2008年4月11日金曜日

大学助手生活 2回目

4年間、外の病院に出向していると大学に戻っても病棟などはほとんど知らないスタッフばかりになっています。大学の看護師さんは平均的には3年程度でやめてしまうそうです。病棟に行っても、まったく知らない病院にいるようなもので、これには困った。

何かを頼もうにも、何かとても雰囲気が固い。こりゃ、何とかしないと仕事がスムースには進まないぞ。どうしようかと思っていた、ちょうどその時、たまたま病棟で一人の看護師さんがマイクを向ける振りをして「ハイっ、どうぞ1曲お願いします」

あまりにとっさのことで、ついつい口から出てきたのは「カラスなぜ鳴くの、カラスは山に・・・」
周りにいた看護師さん達は、一瞬呆然としたようですが、次の瞬間爆笑。「なんだ、面白い奴じゃん」ということになって、やっと軽口が叩けるようになったというわけです。

それでわかったのは、同期の医者が「今度帰ってくる奴は、大変怖い奴で、とにかくちゃんとやらないとすぐに怒鳴り出すから気をつけるように」と触れ回っていたということだったんです。なるほど、どうりで固いはずです。でも、それからは雰囲気が和らいで、楽しく仕事ができるようになりました。

さて、出向している間に考えていた大学に戻ってやりたいことがあったわけですが、それは手関節鏡というものでした。関節鏡というのは関節の中をのぞける細い棒で、膝のような大きな関節に対しては普通に行われていました。

しかし、手関節に対しては、やっと学会で話題になり始めたところだったのです。自分が手の外科のいろいろを教わった先生は、主に末梢神経や腱が専門で、場所では肘を得意にしていました。手関節を中心にしている先生は、全国的にもまだ多くはありませんでした。

ということは、手関節でがんばれば少なくとも自分のいた大学では一番になれると考えたわけです。当時、手関節鏡をやっているところは大変少なく、自分の大学にはとにかく道具も無ければ、どうやっていいかもわかりません。そこで上の先生に1週間でもいいから、国内留学させて欲しいと頼んでみたのですが、即却下。

しかたがなく、手術室の倉庫に行って、何か使えそうな道具はないかあさることにしました。おや、こんなのがある。使えそうじゃん。おー、これもいいかも。ところが肝腎の関節鏡は膝関節用のものと、それより少し細めの足関節用のものしかない。

通常手関節用は太さが2mm程度で、とても膝関節や足関節用では太くて隙間に入りそうにありません。とはいっても、1本30万円くらいするものをおいそれと買ってもらえるわけもなく、しかたがなく足関節用のものを無理矢理使うことにしました。今だから正直に告白しますが、随分無茶なことをしたと思います。

外来で手首が痛いという人が来ると、それは蜘蛛の巣にかかった虫のようなものです。検査をして、手関節鏡の適応があるとわかると入院予約です。そんなこんなで、だんだんいろいろなことができるようになってきました。

もう一つ積極的に取り組んでいたのが腫瘍。整形外科で腫瘍と言えば骨肉腫です。主に10代前半のこどもに発生し、しかもよくて足を切断。高率に数年以内に死亡するという怖い病気です。それでも患肢温存という考え方が発達してきて、抗ガン剤を使った治療方法が広がってきました。

関節リウマチの治療薬に抗ガン剤であるメソトレキセートというのがあるのですが、リウマチの方には1週間で6mgを投与するのが標準ですが、骨肉腫の治療では1週間に10数グラムを使用します。この量は使った後に何もしなければ、まちがいなく次の週には患者さんは副作用で死んでいるという量なのです。

ですから、使う方も使われる方も大変です。もう、これは骨肉腫に勝つか負けるかの戦いなのです。とにかく毛は無くなるし、薬で吐き続けるし、楽なことは一つもありません。こどもにそれを理解させ、逃げ出さないようにすることは本当に大変なのです。

しかし、なぜか骨肉腫になってしまうこどもたちはとても素直でいい子ばかりなんです。みんな本当にがんばる。どうして、このような不幸を背負わなければならないのか、神様がいるなら恨みたくなるのです。

それでも抗ガン剤が効けばいいのですが、効かないために予定を繰り上げて患肢の切断手術をする時ほど情けないことはありませんでした。命を助けるためにしかたがないことだと思ってみても、整形外科医としては切断というのは敗北を意味します。最も最低の手術だと思っています。

そんなことをしているうちに2年間が過ぎ、また出向するようにいわれました。今度はすでに大学から人を数人出している一般病院の医長です。まぁ、人事は命令ですからしょうがありません。2回目の大学助手生活が終わることになりました。