2008年4月10日木曜日

迷走する五輪

自分は中国のチベット問題について意見を言えるほど勉強をしていません。ダライ・ラマ14世についても、テレビで報道されている以上のことは知りません。ただ、最近の聖火リレーのニュースはいろいろ考えるところがあります。

建前としてはオリンピックはスポーツの祭典であり、スポーツと政治を混同することはよくありません。しかし、スポーツはもともと戦争をシミュレートしたものであり、過去のオリンピックが国の威信を賭けたものであったことは誰にも否定できません。

当然、政治的な思惑が入り込むことは、当然のことだと思います。しかし、今回のチベット問題は基本的には中国の国内問題であり、どうしても抗議をしたい人は、直接的な中国への非難行動を取るべきなのではないかと思います。オリンピックを利用することは、方向性が違うのではないでしょうか。

今日もサンフランシスコでのリレーが、急遽予定を変更して、誰にも見えないところを走って、いつ終わったかもわからないように行われたというニュースがありました。なんなんでしょうか。

そんな聖火リレーにどんな意味があるんでしょうか。だったら、最初からアテネから中国に火を直送すればいいわけで、世界中をまわる必要はもともとありません。

ここで、見えてくるもう一つの問題は、オリンピックの商業化ということでしょう。オリンピックが大きな経済的効果があるから、各国は必死で招聘したがるわけで、もともと聖火リレーのショー化も大きな利益を得ている人がいるんでしょうね。

もともと開会式なども華やかでしたが、今のように一大イベントとなったのはいつからでしょうか。たぶん、ロサンジェルスからではないでしょうか。オリンピックがショーと化すに従って、真の実力は各種の競技のワールドカップで競われるようになってしまいました。ますます、スポーツ競技としてのオリンピックの価値が無くなっていることはまちがいありません。

今回の問題が、ますますオリンピックの価値の低下に火をそそぐことになるのでしょうか。純粋にスポーツとして参加する大多数の選手達の気持ちを考えると、今年の北京オリンピックが無事に開催されることを願ってやみません。