脚本家として名が知られるようになった三谷幸喜が、映画監督に進出した記念すべき第1作。もともと三谷自身が手掛けたテレビドラマの脚本を、テレビ局側に意図せぬ改変をされたことをきっかけに、自身が主催する劇団のために作られたもの。
ラジオ局が公募したラジオ・ドラマの脚本に、鈴木みや子(鈴木京香)は初めて書き上げた「運命の女」が採用され、生放送されるドラマのリハーサルが行われました。プロデューサーの牛島(西村雅彦)は乗り気ですが、ディレクターの工藤(唐沢寿明)は、みや子に「こういう仕事はもうしない方がいい」と言うのでした。
リハーサルはほぼ順調に終わったかに思えましたが、落ち目でわがままな主演女優の千本ノッコ(戸田恵子)が、主人公の律子という名前が嫌だと言い始め、メアリー・ジェーンに変更されてしまいます。しかも、もともとパチンコ店の娘だったのが、ニューヨークの敏腕女弁護士と設定も変わりました。
そうなると全員の日本人名がおかしいと、広瀬(井上順)と野田(小野武彦)の役名も外国人名になる。しかし、ノッコの相手役の浜村(細川俊之)は与えられたマイケル・ピーターは嫌だと言い、ドナルド・マクドナルドに勝手に変え、しかも職業も漁師からパイロットにすると言いだすのです。
本番まで1時間も無く焦った牛島は、どんな無理難題もどうにかする放送作家のバッキー(モロ師岡)に脚本の手直しを頼みます。舞台は日本からアメリカのシカゴ、しかもギャングの抗争があり、メアリー・ジェーンの法廷シーンまで追加してどたばたのうちに放送時間を迎えます。
しかし、いざ始まると、メアリー・ジェーンが「高波にさらわれずぶ濡れ」になるところで、シカゴには海が無いことに気がつきます。しかたがなく、ダムが決壊したことにして、もと効果音係、今は警備員をしている伊織(藤村俊二)に泣きついて必要な音を出す方法を教えてもらうのです。
ドナルド・マクドナルドが行方不明になる部分は、パイロットなのでハワイ上空で行方不明と変更したものの、スポンサーの航空会社から即座にクレームが入り、飛行機事故ではなく乗っていた宇宙船の事故にしてしまいます。ここまで、我慢に我慢を重ねてきたみや子は、ついに爆発します。さすがに宇宙の事故ではドナルド・マクドナルドは死んでしまう、最後に二人が再開することだけは譲れないと叫ぶのです。
冒頭、長回しのカメラを動かして映ってくる人物が次々にセリフを言うという、いかにも舞台出身の三谷らしい演出が見られます。確かに舞台を見る観客の視点をなぞっているのはわかりますが、映画では舞台よりも近くに人物がいるため目まぐるしい感じで成功しているとは思えない。普通にカット割りした方が見やすいと感じます。
みや子の意図したものからどんどん脚本の内容がずれていく過程については、無駄な部分がなくスピーディな展開は緊張感を持続させています。ただし、自分の名前をいれないでと言い出したみや子に牛島が「どんなことになっても、たとえそれがひどい物でも、あなたの作品だ。責任の一端はあなたにもある。私だっていつかはみんなが喜べるものを放送したいんだ」と、まるで正義の押し売りで説得する一番かっこいいカタルシスを起こすシーンなのですが、あまりに身勝手な言い分でまったく共感できませんでした。
当時は多くの賞を受賞してはいるのですが、あらためて映画として見た時、傑作と呼んでいいのか悩む作品だと思います。これはやはり舞台劇であって、映画として見るにはまだまだなのかもしれません。もっとも初監督としては上出来なのは言うまでもありません。