どんな形の研修がいいの? 確かにこれは難しい。今のやり方が少なくとも良くないと思っている以上、少しは考えてみる必要がありそうです。
医者が成長するためには何が必要なんでしょうか。まず必要なことは素養とでも言いましょうか、つまり医者になりたいという根本的なエネルギーみたいなもの。これはどんな職業でも同じだと思いますが、好きこそ上手の始めなのです。
もちろん金儲け的な発想だけでは、とうてい続けられない仕事です。社会に対して奉仕する気持ちが根底に必要です。生命という大きな責任を負うというリスクのかわりに高収入が得られたのは、昔の話。今は下手すれば公務員の方がよほど高収入です。
人のためになる仕事であるという、当たり前のことに喜びを感じるような素直な気持ちは絶対に必要なわけで、それが医者として自分を高めていく糧になります。これを教育で教えることは大変に難しい世の中になりました。となると、もともとの人格に期待するしかないかもしれません。
そういう風に考えることができない人は医学部を目指さない方がいいかもしれないですね。医学部での教育の中にも、こういう人文的な授業があってもいいのではないでしょうか。でも、もちろん収入があった方がいいに決まってますから、もっと医者の技術料的な医師個人の評価の上乗せがあってもいいんじゃないでしょうか。1年目が診ても教授が診ても値段が同じってあり得ないでしょう。
さて目出度く国家試験に通った暁には、すぐにでも最低限の仕事はできるようになりたい、と思うのは昔も今も同じ。しかし、医者というのはある種の職人ですから、技術は経験を伴わないと付いてきません。となると、学生の頃から実技を十分に行う必要があるわけですが、そのためには「犠牲者」が必要になります。もちろん嬉しいわけはありませんが、少なくとも大学病院で診療を受けることは、学生教育にも協力することに同意することであるということを患者さんに理解してもらうしかありません。もちろん、一定のルールの下でのことですけど。
最終目標は国家試験合格であるので、どうしても大学は国家試験予備校になってしまうことは避けられませんが、知識だけでは足りないことは、ずっと言われ続けているのですから、国家試験に何らかの実技試験が入ってきてもいいかもしれません。
そして、晴れて医者になったら、この親方の下で修行しようと心に決めて研修生活に入ります。ここまで医学の情報が肥大化してくると、オールマイティな医者というのはほとんど奇跡のような物です。そこで専門性とるか、総合性をとるか決断します。当然親方も、両者に分かれている必要があります。給料は少なくて当然、でもそのかわり親方は住むところを提供し、生活の保障する必要があります。
そして研修医はしっかりと研修して独り立ちする義務があるのですから、一定期間に一定の能力を備えたことを証明する必要があります。そこで研修試験をするのはどうでしょう。研修試験に合格しなければ、いつまでも研修が終わらない。これは大変なことです。
現実には専門医(あるいは認定医)制度が浸透して公的な意味を持つようになってきていますので、専門医を維持するためには継続的な研修が義務づけられているわけですから、研修医の頃から絶えずそういう環境にあっても違和感は無いような気がします。
一定期間が過ぎて試験に合格すると、いよいよ独り立ち。開業したい方はどうぞ。病院でがんばる方はそれもよし。研究者の道を選ぶとい手もあります。何はともあれ、患者さんのことを考えられる医療を提供できさえすればOKですから。