2019年8月4日日曜日

Paul Lewis / Weber Schubert Sonatas (2019)

久しぶりにフランツ・シューベルトの話。

そもそも、シューベルトって・・・生まれたのはモーツァルトが亡くなって8年後、ベートーヴェンが27歳の時。そして、ベートーヴェンが亡くなった翌年に、わずか31才で亡くなりました。ショパン、シューマンより13才年上。

遺されている最初の作曲は1810年、13歳の時の物。従って、その創作期間は20年に満たないにも関わらず、多作のモーツァルトもびっくりの大量の楽曲を作りました。

楽譜出版時に付けられる作品番号は170くらいしかありませんが、20世紀半ばに年代別に整理されたドイチェ番号で約1000作品が確認されています。

しかし、スケッチ、断片、中断も大変多くて、交響曲やピアノソナタでは楽章の組み合わせが確定していないものも少なくありません。

ですから全集物の場合、真のすべてを網羅した物はどれなのかよくわからない。音楽家、あるいは収集家にとって、これほど悩ませることが多い作曲家はいないかもしれません。

特にシューベルトのピアノソナタは、大好きなのでいろいろ集めまくりました。そうすると、完成されたものだけを作品として認めるピアニスト以外に、おそらくこれが完成形として小品を合体させているピアニストもいます。

さらに、途中止めの楽譜をあるだけ弾いて、曲を突然終わらせるピアニストもいます。それでは気持ちが悪いと足りない部分を自ら補完してそれらしく弾き切るピアニストまでいるという状態。

あまたのボックス・セットの中から、モダンピアノによる完成作品を中心とする標準的な「全集」を選ぶとなると、現状ではたびたび取り上げてきた内田光子盤が最高かと思います。シューベルトの精神世界に深く切り込んだ演奏として評価が高い。もちろん、ケンプ、ブレンデル、シフらの演奏も忘れてはいけません。

とにかくシューベルトのピアノ独奏曲のすべてを、事典的に網羅したものを聴きたいならダルベルト、シュヒターがお勧め。足りない物を補って聴ける形で元気なシューベルトを聴きたいならヴァイヒェルト。

シューベルトの当時のフォルテピアノで、完成作品を可愛らしく聞きたいならT.レオンハルト、何でもかんでも詰め込むならフェアミューレンを選んでおきます。

自分の場合、ピアノソナタはD960の最後のソナタがランドマークです。この演奏が気に入るかどうかで、かなりの評価が決まってしまいます。

実は、もう一曲、ここから入るという曲があって、それは即興曲D899の第1曲。最初のジャーンと、そのあとの間、そしてピアニッシモかにしだいにフォルテに変わっていくところの緊張感がたまりません。

最近のブニチティシヴィリの新譜では、この曲が演奏されていますが、少し情緒感詰め込み過ぎという印象。弱い所は徹底的に弱く、強い所はガンガンというバランスが極端すぎる印象でした。

お気に入りのピアニストの一人、アラウの場合はさすがにごつごつのドイツ気質が強く、全体にばりばり弾いていてあれっ? という感じがあります。ブレンデルの直系に位置するイギリスのポール・ルイスは、ベートーヴェンの全集でも男性的な力強さの中に優雅さをうまく表現していましたが、この曲でもなかなかのバランス感覚で弾きこなしてくれます。

ルイスは、シューベルト作品は度々取り上げているものの、今のところ全体をまとめ上げようという感じがありません。パドモアとの三大歌曲集なんかは素晴らしかったんですが、今年の新譜でもウェーバーのソナタとの抱き合わせです。シューベルトだけで勝負してくれないかなぁ。

ソナタ全集、それが完成作品だけの選集でもいいですから、ちゃんとやってくれたら、自分の中では内田盤と並ぶスタンダードになるかもしれません。