2007年8月1日水曜日

死ぬ時・・・かなり暗い話題

今でも当直をしているのですが、最近の出来事で、ちょっと書きましょうか。
当直しているのは、いわゆる老人病院です。状態が悪い方については、主治医が家族と話し合って、もしもの時の対応について話ができています。しかし、自分は「嵐を呼ぶ」と思われているようで、よく思ってもいないことが起きるといわれているようです。最近では、急変することはまったく予想されておらず、いざというときのたいおうなど、まったく話も出ていなかった方が亡くなりました。看護士さんに「苦しいようなので見に来てください」といわれて病棟に行くと、ちょうど呼吸停止してしまいました。すぐに呼吸のチューブを喉へ挿入してバックで酸素を送り込みます。家族への連絡の指示、昇圧剤の準備の指示、電気ショック準備の指示、とやっている間に心停止。少なくとも、家族が到着するまで何とかしないと。心臓マッサージ開始。昇圧剤投与するも反応なし。そうこうするうちに、家族が到着。状況を説明し、これ以上は無理であると話して、死亡確認。
こちらも楽しいわけもなく、ブルーになります。そうすると、大学で死んだ自分の父親の時を思い出します。父親は、夜中に急変して、駆けつけたときには研修医が心臓マッサージをしていました。初めて、自分が医者であることが嫌になりました。だいたいの状況を見れば、とても回復しそうに無いことがわかるのです。研修医のがんばってくれているのはわかりますが、それ以上はしなくてもいいよ、といわないわけにはいきません。親の死にめに妙に客観的に冷静に判断をしている自分が嫌でした。
自分が死ぬときは、どんな状況なんだろうか。死んでいくものには関係の無いことかもしれませんが、死に際に集まれた人がいるとすれば、その人たちが納得してくれる死に方をしたいと思います。都筑区の区役所通りは、K先生の報告のようにネクロポリスと化してきました。どうか、死んだ者・残った者いずれもが納得できる形を尊重してくれることを望みます。