この作品は、中国と日本の合作ですが、企画そのものは監督をした張芸謀(チャン・イーモウ)が、健さんの映画を作りたくて長年温めて来たもの。一部に日本でのシーンがありますが、そこだけは健さんを知り尽くした降旗康男が監督し、木村大作が撮影しました。健さんの主演映画としては、「ホタル」以来4年ぶりになります。
高田剛一(高倉健)は、息子の健一(中井貴一、声のみで姿は登場しない)とは、10年以上疎遠になっています。嫁の理恵(寺島しのぶ)から、健一が病気と知らされ病院を訪れますが、病室の中から「会いたくない」という健一の声を聞き、黙って引き返しました。追いかけてきた理恵は、せめて健一の仕事ぶりがわかるからと、ビデオ・テープを渡します。
ビデオは、健一が訪れた中国の伝統的な仮面劇の紹介でした。その中で健一は、中心役者となる李加民と来年再訪して、三国志の関羽にまつわる「千里走単騎」を歌ってもらうことを約束していました。高田は、健一に代わってそのことを履行しようと中国に渡ります。
しかし、李加民は喧嘩で相手をケガさせたため刑務所に入っていていることがわかります。高田は、必死に関係部署を回って頭を下げ、息子との関係を修復するために、どうしてもビデオで撮影したいとお願いします。やっとのことで、撮影ができることになりますが、李加民は遠いところにいる息子に会いたい気持ちから泣き崩れて歌うことができません。
高田は、息子の楊楊に会いに行くと、親のいない子供は村全体で育てているといい総出で出迎えてくれました。村長の許しが出たので、楊楊を連れて戻ろうとする途中で楊楊は逃げ出してしまいます。追いかけた高田は道に迷ってしまい、二人は一晩野宿をすることなりました。
翌日、村人らの捜索で助けられた高田は、父親に会う心の準備がまだできていない楊楊の気持ちを尊重して刑務所に連れていくことを諦めます。戻る途中で、理恵から健一が肝臓がんで昨夜死んだことを伝えられました。
そして、父親が自分の代わりに中国に行ったことを喜んでいたこと、せっかく見舞いに来たのに会わなかったことを後悔している手紙があると教えられました。健一は、父親だけでなく、自分もずっと仮面をかぶっていた、素顔で話をしたいと言っていました。
そして、父親が自分の代わりに中国に行ったことを喜んでいたこと、せっかく見舞いに来たのに会わなかったことを後悔している手紙があると教えられました。健一は、父親だけでなく、自分もずっと仮面をかぶっていた、素顔で話をしたいと言っていました。
高田は、刑務所を再訪し、もうビデオはとらなくてよい事を伝え、李加民にこどもを連れてこれなかったことを詫び、撮ってきた写真を見せました。こどもの姿に涙した李加民は、健一にも見てもらいたいので是非撮影してくれといい、精一杯「千里走単騎」を歌って踊るのでした。
また、メインの中国の様子と日本のパートと質感の違いは、監督の違いと言ってしまえばそれまでですが、映画の中の違和感につながるかもしれません。
主人公を心情は、映画の中で少しずつ感じ取ることで感情移入していけるのですが、状況は健さんのモノローグで唐突に説明されるだけ。肝心な、主人公と息子の関係性が、せっかく中井貴一を起用しながら声だけなので薄まっています。
しかも、健さんは中国語は話せず、少しの日本語しかわからない現地ガイドと行動を伴するので、ほとんど台詞らしい台詞がありません。数少ない健さんの台詞のやり取りが、中国語に通訳され戻ってくるのももどかしい。
主人公を心情は、映画の中で少しずつ感じ取ることで感情移入していけるのですが、状況は健さんのモノローグで唐突に説明されるだけ。肝心な、主人公と息子の関係性が、せっかく中井貴一を起用しながら声だけなので薄まっています。
しかも、健さんは中国語は話せず、少しの日本語しかわからない現地ガイドと行動を伴するので、ほとんど台詞らしい台詞がありません。数少ない健さんの台詞のやり取りが、中国語に通訳され戻ってくるのももどかしい。
これらのことが、健さんの映画として、あまり振り向かれていない理由になっているのかと思います。しかし、日本でも中国でも、言葉は違っても変わらぬ親子の関係を淡々とした映像の中で表現しようとしていることは感じることができました。