2019年3月26日火曜日

地下鉄に乗って (2006)

浅田次郎原作の小説の映画化で、監督は篠原哲雄。ミュージカル化もされている。

「鉄道員」のように、主人公が時間を超越する話ですが、こちらは過去に戻ることで、主人公の知らなかった家族の心情を初めて理解していくという話。

暴君の父親(大沢たかお)を持つ、昭一、真次、圭三の三兄弟。東京オリンピックを控え、地下鉄丸ノ内線の開業に賑わう新中野駅の近くに住んでいました。ある日、長男の昭一が交通事故で亡くなりますが、その時の父親の態度に腹を立てた真次は、その後母親の離婚と一緒に家を出ます。

大人になった真次(堤真一)は小さな衣料品会社の営業をしており、息子がいましたが、妻との関係はうまくいかず、同僚の軽部みち子(岡本綾)とは不倫関係にあります。

ある日、父親が倒れたと圭三から連絡を受け、地下鉄の構内で中学の恩師に出会い、真次は過去の自分を思い出しました。そして、気が付くと周りに人がいなくなり電車が走っていないことに気が付きます。

地上に出てみると、そこは東京オリンピックの数日前の新中野駅前でした。そして亡くなる直前の昭一に出会います。いつのまにか、現代に戻った真次でしたが、また地下鉄から何度も過去に戻ってしまいます。

そこには、若き日の父親の姿がありました。希望を抱いて出征していった姿。戦場で命がけで非戦闘員を逃がす姿。命からがら戦地から戻り、生きていくために闇市の親分になった姿。しかも、そこにはみち子も現れるようになるのです。

最後に二人でタイムスリップしたのは、再び新中野駅前。二人は、実の父親が違うことを知った昭一が、発作的にトラックの前に飛び出しところを目撃してしまいます。二人は近くの長い階段の上にあるアムールという名のスナックに行きました。みち子はそっと指輪をはずして、真次の上着のポケットに滑り込ませます。

アムールは真次の父親が、闇市で使っていた通り名。そして、店にいたのは、闇市の頃から父親を支えていた愛人のお時(常盤貴子)でした。お時は妊娠していました。そこへ、昭一の死を知った父親がやってきます。泣きながら悲しむ父親を見て、真次は思わず「昭一はあなたの子で幸せでした」と言うのです。

お時のお腹の子は、実はみち子でした。真次とみち子は腹違いの兄妹だったのです。送り出たみち子はお時に「おかあさんと愛する人を天秤にかけてもいいか」と尋ねます。お時は「親はこどもの幸せを願うものだ」と答えます。みち子は、お時に抱きついたまま店の前の階段を転がり落ちていき、愕然として号泣する真次の腕の中で消えていくのでした。

現代に戻った真次は、再び中学の恩師に会います。その後、地下鉄に乗るとポケットの指輪に気が付きますが、それが何なのかはわからない様子でした。亡くなる前に父を見舞うことができ、また日常に戻っていくのでした。

まず、この映画のタイムスリップについては、いつ起こっていつ終わるのかがはっきりしていないことと、時代考証が甘いので、見ていてなかなか理解しにくい。過去で父親に会うのも、おそらく意図的に時間の流れに合わせていないようで、このあたりも出征前から順番でないと話がつかみにくいところがあります。

細かいことにこだわらず気にしないという見方もあるんですが、特に最後にみち子が異母兄妹との恋愛を清算するために、過去の中で「自殺」を選択するという結末に理解・共感するための努力はもう少し作り手にあってもよかったのではないかと感じます。

明らかにみち子は母親に会う前に指輪をはずすので、早い段階で状況を理解していたはずなんですが、真次の視点で物語が進行しているので、どこで真次と異母兄妹であることを察したのかもよくわかりません。

みち子が死ぬと、現代では彼女が初めからいなかったのように話が終わるのですが、母親が転落で流産したのなら、そもそも最初から存在できない。自殺という結末が、正解なのか理解できないと、みち子に対して共感できません。

主演は堤真一で、昭和の街の光景が出てくるところは、「三丁目の夕日」シリーズを思い出します。ただ、どの時代にスリップしても、堤の格好は平成のサラリーマンなので、異邦人みたいなもの。断絶していた父親の理解を少しずつ深めていく演技は、それなりに見所があるところ。

ヒロインの岡本綾は、何かの空虚さを持っていてしだいに自分のタイムスリップの意味を理解していくという、おそらくけっこう難しい役どころですが結構好演していると思います。ただし、残念ながら、この映画の翌年に芸能界を引退しているようです。