2020年、7年後のオリンピックの開催地が東京に決定しました。
積極的に招致に賛成だったかも、それほどでもなかったかたも、あるいはどっちでもいいと思っていたかたも、決定すればそれなりに嬉しくなるものです。招致に向けて、いろいろと努力を続けてきた方々、ご苦労様でした。
もちろん、こういう国際的なイベントには、政治的な問題もたくさん絡んでくるわけで、経済的な意味合いが深く関与することは当然のことです。ですから、政治家 - 総理大臣までもが一生懸命になる。
でも、思い出してみても、オリンピックでの日本人の活躍というのは、とても気持ちを明るく元気にしてくれてきました。政治色・経済色のことは、横に置いておいてもいいじゃないですか、と思うわけです。
冬季オリンピックは、札幌・長野と2回ありましたが、夏のオリンピックは1964年以来で、実に56年ぶり2回目となります。
1964年の東京オリンピックは、戦後の荒廃した首都の回復、そして高度経済成長の大きなアクセルとして日本にとって、大変に意味のあるものでした。オリンピックに向けて、新幹線や高速道路の整備、テレビやカメラの普及など、国民の生活を大きく変える原動力となったわけです。
自分のことでは、まだ6歳になる前、幼稚園年長だったので、多くのことは覚えていませんが、それでも記憶残るイベントとしては人生のスタートみたいなものとして忘れられないことがいくつかあります。
隣の家がカラーテレビを買ったので、見に行った覚えがあります。このあたりは、まさに「三丁目の夕日」の世界でした。遠足に行くのに首都高速ができて、初めてバスで高速道路というものを通ったことも感激したものです(用賀までですが)。
個人的なことはともかくも、大きな期待をしながら、2020年を待ちたいものです。日本という国にとって、どういう意味をもたらせるかはこのあと7年間にかかっています。2020年からその向こう側につながる国つくり、都市作りを期待したいものです。
一方、アスリートにとっては大変大きな課題ができました。日本は比較的スポーツに対しての援助は多くはない国であると、しばしば言われているわけで、政治も開催する経済効果だけではなく、オリンピックの本質であるスポーツの振興についても力をいれてもらいたいものです。
現在、中学生・高校生の人たちは、2020年の中心選手になっていくわけですから、大きな夢を抱いてください。おそらく、2020年に自分が出ることはないだろうに、現役アスリートたちが招致活動に力を入れてきたのは、次の世代の人たちのためです。
決定の瞬間、フェンシングの太田選手が、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたのが印象的です。彼も、未来のアスリートたちのために、涙を流したのです。さぁ、大きな期待をもって2020年を待ちましょう。