2001年9月11日、日本では火曜日、台風のニュースでにぎわった一日。
しかし、夜の10時過ぎから、アメリカ、しかもニューヨークのど真ん中で起こった未曾有の惨事の報道が開始されました。映画でもない旅客機がビルに突入する映像が何度も何度も繰り返し放送されたのです。ニュースのアナウンサーも「現実であること」を何度も叫んでいました。
翌朝、生中継で炎上していたビルが倒壊して、一気に崩れていくシーン。あまりに現実離れしていて、呆然とするしかありません。
地球の裏側で起こっている、まるで「戦争」としかいいようもない惨劇が、家庭の普通のテレビで簡単に映し出されていることに対する、平凡と非凡のあまりのギャップに、何も言う言葉が見つからなかったのは世界中の誰でも同じだったのでないでしょうか。
似たような体験は、自分は3度目です。最初が連合赤軍の浅間山荘事件。小学生のときでした。家に帰ると、父親が「テレビで戦争を生中継している」といって興奮していました。その次が御巣鷹山の日航ジャンボ機墜落。
911事件では、当時東京都庁ビルのすぐ横のビルの中でも診療をしていましたから、都庁ビルなら簡単に飛行機が突っ込めると思って見上げていました。そのときは、巻き添えになる可能性も十分あると思ったものです。
事態はアフガニスタンのタリバン政権に対するアメリカの宣戦布告、さらに対イラク戦争へと一気に突き進んでしまいました。湾岸戦争のときの批判から、日本もほとんどアメリカの言いなりに行動することになったのではないでしょうか。
疑問を投げかけたものはテロを許すものとして糾弾され、現実世界もAll or Nothing のデジタルな思考に支配されることになったように思います。
バブルの頃の代表的な思考は「ファジー」、つまり曖昧さでした。家電製品はほとんどすべてニューロファジーが売りでした。バブル崩壊後の閉塞感が、もう曖昧さを許すだけのキャパシティを持てなくなったのでしょうか。
そして日本の小泉政権は、アメリカとの同盟の名の下にデジタルな政治にまい進し、その象徴となったのが郵政法案でした。民営化に反対か賛成かだけを突きつけ、反対するものは日本をよくするための改革を止めようとするものと決めつけたのです。
911が生んだデジタル・ワールド。人間はもともとアナログに生き物であるはずで、完全に白黒をつけることは大変困難なはずです。
コンピュータもうまく使いこなせば大変に便利な道具ですが、コンピュータに使われてしまうとこんなに哀しいことはありません。
911から世界は、日本は、あるいは自分は何を学んだのでしょうか。そろそろ、もう一度きちんと考えてみる必要があるのかもしれません。