2014年7月29日火曜日

事件

猛暑はちょっとおちついたのか、今朝はちよっとひんやり。それでも25度ですけど・・・

それにしても、本当に驚いたのが佐世保の殺人事件。殺されたのが女子高校生で・・・殺したのも女子高校生。そこまでは、今時無いわけではない。

ところが、今回は、被害者の体の一部を切断したり、自分のやったことを画像付きでネットに投稿したりというのが、あまりに異様でした。

すぐに警察に逮捕され、取調べを受けている最中ですから、まだまだ真相はわかっていません。しかし、動機については「誰かを殺してみたかった」というものと、ニュースでは報道されています。

人は人を傷つけない、ましてや殺してはいけないという人間として社会生活を営む上での、最も根源的な常識が成立していない。時代を超えて、世代にも性別にも関係なく、価値観の異なる宗教の枠すら超えるもの。

仮に「××を殺したい」という感情が湧いて来ることがあるのは、誰にでも起こりうる。そこには、利害だったり、憎しみだったり、他人に説明できるその人にとって合理的な動機が存在し、時には他人も納得できるものかもしれません。

今回のような、誰でもいいというような事件は、珍しくはなくなってきています。車を運転して、歩行者に突っ込んだりするような事件もしばしば耳にします。たいていは、これらは内向きの感情の結果にように思います。

犯人の中に、社会からの隔絶みたいなものがあって、自らを消し去るかわり、あるいは自殺する勇気が無い場合に、自分以外を消去してしまいたいという感情があるのかもしれません。

今回の事件では、犯人の育ってきた環境から、周囲からの孤立があったことは間違いないようです。その一方で、劇場型ともいえる、犯行を隠すというより、より目立とうとしている行為が異例ですし、それを女子高校生が行った事はどう考えればいいのでしょうか。

ひとつの極端な例外として片付けることは簡単かもしれませんが、現代社会の歯車がかみ合っていないことの一つのきしみなら、一度生じた歪みを放置していると全体へいつかは波及していまうのかもしれません。