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2024年5月28日火曜日

ゴジラ -1.0 (2023)

ゴジラがスクリーンに登場して70周年を記念する作品で、日本は言うに及ばず海外でも高い評価がされた作品。アカデミー賞では邦画としては画期的と言える視覚効果賞を受賞しました。

太平洋戦争末期、敷島浩一(神木隆之介)はゼロ戦で特攻の命を受けましたが、機体故障と噓をつき小笠原諸島の大戸島基地に着陸しました。その夜、基地は15mほどある巨大生物、呉爾羅(ゴジラ)に襲われ、隊長の橘(青木崇高)以外は全滅します。橘はゴジラにゼロ戦の機銃を向けなかった敷島をなじるのでした。

冬になって、敷島は復員して東京に戻ると両親は空襲で亡くなっていました。そして、誰かから託された赤ん坊の明子を連れた大石典子(浜辺美波)と、成り行きで共同生活を始めるのです。

しだいに疑似家族となっていく3人。敷島は危険な機雷除去の仕事に就き、除去船「新生丸」の艇長秋津(佐々木蔵之介)、兵器開発の経験がある野田(吉岡秀隆)、乗組員の水島(山田裕貴)らと知り合います。少しずつ生活が安定し、典子も銀座で事務員の仕事を始めました。

その頃、小笠原海域で正体不明の巨大生物による船舶の破壊が相次ぎ、その巨大生物は本土に向かっていることが想定されました。新生丸は、巨大生物の足止めをしろという指令を受けるのです。

巨大生物は、1947年にアメリカが行ったビキニ環礁での水爆実験の影響で50m以上に巨大化したゴジラだったのです。ゴジラは、新生丸の前で巡洋艦を破壊します。敷島は、自分の無力さ、そして今まで死から逃げていたことを苦悩するのです。

東京湾から銀座に上陸したゴジラは、街を破壊し典子もその犠牲となってしまう。アメリカの協力も無く、日本には軍隊はすでにない。ゴジラを駆除するには民間の力を結集するしかなく、野田の発案によりわだつみ作戦が始動します。

敷島は唯一残っていた戦闘機「震電」に搭乗し、ゴジラを作戦海域に誘導するのですが、内部からの爆発しかゴジラを倒せないと考え、野田らには言わずに震電の頭部に強力な爆薬を搭載させ特攻する意思を固めていたのです。

監督・脚本は山崎貴。「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズをはじめ、多くの作品で世界に肩を並べるVFXを展開してきたその凄腕はもここでも遺憾なく発揮されています。ただし、山崎監督の素晴らしいのは、CG主流となって作り物の世界で終わってしまいやすい映画の中に、人間ドラマとしての魅力を注ぎ込んだところにあります。

1954年が舞台となったゴジラ映画第1作よりも以前、戦争末期から戦後すぐの時代に設定したことが「-1.0」の意味ですが、死ぬことが目的となった大戦末期に「生き残ってしまった人々」の苦悩がストーリーの骨格にあることは注目すべき点です。彼らにとって「戦争」は終わっていないわけで、新しい時代に「生き残る」ことを目的として自らの戦争を終わらせたいという心情が描かれているのです。

つまり、この映画でのゴジラは主役ではなく、一人一人の戦争を終わらせ苦悩から解放し未来に立ち向かうための道具の一つに過ぎないと言っても過言ではありません。その点では、今までのどの「ゴジラ」映画とも一線を画するものであり、怪獣物と呼ぶよりは人間ドラマとして実に巧妙に仕上がっています。

特攻から逃げ精神的弱さを持つ主人公、敷島を演じる神木隆之介の演技が素晴らしい。演出でも、いちいち説明しなくても、いろいろな小道具を利用して状況が理解できて、観ている者が自然に感情移入できるようになっています。敷島とは違う状況で、戦争の傷を乗り越えようとする浜辺美波の演技も存在感があります。

忘れてはならないのは、隣のおばちゃん役の安藤サクラ。はじめは復員してきた敷島を「生きておめおめと帰って来て」と罵りますが、しだいに敷島と典子の応援団にかわっていく様子はなかなかのものです。「るろうに剣心」で神木と共演した青木崇高も、敷島の本気を知って協力するのは嬉しいところ。

とにかく、怪獣が登場する映画でこれだけ感動できるものは初めてといってもよく、ゴジラ・シリーズとしては異色作かもしれませんが、絶対に死ぬまでに見ておくべき映画の一つとして強く推薦します。