分すぎるということでしょうか。

2025年11月1日土曜日

マルタイ・ラーメン


インスタントラーメンは、1958年の日清のチキンラーメンが世界初と言われています。

ただし、自分が認識した最初はサンヨー食品の「サッポロ一番」とか明星食品の「チャルメラ」、そして日清食品の「出前一丁」です。これらは60年代半ばに登場した三大即席めんと呼んでも異論はないと思います。

ただし、これらはいずれも油揚げ縮れ麺で、お店で食べる麺とは「何か違う」という印象は拭えませんでした。

1959年に発売されたマルタイの「棒ラーメン」は、今でも販売が続く人気商品ですが、他のインスタントラーメンと違い熱風乾燥によるストレートの細麺が最も特徴的。

麺の味としては本物に近いのですが、それはそれで別物という感じ。でも、何か嫌いじゃない。

今はノンフライの、ほとんど生麵と変わらないものがたくさん出ていますが、だったら普通に生麺を買う方が安くて美味しいと思います。

あえて、インスタントラーメンを買うなら、むしろ棒ラーメンを選んでしまいます。時々食べたくなる味ということなんでしょうね。