・・・はエイプリル・フール。嘘を言っても許される日。とはいっても、節度のある、ユーモアたっぷりの嘘でないと、後に遺恨を残します。でも、実際気のきいたジョークは難しい物で、なかなか思いつきません。
それに4月1日は人が動いて初日であることが多いので、いきなり冗談を言う余裕は無いのであります。都筑区でブログをせっせと書いている四人衆。今朝はだれか一人は思いっきり冗談を書いてくれるかと思いきや、Dr.MもDr.Flickerも現代の医療問題に嘆き、あざみ野棒屋先生は過去に悔いたような内容です。
それにしても、この三人は朝アップ組なんですが、Dr.FlickerはAM5:50頃、Dr.MはAM6:05頃、棒屋先生はAM6:30頃ですよ。ということは何時に起きて書いているんでしょうか。自分も朝は強い方ですけど、時間制限のある朝にはあまり書きたくないのです。今朝も必死にエイプリル・フールのジョークを考えてみたのですが、やはり思いつきません。
特に今朝は、今日から変更になった診療報酬改訂通りに電子カルテが動くか心配でした。そして、ここからはちょっと暗い話になります。
出向していた病院で医長を四年間やって、その最後の年。自分にとっては、手取り足取り自分のわかることを可能に限り伝えてきた仲間がいました。4月1日からは自分は大学に戻るし、その後輩もやはり大学に戻ることになっていました。3月31日に最後の回診、そして、明日は大学で会おうといって別れました。
翌日、大学に行くと、気心の知れた仲間と朝からいろいろ歓談。こんなとこが変わったよ、とかいろいろ話をしていたのですが、昨日まで一緒だった彼が来ない。同級生が電話をしても出ないし、無断で休むようなやつではないことは誰もが知っています。そこで彼女に連絡して見に行ってもらいました。そしたら・・・奴は死んでいました。いわゆる突然死です。原因はわかりませんでした。
そんなことってあるかい。そりゃないでしょう。これからいくらでも人を助けることができたやつなんですよ。とても良い奴で、自分にとっても本当にいろいろ教え込んだつもりの仲間だったんです。それ以前も、それ以降もマンツーマンで1年間みっちり過ごした後輩はいません。自分の分身のようなものだったと思います。
いろいろ働かせすぎたのかもしれないと悩んだりもしましたが、彼がやった手術のリストを作って、ご両親に差し上げました。こんなにいろいろな手術をやったんですよ。こんなに医者らしくなったんですよ。そう伝えたかったんです。ですから、もう10年以上になりますが、いまだに4月1日は冗談は言えません。
暗い話ですみません。