2025年1月29日水曜日

コンプライアンス


英語のコンプライアンス(compliance)、略してコンプラと言ったりすることもありますが、日本で盛んに耳にするようになったのは21世紀になってからではないでしょうか。

医学の世界ではだいぶ前から使っていて、例えば「あの患者さんは薬のコンプライアンスがよくない」のような表現をしていました。この場合、患者さんがきちんと薬を内服していない状況のことになります。

本来はコンプライアンスは「変形のしやすさ」などを表す物理学用語だと思うのですが、そこから「遵守(要求や命令に従うこと)」という意味で使われるようになり、昨今は厳しく「法令遵守」となり、さらに社会的規範となるようなその時代の倫理観をも含んだ使い方がされています。

90年代までは、製薬会社から医者への接待は日常的に行われていました。学会で発表する時に使用するスライドやポスターも原稿を製薬会社の営業に渡すと、数万円から数十万円かかる立派な資材として無料で完成させてくれました。パソコンが普及したことで、スライドなどは製薬会社に頼む必要は無くなっていきましたが、あいかわらずレストランなどでの食事会などは薬の説明会と称して行われていたものです。

しかし、製薬会社による学会発表データの改竄などが発覚して、医師と特定の製薬会社の利害関係が急速に排除されたのは2010年頃だと思います。つまりこれらの「癒着」あるいは、ある意味「贈収賄」はコンプライアンスの観点から好ましくないということが急速に広まりました。

実は自分もクリニックを開業した当時は、製薬会社から各種の文具などのノベルティ・グッズをいただき、製薬会社による接待を何度も受けていました。しかし、その頃からこれらは急速に消えていきます。これは本当に本音で思うことですが、接待されなくなって特定の薬に対して恩義を感じることが無くなったことは、ある意味医療が自由になったところがあり、良い事だと感じています。純粋に薬の良し悪しだけで選択できることは、患者さんにとっても有益です。

医師の側は単に「受け取らない」とすれば良いので簡単ですが、製薬会社は更なる問題を抱えてこのコンプライアンスを複雑化していきます。学会のスポンサーになった場合には、特定の薬の宣伝になっていないかなどのチェックに製薬会社が割り込んでくるようになりました。自社の薬の評価では、商品名は使用せず、また同系統の他社の薬との比較すら禁止されるようになります。

医者が薬を選択する場合、似たような薬があればそれぞれを比較して最も適切なものを選択したいわけですが、そのようなデータはほとんど医学界から消えてしまいました。つまり、まったくスポンサーのいない学会・研究会は無いので(そこにも問題があるのですが)、比較研究しても発表できないということになったのです。

それに伴い「メタ解析」と呼ばれる、複数の別々に行われた研究結果を統計的に統合して、特定の要因と疾患の関係や治療法の比較などを解析する手法が盛んになりました。しかし、ここにも実は問題があって、統計学とは「有意な差」を導き出す数学ですから、ある意味元となるデータの集め方によって有意な差を作ることが出来てしまうわけですから、実臨床の中で、しかも一人一人の個体差がある医学ではしばしば期待通りにはならないかもしれないのです。

つまり、行き過ぎたコンプライアンスは、その適用される分野での萎縮を招く恐れがあるわけです。法令は明文化された基準がはっきりしているのでわかりやすい基準ですが、倫理観はおそらく個人によって多少のズレが生じるものなので、適正なコンプライアンスに完璧な正解を求めることは非常に難しいように感じます。しかし、やっかいなことに、コンプライアンスの基準として倫理観の方が重視されているように思います。

今、日本国内で最も関心が持たれているメディアの問題についても、個人あるいは企業の倫理観のズレが根本的な要因としてあるのかもしれません。細かい点は一般人の自分にはまったくわからないことですから、踏み込んだ話などはできる立場ではありませんが、関係者全員のコンプライアンスの意識の差をはっきりさせないと、問題の解決には至らないだろうと思いました。異なる倫理観のもとでは、何時間かけても不毛な議論にしかならないようです。