ブエノスアイレスのIOC総会で、2020年のオリンピックの開催地が東京に決定したのに続いて、中隔競技の最後の一枠がレスリングに落ち着きました。
レスリングは最初から行われていた競技で、ある意味人と人が直接対決するもっともスポーツの原点に近いもののひとつではないでしょうか。なんでレスリングがオリンピックからはずされそうになったのか、いろいろと議論を呼ぶところです。
レスリングが残ったことは、特に問題を感じる人は多くないでしょう。野球・ソフトボールが復活できなかったのは残念ですが、こういう感覚はあくまでも日本人の場合ということに限定したもの。
実際に日本人だって、レスリングを実際に経験した人はそんなにいるもんじゃない。競技人口は、もっと多いスポーツは山ほどある。レスリングを見ることだって、オリンピックと世界大会以外で目にすることはほとんどありません。
でも、何となくオリンピックというと、レスリング。レスリングというと、オリンピックという感覚ができているのは、やはりメダルの獲得数が関係しているのでしょうね。また、同じものではありませんが、昭和の時代にプロレスが国民の娯楽として意識に定着していたことも、ちょっとは関係あるかもしれません。
次のリオデジャネイロ のオリンピックでは、ゴルフが登場することになっています。確かにスポーツではありますが、何となく説明のしにくい感覚があります。
実はアトランタのオリンピックで野球が登場した時も同じでした。もしかしたら、1964年の東京オリンピックから始まった柔道も、世界からは同じような感覚を持たれていたのかもしれません。
各種の競技が独自のワールド・カップを開催することが多くなった今では、オリンピックの意義というのはだいぶ本質から変わってきていることは否定できません。
スポーツって何? という一番簡単な疑問の答えが、実際のところ一番難しいのかもしれませんね。