年末年始休診のお知らせ

年内は12月28日(月)午前まで(午後は休診)です。 12月29日(火)~1月4日(月)は休診します。

2011年5月31日火曜日

親と子

5月晦日で、いつもながら、時の経つのは早いもの。毎日精一杯働いてますか~?
今年もいろいろありましけど、もうすぐクリスマス。そして除夜の鐘も、もうじきです。

って、そんなに先走って、どうすんだ。

まぁ、この調子では、本当に年末まで、あっと言う間のことだと思いますよ。次から次へといろいろなことがありますが、気がつくとどんどん過ぎ去っていくわけで、いつの間にか年だけを取っていくのでしょうか。

ときどき、自分の父親が、今の自分と同じ年の頃、何を考えていたのかと思うのですが、もちろん時代違うし、いろいろ立場も違うから本当のところはわかりません。

自分の父は、医者になって数年で、九州からまったく知り合いのいない東京に出てきて開業しました。自宅での開業で、ずーっと家にいる窮屈感からか、夜になると必ずと言っていいほど毎晩どこかにでかけていました。

その頃は、医者は社会的にもずいぶんと優遇されていて、当然自分の子供も医者にしたいと思ったことでしょう。ところが、息子には医者なんて嫌だといわれ続け、さぞかし面白くなかったのではないでしょうか。

高校の成績もたいしてよくもなく、ぎりぎりのところで医学部をめざすことになったものの、浪人生活を繰り返しても、何一つ文句を言いませんでした。実際、父親に怒鳴られたり、もちろん殴られたりもしたことが無いように思います。

じっと、耐えることばかりだったのかなぁ。息子が医者になると、たかが新米のくせに、偉そうに新しい知識でばかにするようなことを言われて・・・実際、いろいろ勉強していたはずなんですよね。

新しいことも、しっかり勉強していないと、この仕事は続けていられないことは、今の自分が嫌というほどわかっているのです。単に、息子が自分と同じフィールドに入ってきて、先輩としての余裕で受け流していたのかもしれません。

できることならば、こどもは親を乗り越えることが目標。今だったら、父親ともゆっくりと酒を飲みながら、いろいろなことを話すことができると思うのですが、とっくに父は亡くなっています。

自分は、まだまだ父親を超えてはいないと思いますし、死なれてしまうともう超えることはできないという気持ちがどこかにあるものです。自分のこどもたちにも、いつかは親を超える、それがどんなことでもいいのですけど、そういう気持ちを持ってもらえるようにと思います。

2011年5月30日月曜日

MRI

MRI検査というのは、ずいぶんと普通の検査になったものです。MRIというのは、Magnetic Resonance Imagingの略。そのまま直訳すると、磁気共鳴画像ということなんですが、もともとはNMRと言っていて、頭にNuclear、つまり「核」という言葉がついていたんです。

正確には核磁気共鳴と言って、時期の影響で分子の核が励起状態となり、戻るときの放出エネルギーに外から別の周波数の磁場をかけて共鳴状態をつくり・・・

う~ん、正直に言ってその原理をよく理解していません。学生の頃にはこの検査は無かったので、授業で教わったことが無いんです。医者になった年に、大学で日本で何台目かの検査機器を導入したんです。

研修医で放射線科をローテーションで回ったときに、チーフの先生から「君は整形外科だから、MRIを知っておかないといけない」と言われ、英語の教科書をわたされ、訳して他の研修医に説明するようにいわれて真っ青!!

当然、まだ日本語の本なんて、まったく無い時期です。今まで聞いたことも無いような、しかも、ほとんど物理学(ひぇ~)の本を訳して来いなんて、無慈悲にもほどがあるってもんです。

まぁ、おかげで、多少はわかったような気になって・・・所詮、あくまでも勘違いですけどね。確かに、整形外科は早くからMRIの恩恵を受けた科でしたから、今となってはMRI無しなんて考えられないような状況ですからね。

整形外科が偉いところは、自分で言うのもなんですが、MRIという新しい「武器」を手に入れたことで、古い検査法を処分したことです。世の中には、新しい検査が出てきても、検査が増えるだけで、患者さんの負担だけが増えるということは珍しくありません。

関節造影と脊髄造影という、それまで整形外科にとって最も重要な検査法が、ほぼMRIにとってかわられるようになりました。今ではよほどのことがないかぎり・・・つまり何らかの理由でMRI検査ができないような場合を除いて、することはありません。

医者になって5年目くらいまでは、必死こいてやっていた検査ですが、たぶん90年代半ばくらいを最後にやった記憶がありません。とにかく、現在では単純レントゲンとMRIがあれば、整形外科の画像診断はほぼ9割がた足りてしまいます。あと、ごく一部でCT検査と超音波ということになるでしょうか。

時代の進歩というのは、いろいろな方法論を刷新していくわけで、医者としてそれについていくというのはけっこうなエネルギーを必要とします。自分も年を取ってきたので、この先大きな変革があったらついていけるか心配になってきました。

2011年5月29日日曜日

完全休養日


本日は、1ヶ月ぶりくらいの、丸々1日休み。完全休養日。
天気のせいもあって、なにもせず1日ぼけーっと過ごしました。

ブログも何を書くか、まったく考えることをやめて、休みにしたいと思います。
あしからず。

2011年5月28日土曜日

ヘルパー研修会講師

今週の木曜日のイベント。ヘルパー2級講習で講師をしました。

過去ブログを探してみると、最初が2008年5月、その後年に2回、5月と11月にやっていて、今回で7回目ということでしょうか。毎回、このことを話題にする時は、「3時間も喋るのは大変だぁ~」と同じ事を書いています。

実際、かなり疲れることは事実ですが、こういうのが根が嫌いではない性分なので、ふだんの外来診療ばかりの気分転換としては悪くはありません。

こうやって数年続いていると、新型インフルエンザ騒動や今回のような地震に関連した災害医療の話など、いつもの話以外にもネタがあるもので、けっこう3時間はあっという間に過ぎてしまうものです。

これもいつも感じることですが、聴講する方々の熱心さ。大学のレギュラーの講義のような、どうでもいいんです的な雰囲気はありません。目的がはっきりしている勉強と言うのは、それだけ身が入るということですね。

思い出してみても、自分も大学生での講義、特に基礎科目での不真面目さは相当だったんじゃないかと。完全にさぼって、遊びに行くのはまだいいとして、中途半端に教室で内職しているほうが、よほど先生に失礼だったのかもしれません。

2011年5月27日金曜日

第2回田園都市リウマチフォーラム

今週の水曜日は、あざみ野メロンディアで第2回田園都市リウマチフォーラム。これは、毎月自分(都筑区)とひろた内科(青葉区)とあゆみクリニック(緑区)でやっている関節リウマチを中心とした勉強会の拡大版。

勉強会を始めたのが2009年8月。1年間たって、これは是非同じ志の先生方をもっと集めてやりたいものだと相談して、昨年11月に第1回を開催することができました。

第2回は3月に予定していたのですが、震災の関係で中止。今週やっと第2回の開催にこぎつけたというわけです。

今回は、2月に関節リウマチ治療のアンカードラック(最も鍵となる薬)と位置づけられているメソトレキセートの増量が認可されたことをうけて、何かと最新の生物学的製剤に目が行くのですが、もう一度メソトレキセートの使い方を再確認することが目的。

何しろ生物学的製剤は薬の値段が高いので、使いたくても誰でも簡単に手を出すことができないことが少なくない。比較的安く使える内服薬をうまく使いこなすということは、生物学的製剤を使うにしても、前段階として必須のことです。

メサトレキセートは商品名としてはリウマトレックスという名前で使用していますが、以前は日本の保険医療の枠の中では、週に8mg、4カプセルというのが最大使用量でした。自分も、定められた用量を超えた使用は副作用のリスクを増やす可能性があると今まで説明してきました。

しかし、実際、日本人に使用するとしても外国の通常の使用量の1/2程度の量ではコントロールがつくものもつかないということは以前からよく言われていました。現実には、副作用は少なくても出る人には出ていますし、増量したからと言ってそれほど頻度は変わらないことがわかってきました。

多くの人でリウマトレックスがリウマチの病気の勢いを抑制し、日常生活を維持していく上で多くの恩恵を期待できるのです。しかし、どうしても、不十分な効果の場合に、高価な生物学的製剤の前に増量という選択肢が増えたことは歓迎すべきことでしょう。

自分たちのような処方する側は、メソトレキセートを増量するのか、あるいは生物学的製剤を勧めるべきなのか、より的確な判断をしなければいけません。増量するのであれば、より副作用のモニタリングなどには注意を払うし、また生物学的製剤を選んだ場合も感染症のリスクを十二分に把握しておかなければいけません。

いずれにしても、よりタイトなコントロールが要求されるようになってきた関節リウマチ診療では、できるだけ早期の診断確定と治療開始、そして早期の寛解(事実上治癒した状態)を目標にするという高いハードルを課せられているわけです。

2011年5月26日木曜日

バンド小僧の野望

どうも、最近bloggerが不安定。先日も投稿やコメントが消えてしまい、全面復旧には至っていません。今日も、投稿の画面にLoginできない状態があって、今まで使っていない別のブラウザで何とか入れました。う~ん、引越しとか考えないといけないのかなぁ。

閑話休題。

自分が高校生の頃・・・いゃ~、きもい、という声が聞こえてきそうですが、長髪でなければ高校生ではないという雰囲気でした。

自分も肩まで髪の毛を伸ばし、10cmくらいありそうなヒールをはいてベルボトムジーンズでその靴をすっぽりと隠して・・・というようなファッションで決めていたつもりでした。

まさに60年代アメリカ(ベトナム戦争で病みだした頃)のファッションをそのまま輸入したかのような、70年代日本の若者の典型的な装いだったのではないかと思うわけです。

そして、実力なんて関係なく、誰でも彼でも何かしら楽器を持ってバンドを結成し、目指すは文化祭の舞台で演奏すること。何しろ男子高だったので、文化祭となると付近の女子高からわんさか女の子が見物に来るわけです。

そりゃ、色気づき始める高校生ですから、このまたとない機会を逃すわけには行きません。とにかく、かっこよくきめてもてたいというのは、全バンド小僧の切ない願望であったわけです。

実際のところ、やはり完璧にギターのアドリブとかをコピー出来るくらいのテクのあるバンドに人気が集中するわけで、結局自分は日の目を見ることはなかったかなぁ・・・

まぁ、それはそれで、青春だったということで。はははっ・・・

2011年5月25日水曜日

ラッパ小僧の夢想

マイルス・デイビス・・・いゃ~、偉大なるジャズ・トランペッター。かっこいいんですよね。あこがれますよね。特に自分が高校生の頃、70年代前半、マイルスが長い雲隠れ生活に入る直前、電気楽器を大胆に取り入れ、もうほとんどロックに近い演奏で、75年の日本公演はアガルタ、パンゲアという2組のライブに凝縮されています。

こうなると、そろそろジャズに傾き始めていた高校生としてはトランペットなるものを吹いてみたいと思うわけです。ところが、ここでも、やっぱり問題がいろいろでてくるわけです。

ギターとかに比べて、とにかく楽器の値段が高い。ふつうにパーパー吹く機会があるわけもなく、そんな高い物を買うわけにはいかない。その頃にラッツ&スターがデヴューしていればよかったかもしれませんが、当時は谷啓はトロンボーンだったし、ぎりぎりタモリはまだいなかった。

もちろん音の大きさもかなりのもので、思いっきり吹ききったときのトランペットの音たるやすさまじい物です。当然、家のなが好きなだけ練習というわけにはいきません。近所に河原とかあれば、多少恥ずかしいのを我慢して外で練習ということもできますがね。

そんなところに、高校生の同級生でサックスを吹く奴がいて、トランペットも持っているという。けっこう金持ちなんでしょうかね。しかも、トランペットはもういらないから、ほしい奴がいたら譲るというのです。

確か1万円で、思わず買い取りました。とはいっても、1万円というのはふだん小遣いではなかなか出せる物ではなく、虎の子のお年玉を放出したと思います。それはともかく、なんでも10万円くらいするらしい(?)トランペットを手に入れたのはいいのですが、まったく音の出し方がわからない。

なんとなく、マウスピースに向かって息を吹き込んでみても、唾液が漏れ出てくるばかり。しかし、ある時開眼したんです。唇を震わすとか、小難しいことを考えずに「ブゥ~」と言えばいいんです。ブゥと言えば、バァと鳴る。ブゥ~と言えば、バァ~と響く。

なるほど、そういうことかと。それじゃドレミにいこうと思って、またもや困惑した。だって、トランペットのピストンは3つしかない。進軍ラッパにはピストンすらない。どうやって音階を出すんだろう。

しょうがないので、トランペットの基本みたいな本を買ってきて、いろいろなピストンの押し方の組み合わせで、いろいろな音階が出せることがわかって練習をはじめたんですが、ちょっとやるとすぐに親からうるさいと怒られ、いっこうに進歩しない。

で、結局、さらに欲しいという奴が見つかったのでドレミもできないままに、1万円で売り払い、結局プラマイゼロということで、めでたくチャンチャンということになったわけです。

2011年5月24日火曜日

ピアノ小僧の挫折

けっこう、小さいときにピアノを習ったという人は多いでしょう。これは、昭和の時代に情操教育というのが流行ったからで、社会が戦後のゆとりが出てきた一つの証みたいなもの。最近は、英語とか体操とか情操教育の内容もシフトして、あまりピアノという単独の楽器を習うというのは減ったように思います。

自分の場合も、幼稚園の頃にYAMAHAのオルガン教室、小学校にはいってからは近所のピアノ教室に通った覚えがあります。でも、すぐにやめてしまって、鍵盤を触っていた期間というとせいぜい2年間程度でしょうか。

あー、あの時もっとちゃんと弾けるようになっていればよかった、と思ったのは高校生の頃。バンドを始めた頃でしょうか。それでも、まぁなんとなく過ぎ去って、社会人になってからあらためてピアノが弾けるといいなぁと思い返すことしかり。

今ではピアノの白鍵だけしかわかりません。つまり白鍵だけでドレミファソラシドを弾けるハ長調なら何とかできますが、調が変わって黒鍵が出てくるとお手上げ。さらに楽譜をちゃんと読む力が無いので、当然譜面通り弾きこなすなんてことは夢のまた夢。

とりあえず、ハ長調の基本コードのドミソ(C)とドファラ(F)とシレソ(G)の指の押さえ方は知っているとしましょう。ここで、コードは3音を右手の母指・中指・小指でいっぺんに弾いちゃいましょう。

左手は1オクターブ下の根音を母指で、2オクターブ下の根音を小指で、右手の和音と一緒に弾きます。根音とは和音のベースになる音で、Cならド、Fならファ、Gならソです。

こうやって一度に両手で5つの音をだすと、どうです、なかなかいい響きでしょう。この作戦をうまく利用していくと、とりあえず簡単な歌の伴奏くらいはなんとかなりそうです。

ビートルズの「Let It Be」の伴奏や、ちょっとがんばれば、「冬のソナタ」のテーマ曲くらいなら、雰囲気だすことはできるでしょう。

まぁ、でも、そこまで。時にはオーケストラにも匹敵すると言われているピアノという楽器を使いこなすには、こんな程度ではあまりに寂しい話で、やはりそれなりの知識と練習をしないとどうしようもない。

無理をしてもしょうがないので、ほんのさわりだけは知っていることで多少は深みのあるリスナー専門になるほうが無難という物です。

2011年5月23日月曜日

ドラム小僧の葛藤

ピアノはけっこう小さいときにやっていた人が多い。ギターは中高生になると、値段的にも手を出しやすい。

ところが、ドラムとなると問題です。メロディ楽器ではないので、リズム感さえあればなんとかなりそうですが、まず第1に楽器の値段がはるので、中高生が簡単に用意することができない。

そして、次に問題なのは大きさ。普通のセットを広げると、最低でも畳2畳分くらいのスペースは必要。当然、持ち運びも容易ではありません。さらに問題なのは、音の大きさ。とにかくでかい。まじめに叩くと、かなりの騒音となるわけです。

今でこそ、電子ドラムとかいう、静に楽しめる道具がありますが、昔はそうはいかない。茶碗を箸で叩いてもうるさいわけですから、普通の家庭ではドラムを置いて練習なんてことは不可能と言って良い。

スタジオを借りたときは、そこに備え付けのドラムを使うことになり、結局普段はスティックで机を叩くだけということになってしまいます。

とりあえず、目の前にはドラムセットがあることを想像しましょう。目の前、一番手前には、一番基本リズムを叩くためのスネアドラムをセットします。そして、その左側にもう一つの基本道具であるハイハットシンバルを置きましょう。

ハイハットは2枚の小さめのシンバルを合わせたもので、足踏みペダルによって2枚を開閉してぱしゃぱしゃと当てることが出来ます。最低、これでそれらしい音になる。

基本は4拍子。右手でハイハットを4回叩き、3拍目に左手でスネアを1回叩くと「チチトチ」という1小節のリズムができあがり。これを繰り返して基本のリズムを維持しましょう。ハイハットは左足でペダルを踏んだままにして閉じたままにしておきましょう。

さて、そしたら次はスネアの向こうにバスドラムをセットします。これは大きめの低音の音を出すわけですが、やはり足踏みペタルがついているので、これを踏んでドンドンと音をだします。

それでは、さっきの基本の4拍子の1拍目にバスドラムを踏んでみましょう。「チチトチ・チチトチ」だったのが、「ドチトチ・ドチトチ」になりました。さらに、1拍目と2拍目に続けてバスドラムを踏むと「ドドトチ・ドドトチ」、ほぉら、かっこよくなってきたでしょう。

そろそろ、おかずをいれたくなってきましたね。それじゃ、大きめの1枚シンバルをバスドラムのちょっと右側におきましょうか。いきなり叩くとびっくりしますから、ドトトチを4回叩いた次のドトトチの最初の1拍目だけハイハットのかわりにトップシンバルをたたきます。

ドチトチ・ドドトチ・ドチトチ・ドドトチ・ジャンチトチ・・・

しびれますね。さらにバスドラムの上にトコトコと叩くタムをセット。これはスネアが小太鼓なら中太鼓にあたります。そして最後にドコドコと叩く大太鼓のバスタムを一番右にセットすれば、ドラムセットができあがりです。

ドチトチ・ドドトチ・ドチトチ・ドドトチ・ジャンチトチ・ドドトチ・ドチトチ・ドドトチ・トコトコトコトコドコドコドコドコ・ジャ~ン(最後のジャ~ンと一緒にバスドラムも踏むのがポイント)

2011年5月22日日曜日

ギター小僧の誕生

クラシックでは楽典という、きちっとした英語の文法書みたいなものがあって、ちゃんと勉強していないと基本ダメということになっています。

それに比べて、ポップス系はけっこういい加減で、感性だけでなんとかしている部分も少なくない。もちろん、ちゃんとしたミュージシャンはちゃんと楽典を知っているとは思いますが・・・

実際、ギターなどで伴奏するときの基本はコード進行。つまり和音をリズミックに出すことで、それなりになってしまう。

基本はI度とIV度とV度の3つの和音で、例えばハ長調(ピアノだったらドレミを弾くのに黒鍵がいらない)の場合には、I度はドミソ、IV度はドファラ、V度はシレソとなって、それでれコード名で言うと、CとFとGです。

楽しい感じの長調の曲ではそれでいいのですが、悲しい感じの短調の場合にはAmとDmとEmが基本の和音。多くの演歌はこの3つだけ知っていれば、なんとかなってしまうわけです。

だいたいギターを始めると、最初に覚えるのが、この6つのコードの押さえ方。とりあえずかっこいい響きを求めなければ、たいていはなんとかなるものです。

そうこうしていると、ただジャ~ンとコードを弾きっぱなしではつまらなくなってくる。そこで、次に覚えたくなるのがアルペジオ。つまり、和音を1音ずつばらして「つま弾く」感じにしたくなる。

一番典型的なつま弾き方が3フィンガーピッキングというやつ。これができると「ジャーン」から「テンテケテケテン」となって、「結婚しようよ」とか「あの素晴らしい愛をもう一度」などの昔のフォークソングがきまるわけです。

ところが、ユーミンという人が出てきて、なんかコード進行がモダンになった。ちょっと、ロマンチックな響きが聞こえてきて、6つの和音だけではどうも雰囲気が出ない。コード進行を見ると、メジャー・セブンスという見たことが無い和音が多用されている。

これは、例えばI度の和音であるド(I)・ミ(III)・ソ(V)にシ(VII)を加えた物。少し不協和音になるのですが、そこのところがなんとも味のある深い響きになるわけです。ギターでの左手の押さえ方も簡単で、ここまで覚えれば怖い物無しでバンド結成というのがおきまりのコース。

あとは、本物のギターソロなどを、一生懸命耳コピ(耳で聞いてメロディを探り出すこと)をして練習する努力を惜しまなければ、学園祭で人気者になれるし、場合によってはプロのミュージシャンになってしまう奴も出てきたりする。

2011年5月21日土曜日

院長の仕事

今朝、お隣のあざみ野棒屋先生に、クリニックの床のモップがけをしているところを声をかけられました。「クリニックの清掃はスタッフの仕事ではないのですか」という質問だったのですが、うちでは朝の床の清掃は院長の仕事なんです。

もちろんスタッフも出勤してきて、朝の一番の仕事は院内清掃ですが、一応床だけは院長の責任としています。これは、たいして重みのないクリニックの歴史から説明しないといけない。

最初、開院の時は清掃業者に週に1度入ってもらい、床の清掃をしていたんです。ところが、いよいよクリニックが潰れるんじゃないかというところまで追い込まれ、自分で出来ることは自分でするしかなくなったわけです。

当然、掃除は自分で出来ることの筆頭みたいなものですから、昔の小学校の掃除当番のようなモップとモップ搾り器を用意したわけです。

これは、けっこう大変なことで、なにしろうちのクリニックは無駄に広い。一生懸命モップ掃除をすると、それなりの運動量になるのです。ただでさえ運動不足の院長としては、健康のためにもいまだに自分の仕事にしているというわけです。

とは言っても、モップで水拭きをするのは週に1回、他の日は科学モップです。ほとんどの汚れは、水拭きで何とかなるのですが、やはりそうはいかない汚れという物がだんだん増えてきます。

前回の年末大掃除では、うちのこどもをバイトにやとって、床を「激落ちくん」で直接磨くという作業をしました。スリッパを用意して、靴を脱いで上がってもらうというやり方もありますが、それはそれで大変でしょう。

まぁ、多少なりとも院長も下働きをするというのは、悪いことではないと思うので、特にこのやり方を変えるつもりはありません。なにしろ、自分のクリニックですからね。

2011年5月20日金曜日

開業医ならでは

開業医を始めて、まだ5年とちょっと。開業医とは、なんて偉そうなことを言える立場ではないことはわかっています。でも、開業医としての楽しみというか、哀しさというか、大学病院の勤務医をしていては味わえなかったことがある。

それは、時間がたっているということ。それだけでは、何のことかわからないと思いますが、例えば5年経つと小学生も高校生になっている。小さかったこどもが、身長が伸びて大人っぽくなっていたりするわけです。

一方、お年寄りでかなりよたよたしていた方が、いつのまにか来院しなくなり、正直亡くなったのではないかと思って寂しい気持ちになったりもします。

うちのクリニックが開院して間もないころから、1年位前まで継続的にいらしていた高齢の患者さんがいます。1年前にだいぶ体力が落ちて、歩くのもおぼつかない感じになり、床に伏せることが多くなりました。床ずれができたり、こりゃもう寝たきりになってしまうかと思いました。

先日、その患者さんが1年ぶりに自分で歩いて来院されました。けっこう表情もしっかりしていて、「どう、死んだと思ったでしょう?」と先に聞かれてしまい、びっくりするやら嬉しいやら。

そりゃ、まぁ、人間ですからいつかは死ぬわけですが、ぎりぎりのところまで行って戻ってこれたことには敬服するしかありません。

こういう、患者さんと一緒に喜んだり悲しんだりするというのは、より患者さんの日常に密接に関わる開業医ならではのことなんだろうと思うわけです。

医者としての専門性は大事であることには変わりありませんが、何でも相談してもらえるような役割もおろそかにしてはいけないということでしょうか。

2011年5月19日木曜日

司馬遼太郎 / 木曜島の夜会

司馬遼太郎というと、なんかNHK大河ドラマになりそうな日本の壮大な歴史絵巻みたいな小説ばかりを書いているというイメージ。

「源義経」とか「国盗り物語」とか読みましたが、「坂の上の雲」は読んでいない。小説も長いし、けっこう読み出すのに勇気がいる・・・と思っている方。あるんです、短編も。

それが、これ。「木曜島の夜会」。

オーストラリアとニューギニアの間に、ちっちゃい島がいくつもあって、火曜島とか水曜島とかあるんです。

その中で、あえて木曜島。司馬遼太郎がわざわざ行って、実際に取材した。明治から多くの日本人が、一攫千金を狙って出かけていったんだそうです。

ここの海で採れる貝が、ヨーロッパで装飾品として高い値が付く。けっこう、危険な仕事で命を落とす人も少なくなかった。司馬遼太郎が、そういう日本人を描いていく話。

もし、よかったら、読んでみてください。アマゾンの古本なら1円からありますし・・・

2011年5月18日水曜日

うぇどねすでい

こんなタイトル、なんのこっちゃですが、自分のように中学生の時に(今でもですが)英語が苦手だった者には、けっこうピンとくる言葉だと思います。

要するに英語のWednesday、つまり水曜日という意味の単語を無理矢理ローマ字風に読むと「うぇどねすでい」になるわけです。スペルを覚えるのに必死で、正しい発音なんてなんのその。

ところが、自分の場合英語の先生がこれを教えてくれたことにすべての間違いの出発点があった!! って、中学1年生の時の最初の英語の教師がひどかった。先生のせいにしちゃいけないと思いたいけど、やっぱりひどかった。

だって、どっちという意味のwhichという単語がありますが、これをまさに「ほいっち」という発音で教わったんですよ。これはめげるでしょう。疑問詞なんて、「ほぉあっと」「ほぉうぇあ~」ですから。もうどうしようもない。

「うぇどねすでい」も当然のように教わり、1週間はもうめちゃくちゃです。もんでい、ちゅーえすでい、うぇどねすでい、すーるすでい、ふりでい、さっつるでい、すんでい・・・ってどこの宇宙人の言葉かよって感じです。

そんなわけで、英語の学習には手こずった。成績がわるかったのは・・・いやいや、人のせいにしゃいかん。