2023年3月26日日曜日

Mario Ferraris / Stradella Chamber Music (1971)

クラシック音楽は作曲された譜面通りに演奏するだけだから、誰が演奏しても同じだ。気に入った楽曲のレコードなり、CDなりを一つ手に入れれば十分。


すでに亡くなっている昔の作曲家からは新曲は出てこないので、曲数には限りがある。ある程度コレクションすれば、それでお終い。

・・・なんて、思ってませんか。まぁ、クラシック音楽にそれほど興味がなければ、それもいたしかたがない所ですし、実際自分も昔はそんな感じに近いところを思っていました。

でも、ちょっとまじめに聞き入ってみると、どうして同じ譜面からこんなに違う印象を持てる演奏になるんだろうと思うほど、演奏者によって譜面の解釈が違ったりする。例えば1時間の曲で、演奏者によって数分の違いはざらにありますが、その数分が物凄い違いになって出ることも珍しくはありません。

モダン楽器と古楽器の違いも大きい。ヴィオラ・ダ・ガンバなどは、モダン・オーケストラでは、チェロに置き換えられたりしますが、出てくる音からして違う。ヴァイオリンは構造的にはほぼ同じですが、ガット弦かスティール弦、弓も動物の毛なのかナイロンかとかの違いで響き方がかなり違います。

有名な重要作曲家となると、バロック期、古典期、ロマン期、現代音楽というおおまかな歴史の流れの中で、おそらく50人くらいに絞れると思います。当然、音楽のジャンルとしても、交響曲、協奏曲、室内楽、器楽曲、声楽などを集めてしまうと、コレクション的には完了してしまいます。

ところが、作曲家という肩書の人は無数にいるわけで、ほどんど話題にならないけど歴史的に意味のある仕事をした人とか、一曲だけ有名な一発屋みたいな人、音楽家としてはたいしたことはないけど人物像がやたらと興味深い人とか、ほじくり出したらキリが無い。

・・・と、例によって長い前置きですが、アレッサンドロ・ストラデッラの話です。

ストラデッラは、1644年に生まれた生粋のイタリア人。珍しく名前が「イ」で終わっていない。それはともかく、ストラッデラの自由奔放で倫理観の欠如しすぎた人生が面白いというか、興味深いというか、かなりハチャメチャです。

20歳ごろから作曲家として知られるようになり、宗教曲などもたくさん作っていたらしいのに、教会の浄財を使い込んでローマから逃亡。ほとぼりが冷めた頃に戻ったかと思うと、多くの上流階級の婦女子と浮名を流すプレイボーイ振り。当然ばれて目を付けられ、再びローマ化に逃げ出します。

30歳過ぎにヴェネチアで、貴族の愛人の音楽教師に雇われますが、その愛人とできちゃうわけです。貴族怒る。部下に粛清を命令。ストラデッラは愛人とトリノへ駆け落ち。ですが、結局、愛人はほったらかして36歳の時にジェノヴァに単身向かいます。

ここでも、ジェノヴァの貴族の家族の女性に手を出して、雇われた暗殺者によって刺殺され38歳の生涯を閉じることになるのです。まぁ、何とも映画的になりそうな人物で、さすがにやり過ぎた感は否めませんね。

そんな放蕩者なんですが、残された音楽はいたってまとも。バロック中期の音楽の中では、比較的ロマンチックな旋律を作れた作曲家なのかなと思います。まぁ、多くの女性を虜にしたわけですから、それもそのはずというところ。女性を惹き付ける強力な武器にしていたのかもしれません。

後期イタリア・バロックの人気となった音楽様式にコンチェルト・グロッソというのがあって、ヴィヴァルディらに多大な影響を及ぼしたアルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)が初めて用語として使用したもの。コンチェルト・グロッソは、2つの旋律楽器(そのうち一つはヴァイオリン、残りはフルート、チェロだったり)と通奏低音(オルガン、チェンバロやギター)の組み合わせで行うトリオ・ソナタの中にオーケストラの合奏がところどころに混ざって来るもの。

実は、この様式を自作のオペラや器楽曲で最初に使い始めたのがストラデッラで、コンチェルト・グロッソという名称こそ使いませんでしたが、当時としては斬新な試みとして注目されました。ストラデッラと親交のあったコレッリが、自分の曲に流用し有名になったというもの。

CDは多くは無いのですが、4枚組で残された器楽曲を網羅したこのアルバムが、値段も手頃でお勧めです。元祖コンチェルト・グロッソも確認できます。演奏しているのはヴァイオリンのマリオ・フェラーリス。同姓同名のF1ドライバーがいますが別人。こちらのフェラーリスについては、ネットでもほとんど情報がありません。

4枚分もいらないという方には、新しい録音としてはEnsemble Giardino Di Deliによる2枚組も古楽器の響きが気持ちを落ち着かせ悪くはありません。