クリニックの夏季臨時休診のお知らせ
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2021年5月10日月曜日

レマゲン鉄橋 (1969)

全長1230kmのライン川は、スイスアルプスに始まり、ボーデン湖となりドイツとスイスの国境となります。湖から流れ出ると、バーゼル(スイス)から北上して200km弱はドイツとフランスとの国境になります。

その後は約700kmにわたりドイツ国内のマンハイム、マインツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュイスブルクを通過します。デュイスブルクでは東からルール川が合流し、この一帯はルール地方と呼ばれ、この豊富な水量が、産業革命の大きな原動力になりました。

その先でオランダ国内に入り、アーネム(アルンヘム)で北側のレック川とネイメーヘンで南側のワール川に分岐し西進、多くの支流となり、オランダの細かい水路を形成してロッテルダムで北海に注ぎます。

第二次世界大戦における連合国軍の最大の失敗と呼ばれるマーケット・ガーデン作戦は、ルール地方への道をこじ開け、ドイツの兵器産業の重要拠点を叩くことが最終目標でした。しかし、バルジの戦いでドイツ軍を撃破したことで、連合国軍はドイツ国内のライン川西側全域に進軍が可能となったのです。しかし、ライン川は川幅が所によっては数百mもあり、ドイツにとっては西部戦線の最後の防衛線です。

戦前にはドイツ国内の130カ所以上に橋が架かっていましたが、ドイツ軍はほとんどの橋を爆破し、連合国軍の進攻を阻止しようとしていました。1945年3月に入って、連合国軍はライン川の西岸をおさえ、3月末までに、イギリスのモンゴメリー元帥配下の部隊は、下流のレース、ヴェゼルで渡河に成功します。アメリカ軍主導の部隊は、ボンの南レマゲンで思ってもいなかった未破壊の橋を確保、パットン将軍はさらにずっと上流のオッペンハイムから渡河して進攻し、あからさまにモンゴメリーの戦功を減じています。

この映画では、唯一残ったレマゲンの鉄道橋を巡るアメリカ軍とドイツ軍の攻防を描いたもので、監督は「タワーリング・インフェルノ(1974)」のジョン・ギラーミン。音楽は「荒野の七人(1960)」、「大脱走(1963)」のエルマー・バーンスタイン。ストーリーはほぼ史実にのっとっていますが、登場人物の名前は実際と異なり、メインのキャラクターはフィクションです。

ライン川西側には、いまだ7万5千人のドイツ兵がおり、彼らの撤退のためのルートとして橋を破壊することに反対の立場をとるフォン・ブロック将軍は、クリューガー少佐を撤退まで橋の防衛と爆破をために送り込みます。クリューガーを演じるのは「ナポレオン・ソロ」でおなじみのロバート・ボーン。レマゲンに向かう途中、親衛隊によって逃亡しようとした将兵が銃殺される現場を目撃します。

橋の守備隊長のシュミット大尉は、1600名の兵力があると思って着任したクリューガーに、残った兵力は数百人で、武器もあまり無いことを伝えます。しかも、爆破のための爆薬も予想より火力の少ないものしかないのです。兵士たちは、来る来るといってまったく来ない援軍に戦意を喪失しつつありました。シュミットを演じるのは、ハンス・クリスチャン・ブレヒで「バルジ大作戦」では、ヘスラー大佐に忠誠を尽くす、けっこう重要な役どころであるコンラート軍曹役でした。

一方のアメリカ軍のバーンズ少佐(ブラッドフォード・ディルマン)は、功を求めて困難な任務ばかりを部下のハートマン中尉(ジョージ・シーガル)らにおしつける。疲労がたまっている彼らはレマゲンの町を先行して制圧。無傷の橋を発見します。バーンズは、上から橋を奪取せよと命令され、ハートマンに突撃を指示します。

しかし、橋を爆破されれば助からないので、部下たちの反発は強くバーンズに殴りかかる者までいました。ハートマンは、命令ならやるしかないと橋に向かいます。クリューガーらは必死に抵抗しますが、これ以上は無理と悟りついに橋の爆破に踏み切ります。しかし、爆薬不足で、橋は崩落するまでに至らずアメリカ軍の渡河を許してしまいました。

ほとんどの仲間を失ったハートマンは、「よくやった」と言うバーンズの言葉を背中で聞くしかありません。クリューガーは司令部に戻り、作戦の失敗のため銃殺されます。最後の言葉は「誰が敵なんだ・・・」でした。

正しい橋の名前はルーデンドルフ橋といい、実際にこの戦闘があったのは1945年3月7日のことです。アメリカ軍の重火器などがラインを越えた後、3月17日に自然に崩落し、現在は両岸の印象的な形をした橋頭堡だけが史跡として残されています。

従って、映画の撮影はチェコスロバキアのヴルタヴァ川、プラハから南に10kmほどのダヴレの町にあるダヴレスキー橋で行われています。地形的にも西に市街があり、東がすぐ丘陵になっているところがレマゲンと似ています。

基本的には橋を巡る攻防を描く映画ですが、敗色濃厚になってきていたドイツ軍の規律の乱れ、現実を知らない上層部と現場の確執、進軍につぐ進軍で休むことができないアメリカ軍、そして彼らも兵隊を駒としか考えない上への不満などが、しっかりとストーリーの根底にありも単なるアクション映画を枠を超えた名作と言えそうです。

2月の三巨頭が集まったヤルタ会談では、ベルリンを落とすのはソビエト軍に任すことに決められていたので、ライン川を越えた連合国軍は4月中にベルリンの南100kmまで怒涛の如く進軍して停止。エルベ川近傍のトルガウで、ついにソビエト軍と出会ったエピソードは「エルベ川の誓い」として有名です。西側諸国の連合国軍は他の地域で残存部隊をことごとく潰して、彼らのヨーロッパ戦線は終了しました。