ジャズって、アメリカの音楽でしょう。
しかも、ハーレムの黒人がいろいろな悲しみを綴ったブルースと、希望を託したゴスペルが混ざって発展した音楽なわけです。
1920年代のニューオリンズで音楽的な形態が出来上がり、1930年代~40年代にはダンス音楽としてのニューヨークへ進出。
スイングと呼ばれ、白人であるベニー・グッドマンやグレン・ミラーといったスターが生まれます。一方、デューク・エリントンやカウント・ベイシーといった黒人音楽家がビッグ・バンドを結成して、音楽として即興性を盛り込んだ音楽として熟成させます。
1940年代にチャーリー・パーカーが登場して、アドリブを主体とした聞くための音楽、バップを完成します。ここからは、ジャズの歴史はマイルス・デイビスを中心として発展していくわけです。
アドリブ至上主義に走っていたバップに警笛を鳴らすかのごとく、パーカーの弟子だったマイルスはアンサンブルを重視したクールを発表。しかし、即興性の重要性に気がついて、再びハードバップと呼ばれる王道を進みます。
そして50年代終わりになって、アドリブの自由な表現を拡大するため、モードを始めます。それまではコード進行の制約のもとに行われていたアドリブに大きな自由を与えますが、これが60年代になって拡大解釈されて、いわゆるフリー・ジャズが台頭します。
フリーは、どう聞いてもめちゃくちゃに演奏しているだけのようで、自由を求める若者には受けますがが、心にうったえる音楽性という意味では明らかに方向性が誤っていました。
60年代の終わりになって、マイルスは電気楽器を取り入れ、ロック色を配した音楽へ変貌していきます。70年代に入って、さらに強化された音楽は、その後クロスオーバー、あるいはフュージョンと呼ばれる音楽の下地となっていくのです。
80年代に復活したマイルスは、ラストの10年間をポップな色調で驀進していくわけですが、ある意味1991年のマイルスの死とともにジャズも死んだのかもしれません。
その後はとりたてて新しいことは、ほとんどありません。ジャズは歴史になってしまったようです。
流れてくるだけで、自然に2拍目と4拍目にリズムに合わせて足を踏んでしまう。思わず、目を閉じて体を揺さぶる。はっとするようなフレーズに息を呑む。一度呼吸が会ってしまえば、とまることのないベースライン。
演奏者と聴衆の感性がぴたっとはまったら、もう音楽は止まることを忘れてしまったかのようでした。だれか、もう一度熱い想いを思い出させてくれないかな。