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2014年7月22日火曜日

時代遅れのバッハ

「カンタータ」という言葉を、まったく普通にここまで使っていますが、そもそもどういう意味? と尋ねられると、ちゃんとわかっていない。何となく、バッハの教会礼拝用の音楽のイメージがカンタータ、くらいにしか思っていませんでした。

ところが、いろいろ調べていると、バッハのカンタータというのは、比較的特殊な物であり、と同時に時代の流れからは古臭い形式であるというような論調をしばしば目にしました。

カンタータ(cantata)は、もともとはイタリア語の「歌う」という動詞のcantareから派生した「歌うもの」という意味で、器楽伴奏を伴う声楽曲全般を指す言葉なんだそうです。それに対して、一つの楽器を中心に聴かせる伴奏付音楽が「ソナタ(sonata)」です。

カンタータという言葉は、16世紀後半からイタリアで使われるようになり、最初は単一楽章のアリア(aria、叙情的・旋律的な独唱)だけであったのが、しだいにレチタティーボ(recitativo、非旋律的な状況説明的な語り)が挟まるようになります。

テーマは恋愛が多くを占めるのは、今と同じ。貴族を対象とした娯楽の一つとして発達し、貴族はお気に入りの歌手と伴奏者(チェンバロ、あるいはリュートなど)をお抱えにして楽しんでいたわけです。つまり、基本は現代で使っている「世俗」的なものが、カンタータの中心でした。

アリアが拡大するに連れ、アリアとレチタティーボが独立し、多楽章になるのは17世紀末のこと。それまでは一人の歌手のみが歌う、今で言う「ソロ・カンタータ」が普通だったわけで、当時イタリアに留学したヘンデルの残したカンタータの多くがその形式で作られています。

ドイツにおいては、宗教音楽としてカンタータが発展したという経緯があり、特に宗教改革により発生したプロテスタント系では、ルターが自らも曲を作り、積極的にコラール(キリスト経の教義を信者全員で合唱する)を取り入れました。

バッハの教会カンタータは、まさにコラールを重視し、聖句に基ずくアリアやレチタティーボ、時には器楽演奏のみを取り混ぜてまとめあげるという、当時の音楽としての集大成だったわけです。

しかし、すでに同時代のテレマンらが作っていたカンタータは、聖書などの言葉に縛られない自由詩に曲をつけたものが多く、バッハもその流れに乗っていたとはいえ、基本的に聖書から離れきれないところが、「古めかしい」とか「流行遅れ」と言われる所以なのでしょう。

ですから、バッハの死後は急速に忘れられ、バッハの遺産を受け継いだこどもたちも流行遅れの楽譜を大事にしなかった(特に長男)ことが、多くの譜面の散逸にもつながったのかもしれません。

1829年にメンデルスゾーンにより、マタイ受難曲の再演を行ったことが、忘れられていたバッハの存在を再認識するきっかけになったことは有名な話。結局、「新しい」カンタータは今で言う流行歌であって、時代の変化と共に消えていくわけですが、バッハの「古めかしい」カンタータは、そういう潮流に流されること無く普遍的な評価を得ることができたわけです。

そういうわけで今では、カンタータと言えば、ほぼバッハの教会カンタータ群と同意語というくらいになっていて、それに対して世俗カンタータという言葉が使われています。バッハは、自分は地方の教会を中心に仕事をする、ただの敬虔なプロテスタントで、こどもの頃から教わってきた世界を音楽で表していただけなのかもしれません。

300年経って、世界の音楽の基本のように扱われていることなど想像もしていなかったことでしょう。もしかしたら、天国でしてやったりとほくそ笑んでいるのかもしれません。