2024年2月1日木曜日

問われるトヨタ自動車


日本で一番の自動車会社と言えば、間違いなくトヨタ自動車で、あらゆる企業の中でも国内総資産額トップです。もちろん、一企業が単独で成しえるわけではなく、関連するさまざまな産業があっての栄華です。

トヨタグループと呼ばれる関連企業はたくさんあり、住宅事業を扱うトヨタホーム、総合商社である豊田通商、車の電飾を扱うデンソーなど、身内から分離独立したものと、別資本で起業され後に参入して「子会社」化したものがあります。

子会社の中で自動車そのものの製造業としては、1966年にトヨタグループに入ったのが日野自動車(トヨタ持株50.1%)で、主として大型車両を生産します。そして1967年に加わったのがダイハツ工業(トヨタ持株100%)で、こちらは軽自動車を中心に生産し、トヨタ自動車の商品の幅を広げてきました。

2022年3月、日野自動車の国内向けエンジンの不正が発覚。排出ガス性能試験で浄化性能が規制値を超えることを隠蔽、また優遇税制が受けられるように燃費測定値を改ざんしていたのです。これらは、現場の独断とされ、上に話をする空気が無く相互チェックが働かず、上層部も試験についての理解が不十分と指摘されました。

2023年4月、今度は「完全」子会社であるダイハツ工業の問題が発覚します。海外向け一部の車種で側面衝突試験の手続きの不正が明るみとなり、5月には国内向け車種にも波及します。12月20日には、第三者委員会の調査結果により、25試験項目で174件にもおよぶ不正が、20年以上に渡って日常的に行われていたことが公表されました。

これを受けて、ダイハツはすべての車種の出荷停止、工場停止となっており、今後の動向が注目されています。この2つの事件は、トヨタ子会社とはいえ、経営母体はトヨタ自動車とは基本的に分離しているため、直接的なトヨタの責任は問われていません。

2024年1月に発覚したばかりの豊田自動織機の不正問題は、これらとは問題の大きさが異なります。何故なら、豊田自動織機は1926年に豊田佐吉により設立された会社で、1933年に自動車製造部門ができ、1937年に佐吉の息子、豊田喜一郎が中心となってトヨタ自動車工業として独立した経緯があります。つまりトヨタ自動車にとっては、豊田自動織機は「親会社」であり、「トヨタ」の本家・源流と言える存在です。

豊田自動織機は、現在では織機よりもトヨタ自動車に対して自動車の部品製造が主たる事業となっていて、特に人気車種のRAV4などは車両そのものを製造しており、エンジン部門はほとんどがトヨタ自動車からの委託事業です。経営的にはトヨタ自動車が安泰であれば、豊田自動織機もあくせくしなくても問題ないと思われます。

ところが、不正は、ディーゼル・エンジンの排出ガス試験について、基準を満たさない測定方法を行なっていたというもので、完成した車の性能としては実質的には問題は無いのかもしれませんが、自動車屋としては情けないとしか言いようがない。これを受けてトヨタ自動車は関連する10車種を出荷停止にしました。ガソリン・エンジンにも飛び火するようならば、かなり大問題に発展します。

これら3つの問題に共通するのは、トヨタ自動車に対する依存体質からくる甘えと責任感の低下と、ある意味トヨタ自動車を満足させなければならないというプレッシャー、そして現場の声が上に届きにくい体質などが指摘されています。

豊田喜一郎の孫である豊田章夫会長が、2009年に社長就任時には、おそらくトヨタ自動車にも似たような空気感が存在していたのではないかと想像します。アメリカで大問題になったリコール問題の幕引きをするために、創業家出身者として引責辞任させることが目的のように社長に祭り上げられ、さらに東日本大震災で業績が悪化する中、豊田章夫社長は自ら率先して現場に出向き、社員たちの声を直接聞くことに注力したようです。

また、良い車を作るためには自ら車を知らなければならないと考え、ドライバーとしてラリーなどのレースにも積極的に参加し、現場のエンジニアらから積極的に教えを乞うたりもしています。これらの社内風土の改革が、今のトヨタ一強に繋がったことは明らかです。

しかし、豊田自動織機にはトヨタの本家であるという誇り、そして日野自動車やダイハツ工業にはあくまでも独立した会社としてのおごりのようなものが変革を受け入れない元凶としてありそうな感じがします。まだまだ全容が見えていない状況ですが、日本の基幹産業として自動車産業は大変重要ですから、しっかりと解明・解決してもらいたいものだと思います。