2025年5月13日火曜日

茶の味 (2004)

石井克人は、多くのCMディレクターとして活躍していますが、1999年に「鮫肌男と桃尻女」の監督・脚本で注目されました。この映画でも、原作・脚本・監督・編集とほぼすべての役柄をこなして、4年間かけて作り上げています。

里山の町(ロケは栃木県芳賀郡茂木町)を舞台に、春野一家の日常をのんびりと描いています。起承転結は何となく有るような無いような、時々意味不明のシュールなシーンとユーモアを交えながら進行する作品です。

高校1年生の春野一(佐藤貴広)が全力疾走するシーンからスタート。一は片思いの女の子が引っ越してしまい、彼女が乗っている3両編成の電車を追いかけているのですが、間に合うわけもなく、頭の中から電車が飛び出して消えていくのです。

この冒頭からして、何だこれは?!的な状況で、妹の小学生の幸子(坂野真弥)は縁側に座っていて、右を見ると窓からのぞいていた離れのおじいちゃん(我修院達也)が窓を閉める。幸子が見るのをやめるとまた窓が開く、ということを延々と繰り返しています。それとともに、幸子の前には巨大な幸子が出たり引っ込んだりしているのです。

父親のノブオ(三浦友和)は催眠療法士で、母親の美子(手塚理美)は家でアニメーターの仕事をしています。おじいさんは急に独特な歌を歌ったり、美子の作画のポーズのアイデアを実演したりする、それなりに変わり者。

美子の弟で東京で録音技師をしているアヤノ(浅野忠信)が、しはらく同居していて、こどもたちに呪いの森の話をします。それはアヤノが小学生の時、森で土に半分だけ埋まっている卵を発見して、その上に野糞をしたら、血だらけの刺青をした男がいつも自分の周りに現れるようになったというもの。しばらくしてまったく姿を見せなくなったのですが、実はそれは人の頭蓋骨で、発見され上に乗っていた糞が取り除かれたため成仏できたらしい。

幸子は逆上がりが出来るようになりたくて、林の奥の今は立ち入り禁止になっている公園で練習をしています。もしかしたら、アヤノの話のように逆上がりが出来れば、巨大化した自分は現れなくなるかもという淡い期待を持っていました。

ノブオの弟の一騎(轟木一騎)も東京で漫画家になっていましたが、自分の誕生日祝い用だっと言って、アヤノの手伝ってもらい、おじいちゃんも巻き込んで「山よ、山よ・・・」と叫ぶ変な歌を作り上げました。

学校に鈴石アオイ(土屋アンナ)が転校してきて、一は一目惚れしてしまいます。アオイが囲碁部に入部したことを知ると、日頃からノブオやアヤノと碁を打っていたので、かぜんやる気を出した一も入部します。やっと、一はアオイと対局することができて嬉しくてしょうがない。帰り道は、雨が降っていて相合傘。バス停で別れるとき、一はアオイに傘を渡して、雨の中を嬉しそうに走り出すのでした。


・・・というシーンがこれなんですが、まぁ、実に楽しそうだこと。

美子の仕事は大成功で喜んだのも束の間、おじいちゃんが亡くなりました。おじいちゃんは家族の一人一人の様子を大きなパラパラまんがにして残していました。幸子のは、逆上がりができて笑っているものでした。幸子は再び公園に行って練習をしていると、やっとコツがわかって逆上がりに成功します。

すると巨大な幸子は消え、代わりに巨大なヒマワリが登場して、どんどん大きくなって幸子を飲み込み、日本を飲み込み、そして地球も飲み込んでいくのでした。宇宙でヒマワリは飛散すると、あとには美しい夕焼けが広がっていて、それぞれの場所でみんなが心静かに眺めるのでした。

まず、最近よく言われる「伏線回収」とかにこだわる人には絶対無理な映画です。ちょっと幸せな気分になれる何かほのぼのとした時間を過ごしたい方には、超おススメの映画です。美しい風景をたっぷりと見れて、ゆったりとした無駄とも言えるたくさんの間合いは、好きな人にはかなりはまると思います。143分という長めの作品ですが、自分はまったく飽きることなく見ることができました。

俳優さんたちの演技は、実に自然で気負いがなく、もしかしたら脚本にはセリフは書かれていなくて、全部アドリブじゃないかと思えるくらい普通の会話です。当然、説明っぽいセリフも皆無で、映像や前後の展開で見る者が想像することが期待されています。

だからと言って、この映画が描きたいことは何だとか、あまりつきつめて考えない方が良さそうな作品です。それぞれの年齢や立場によって、漠然と抱えている不安みたいなものをパッチワークのようにつなげていったものかもしれません。