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2009年8月12日水曜日

日航機墜落事故

1985年8月12日午後6時12分、お盆の帰省客を乗せた日本航空123便は大阪に向けて羽田空港を飛び立ちました。そして、相模湾上空に出た午後6時24分に、後部の圧力隔壁が金属疲労により破損したのです。

そのため垂直尾翼が破壊・脱落、操縦系統の油圧システムが全てコントロール不能となり迷走した結果、午後6時56分に群馬県の御巣鷹の尾根に墜落しました。

この事故では、自分の親族・知人などが巻き込まれたわけではなく、完全に第三者ではありましたが、医学部6年生で学生時代の最後の夏休みを強烈に印象づけることになりました。

9月の夏休み明けには、国家試験に向けての模擬試験が控えていたのですが、このニュースの関連番組を見続け、夏休み中はほとんど勉強らしい勉強をしなかったのです。おかげで試験は平均点40点くらいで、最悪の結果でした。

それまで、時々飛行機事故のニュースはありましたが、一度の事故で520名というこれほどまでに大量の死者が出た事故は後にも先にもありません。また歌手の坂本九さんなどの著名人が搭乗していたということ。その反面、奇跡的な生存者の救出が生放送されたりもしました。

ダッチロールという言葉、垂直尾翼が無くなったことによる異常な飛行姿勢のことをさす言葉ですが、当時は呪文のように繰り返されました。でも、その後は一度たりとも聞かない言葉です。

ブラックボックスに残された搭乗員の方々の必死の操作なども、のちに山ほど出たドキュメントで読みました。機長の最後の言葉「パワー!!」は、忘れられません。

他にも、搭乗していた方々が死を覚悟して、いろいろな走り書きを残していたことなど、自分だったらどんな思いでその場に居合わせることができましょうか。

原因についても、いろいろな事が取りざたされまた、その後の凄惨な遺体収容の状況の話など、とにかくひとつひとつが記憶に生々しい。

毎年、このニュースに接すると、あの夏を思い出さずにはいられないのでした。心の中で手を合わせて、亡くなられた方々の鎮魂を祈るばかりです。