そんなわけで、マイルス・デイビスの音楽を聴くことは、ほぼジャズの歴史を振り返ることになり、場合によってはそれがすべてと言っても過言ではありません。
現在の活躍するほとんどのジャズマンは、マイルスの音楽的なこどもか、あるいは孫であり、他人であってもその影響を受けていない物は皆無と言ってもいいかもしれないのです。
別の言い方をするなら、自分にとってはジャズという音楽はマイルスから始まりマイルスで終わったのかも知れません。
そもそもの出会いは高校生の時。たまたまdisk unionという洋盤レコード専門店で手にした"Round About Midnight(1956)"のかっこよさに思わず、聴いたこともないのに購入したのが最初でした。自分が生まれる以前の、これはバリバリのハードバップ。
当時実際のマイルスは電化路線の真っ只中。1973年に来日し、当時は放送開始間もないFM東京がコンサートの模様を丸々流してくれたのです。伝統的なジャズと思っていたマイルスが、ロックもぶっ飛ぶハードな音楽をやっていて、そりゃもうびっくりしました。しかし、これはこれでかっこいい。
そして1975年の来日では"AGHARTA"というアルバムを置き土産にしてくれました。これがまたいい。レコードの解説には「住宅事情が許す限り大音量で聴いてください」と記されていました。親に怒鳴られながらも、素直に大音量で聴きまくったものです。
当時、高校のバンドでジャズをやることになって、マイルスの曲をとりあげたりしました。それも恐れ多くも、ジャズの金字塔"Kind of Blue(1959)"の冒頭の"So What"でした。マイルスの代表作の一つで、まぁ高校生が背伸びをしてよくやった物だと思います。
マイルスを聴き出すと、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、ミルト・ジャクソン、ビル・エバンス、キャノンボール・アダレイ・・・といった、もう知らぬ人がいない面子がすべて含まれてくる。
さらにハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレット、ウェイン・ショーター、ジョー・ザヴィヌル・・・もう数えだしたらきりがありません。おかげて、どんどん深みにはまっていくわけです。
最近はいわゆるブートレグ(海賊版)が花盛りで、マイルスの知られざる演奏がどんどん表に出てきます。しかも、驚愕のサウンドボードからの録音と思われる高音質で、聴衆が隠れてマイクで録音するようなせこいものはほとんどありません。
その数は無数にあって、マニアとしてもその中からこれはというCDを選んで聴いていると、マイルスが死んでからすでに20年もたとうというのに、いまだに新しい驚きを楽しめるのです。
うーん、だんだん頭の中をマイルスが駆け巡りだした。こりゃ、今年はしばらくはマイルス再発見でしばらく楽しめそうです。