昨日に続いて、今夜も会合に出席しました。
勉強会とか講演会ではなく会合と書いたのは、ちょっと理由があります。今夜の会は、聖マリアンナ医科大学のリウマチ内科とリウマチを専門にする診療所の連携の会で、お互いの顔を合わすことと、連携の方法を検討しようという会。
昨日も書いたように、病診連携を推進する動きは、あの小泉改革から始まったわけで、政治が診療報酬を餌に誘導している政策の一つ。
とはいえ、実際に病院側としても、過密になった診療業務を何とかする打開策として、連携をそれぞれの科の特性を生かして行っていこうと考えるのは必然です。
基本的な考え方としては、関節の痛みがある患者さんが一般の診療所、それはたいてい整形外科診療所かもしれませんが、受診します。そこで、リウマチの可能性が考えられた場合、専門の診療所または大学病院に紹介して確定診断を仰ぎます。
確定診断が出た場合には、通常の治療を開始し、うまくコントロールが付けばいいのですが、なかなかコントロールできなかったり合併症を起こしたりした場合には大学病院にまかせます。大学は落ち着いた場合には、もとの診療所に患者さんを戻し、今後も何かあったときのバックアップをしていく。
ところがいろいろと問題はあって、簡単には問屋がおろさない。
自分が感じているのは、医者の側は意思が統一できたとしても、患者さんの意識はどうかということ。一度大学で診療を受けると、主として安心感から患者さんは医者を簡単には変えたくないと思うのが自然でしょう。逆紹介と言うのは、意外と難しいものです。
また。大学病院というのは、先端の医療技術を実践できる場所であり、単なる診療だけでなく研究という大事な使命があります。ですから、継続的に患者さんを治療して、その成績をまとめて学会などで報告していくことも必要なこと。患者さんを返してばかりでは、なかなかそのあたりの仕事が成果を示せない。
診療所のほうにも、いろいろ問題はあります。診療所によって、何をどこまでできるかはいろいろ。
関節リウマチについていうと・・・
早期に確定診断ができる。診断に使うツールは・・・血液検査、単純レントゲン、MRI検査、CT検査、超音波検査などなどで、そのうち診療所内でできるものと、外注でできるものがあります。
治療を開始するにしても、従来の内服薬だけ、メソトレキサートを使いこなせる、生物学的製剤を使用できる、それは皮下注射のものに限る、あるいは点滴のもの可能。
合併症や副作用のチェックが可能で、それに対しての初期対処が可能かどうか。 場合によっては、より高度の検査や入院加療についての連携先があるかないかなども考慮しないといけません。
過激なことを言うと、整形外科医として恥ずかしい話ですが、これらのリウマチ診療に必要な技術が一つもないような状況で「リウマチ科」を同時に標榜している診療所は山ほどあるんです。それを直接的に批判する事はできません。自分も、整形外科の守備範囲のすべてに精通して、自信を持って診療が行えるわけではありません。
ですから、田園都市リウマチフォーラムの活動は重要なんです。本当にリウマチを専門的に診療ができる診療所のネットワークを作って、知識・技術の均等化をはかり、大学病院との連携を効率的に行えるための下地として根付く必要があるんです。そして、今後は患者さんに対しても、リウマチ専門の診療所をしっかりとアナウンスしていくことが大切。
とにかく、簡単なことではないのですが、今夜の会も少しでも前進して行くための大事な会合です。専門医資格を維持していくための単位がとれる講演会でなくても、しっかりと出席したくなる意味があるものでした。
2013年3月13日水曜日
開業医向け講演会
今日はリウマチの勉強会で、新横浜。自分が関節リウマチに力を入れている関係で、この手の勉強会の案内はリウマチ関連ばかりで、いかに共催の製薬会社がリウマチ薬に力を入れているかわかります。
整形外科全体で考えると、他に講演会のテーマはほぼ骨粗しょう症のみと言っても過言ではありません。もともと、整形外科は薬をあまり使う科ではないので、スポンサーになる製薬会社も協力する部分が限られるのでしょう。
医者のための講演会は、学会などで集中的に行われるものがありますが、開業医はなかなか参加する時間が取りにくい。クリニックを休診して学会に参加するというのは、おいそれとはできません。
そこで、日々診療終了後の時間に小さな講演会がいろいろ行われています。この手の勉強会は、医者が主体になって自分たちが知りたいことを中心に企画し、製薬会社に協力してもらうものと、製薬会社が売りたい薬の広告的な目的で行うものにわかれるようです。
前者の例としては、自分を含めて近隣のリウマチ専門の先生方と一緒にやっているのが「田園都市リウマチフォーラム」です。リウマチ薬を出している製薬会社が共催として手伝ってくれるのですが、勉強したい内容と講師を考えるのは自分たち世話人。
一方、製薬会社主体の会では、その薬そのものについての病気や薬の効果などについての話に限定され、より全国的に有名な先生が講師になる事が多い。高名な先生の話を直接聞く機会は多くはないので、それなりに意義があるものです。
ただ、テーマが偏ってしまうので、案内されるものすべてに出席しようとは思えません。自分の日程に無理がなく、少しでも聞きたいような内容ならば行ってみようというところ。実際は行きたくなる事は多くはなく、「この薬はこれだけ効きます」的な話はちょっとうんざりというのが本音。
医者が主体の会では、最近やたらと増えてきたのが病診連携を目的とするもの。開業医と病院の医師の顔つなぎのために行われるわけで、開業医は自分の施設では扱いにくい重病や合併症がある患者さんを病院に紹介しやすくします。
一方、病院側は紹介率を増やし、軽症患者さんを減って勤務医の外来負担の軽減と病院機能の効率化が目的です。そのために、連携パスというものを作ってどういう形で患者さんをやり取りするかのルールを作ったり、開業医と病院の間で一定の治療法を検証していくような企画が多くなってきました。
その理由は、この何年か勤務医の負担が多いと言われるようになって、厚労省が決めている医療の定価(診療報酬)が何度か変更され、少しずつ診療所と病院の役割分担をはっきりさせる方向に誘導しているからです。もっとも、開業医の立場というものももう少し考慮してもらいたいところもありますけれど・・・
いずれにしても、全科的にはものすごい数の勉強会が毎日行われているわけで、その中から自分が必要とするものをうまく選択して、日々の診療に生かしていくことが大切。 医者は一生勉強と言いますが、本当に知識のアップデートを怠ると大変な事になるので、サボるわけにはいきませんね。
整形外科全体で考えると、他に講演会のテーマはほぼ骨粗しょう症のみと言っても過言ではありません。もともと、整形外科は薬をあまり使う科ではないので、スポンサーになる製薬会社も協力する部分が限られるのでしょう。
医者のための講演会は、学会などで集中的に行われるものがありますが、開業医はなかなか参加する時間が取りにくい。クリニックを休診して学会に参加するというのは、おいそれとはできません。
そこで、日々診療終了後の時間に小さな講演会がいろいろ行われています。この手の勉強会は、医者が主体になって自分たちが知りたいことを中心に企画し、製薬会社に協力してもらうものと、製薬会社が売りたい薬の広告的な目的で行うものにわかれるようです。
前者の例としては、自分を含めて近隣のリウマチ専門の先生方と一緒にやっているのが「田園都市リウマチフォーラム」です。リウマチ薬を出している製薬会社が共催として手伝ってくれるのですが、勉強したい内容と講師を考えるのは自分たち世話人。
一方、製薬会社主体の会では、その薬そのものについての病気や薬の効果などについての話に限定され、より全国的に有名な先生が講師になる事が多い。高名な先生の話を直接聞く機会は多くはないので、それなりに意義があるものです。
ただ、テーマが偏ってしまうので、案内されるものすべてに出席しようとは思えません。自分の日程に無理がなく、少しでも聞きたいような内容ならば行ってみようというところ。実際は行きたくなる事は多くはなく、「この薬はこれだけ効きます」的な話はちょっとうんざりというのが本音。
医者が主体の会では、最近やたらと増えてきたのが病診連携を目的とするもの。開業医と病院の医師の顔つなぎのために行われるわけで、開業医は自分の施設では扱いにくい重病や合併症がある患者さんを病院に紹介しやすくします。
一方、病院側は紹介率を増やし、軽症患者さんを減って勤務医の外来負担の軽減と病院機能の効率化が目的です。そのために、連携パスというものを作ってどういう形で患者さんをやり取りするかのルールを作ったり、開業医と病院の間で一定の治療法を検証していくような企画が多くなってきました。
その理由は、この何年か勤務医の負担が多いと言われるようになって、厚労省が決めている医療の定価(診療報酬)が何度か変更され、少しずつ診療所と病院の役割分担をはっきりさせる方向に誘導しているからです。もっとも、開業医の立場というものももう少し考慮してもらいたいところもありますけれど・・・
いずれにしても、全科的にはものすごい数の勉強会が毎日行われているわけで、その中から自分が必要とするものをうまく選択して、日々の診療に生かしていくことが大切。 医者は一生勉強と言いますが、本当に知識のアップデートを怠ると大変な事になるので、サボるわけにはいきませんね。
2013年3月12日火曜日
テレビ放送
昨日は、東日本大震災について書き始めたら、途中で話の焦点が多少ずれたような気がしていました。自分でも書いていて、実はなるほどと思っていたんですが、それは自分がテレビというものに大変影響を受けてきたということなんです。
日本でテレビ放送が始まったのは昭和28年のこと。テレビ放送が、市民の生活を大きく変えたと言えるのは、それまでニュース映画で動画を見ることができたとは言え、ニュースを知るための手段は音声だけのラジオか、活字媒体の新聞でした。
テレビの登場は、お茶の間(これも死語に近いですが)に直接ニュースを届ける事ができるようになったことを意味します。世界の出来事がほぼリアルタイムで動画として観る事ができたり、わざわざ出かけていかなくても憧れのスターに会えたりするのです。
何しろアメリカの初めて衛星放送が始まったのが昭和38年11月で、最初に飛び込んできたのはケネディ大統領暗殺のニュースだったことは象徴的です。
昨日、いまだに自分が記憶に残る大きな出来事としてあげたものは、どれもテレビを通じて知った事でしたし、テレビによってその場にいないにもかかわらず、まるで直接見ていたかのような鮮明な記憶になっていたということなんです。
東京オリンピックだけは住んでいたところの近くに会場が集中していて、実体験できたものでしたが、さすがに幼稚園児だったので記憶は曖昧な部分が多く、後からニュースなどで補足して出来上がったメモリーでしょう。
唯一、本当に体験したのは日本万国博覧会。春休みと夏休みに、それぞれ1日ずつ2回も連れて行ってもらえました。でも、父親が並んで待つのが嫌いな性格だったので、人気のアメリカ館、日本館、ソビエト館、三菱重工館などはまったく見ていない。
浅間山荘事件は、小学校から帰ってくると、父親が「テレビで戦争を生中継している」と興奮していたのを覚えています。たぶん午後2時くらいから、 犯人が捕まるすでに暗くなってきた午後6時すぎまでずっとテレビを見続けました。
日航機墜落も事件発生直後のニュース速報から、テレビはつけっぱなし。翌日の奇跡的な生存者の救出シーンも、目が離せませんでした。ダッチロールとか圧力隔壁といった、耳慣れない言葉は魔法のように自分をテレビに釘つげにしたものです。
阪神大震災では倒れた高速道路に自分の目を疑い、アメリカ同時多発テロはビルに飛び込んでいく飛行機は何かの映画を見ているような気がしました。 これらは、あまりに衝撃的すぎて、かえって「今放送されているものは嘘ではないか」と思えたのです。
テレビがあまりにも簡単に真実を映し出すことが、逆に想像力を超えてしまったということなのでしょう。理解の限界を超えてしまうと、それはかえって作り話のような印象を与えてしまうものなんです。
しかし、東日本大震災は違います。その一端を自分でも体験し、自分でも何が起こったのかを理解したいし、自分がどうすればいいかも知りたい。テレビで映し出された、津波の映像はまさに現実として脳裏に刻まれました。
これからも、テレビはたくさんの世界中のニュースを簡単に家庭に届け続けるのだろうと思います。しかし、その内容を直接体験したのかしないのか、また事件の大きさなどによっても、観ているものにはいろいろな違った印象を与えるものなんですね。
映し出されているものは、真実だとしてもいろいろな価値観が与えられていくわけで、テレビの善悪のようなものは一定の評価の中にはありません。自分がしっかりと判断する力を持たないと、どんどん流されてしまうのかもしれませんね。
日本でテレビ放送が始まったのは昭和28年のこと。テレビ放送が、市民の生活を大きく変えたと言えるのは、それまでニュース映画で動画を見ることができたとは言え、ニュースを知るための手段は音声だけのラジオか、活字媒体の新聞でした。
テレビの登場は、お茶の間(これも死語に近いですが)に直接ニュースを届ける事ができるようになったことを意味します。世界の出来事がほぼリアルタイムで動画として観る事ができたり、わざわざ出かけていかなくても憧れのスターに会えたりするのです。
何しろアメリカの初めて衛星放送が始まったのが昭和38年11月で、最初に飛び込んできたのはケネディ大統領暗殺のニュースだったことは象徴的です。
昨日、いまだに自分が記憶に残る大きな出来事としてあげたものは、どれもテレビを通じて知った事でしたし、テレビによってその場にいないにもかかわらず、まるで直接見ていたかのような鮮明な記憶になっていたということなんです。
東京オリンピックだけは住んでいたところの近くに会場が集中していて、実体験できたものでしたが、さすがに幼稚園児だったので記憶は曖昧な部分が多く、後からニュースなどで補足して出来上がったメモリーでしょう。
唯一、本当に体験したのは日本万国博覧会。春休みと夏休みに、それぞれ1日ずつ2回も連れて行ってもらえました。でも、父親が並んで待つのが嫌いな性格だったので、人気のアメリカ館、日本館、ソビエト館、三菱重工館などはまったく見ていない。
浅間山荘事件は、小学校から帰ってくると、父親が「テレビで戦争を生中継している」と興奮していたのを覚えています。たぶん午後2時くらいから、 犯人が捕まるすでに暗くなってきた午後6時すぎまでずっとテレビを見続けました。
日航機墜落も事件発生直後のニュース速報から、テレビはつけっぱなし。翌日の奇跡的な生存者の救出シーンも、目が離せませんでした。ダッチロールとか圧力隔壁といった、耳慣れない言葉は魔法のように自分をテレビに釘つげにしたものです。
阪神大震災では倒れた高速道路に自分の目を疑い、アメリカ同時多発テロはビルに飛び込んでいく飛行機は何かの映画を見ているような気がしました。 これらは、あまりに衝撃的すぎて、かえって「今放送されているものは嘘ではないか」と思えたのです。
テレビがあまりにも簡単に真実を映し出すことが、逆に想像力を超えてしまったということなのでしょう。理解の限界を超えてしまうと、それはかえって作り話のような印象を与えてしまうものなんです。
しかし、東日本大震災は違います。その一端を自分でも体験し、自分でも何が起こったのかを理解したいし、自分がどうすればいいかも知りたい。テレビで映し出された、津波の映像はまさに現実として脳裏に刻まれました。
これからも、テレビはたくさんの世界中のニュースを簡単に家庭に届け続けるのだろうと思います。しかし、その内容を直接体験したのかしないのか、また事件の大きさなどによっても、観ているものにはいろいろな違った印象を与えるものなんですね。
映し出されているものは、真実だとしてもいろいろな価値観が与えられていくわけで、テレビの善悪のようなものは一定の評価の中にはありません。自分がしっかりと判断する力を持たないと、どんどん流されてしまうのかもしれませんね。
2013年3月11日月曜日
震災から2年
東日本大震災と呼ばれるようになった、戦後最大の災害から今日で丸2年です。自分のふだんの生活エリアでは、直接的な被害はほとんどなかったものの、過去に経験した事が無い地震の揺れと、停電による混乱は忘れられません。
自分が経験してきた大きな出来事というと、東京オリンピック(昭和39年)、日本万国博覧会(昭和45年)、連合赤軍の浅間山荘事件(昭和47年)、日航ジャンボ機墜落(昭和60年)などがすぐに思いつきます。
これらはすべて昭和の出来事。戦後の高度経済成長の時代、日本はいいことだらけで、どんどん大きくなることだけを考えていたわけで、最近のどこかの国のように空はいつでもスモッグで煙っていました。
しかし、しだいに成長の裏側で、いろいろな社会の歪が噴出し始め、暗い事件ばかりが記憶に残るようになりました。平成に入ってからは、バブル崩壊(平成3年)、阪神淡路大震災(平成7年)、アメリカ同時多発テロ(平成13年)と続き、そして東日本大震災(平成23年)。
今の日本で、主な「大人」の代表が戦後昭和人ととするならば、「若者」というのは平成生まれの方々。両者の間には、高度経済成長・バブル経済という時代の経験の違い・・・だけではないでしょうが、同じ日本人としてジェネレーション・ギャップが存在するとよく言われます。
若者は、日本の景気のよかった時代を知らず、頭をたれて萎縮した社会の中で育ってきた事は間違いありません。大人との間で、考え方の根本的な格差が生じるのはやむを得ないかもしれません。
しかし、東日本大震災は違います。そういう大人と若者が、日本人として共有できる大きな事件なのです。もちろん、事件としては悲しみしかない悲惨なものてすが、それをバネにして新しい何かを生み出していくきっかけにできるのです。
しだいに、少しずつ記憶は風化して記録になっていくことは避けられません。東日本大震災も、いつの日か歴史の一つになるのでしょぅが、まだまだ実際に体験した日本人は、世代に関係なく同じ方向に向かっていけるのかなと思います。
自分が経験してきた大きな出来事というと、東京オリンピック(昭和39年)、日本万国博覧会(昭和45年)、連合赤軍の浅間山荘事件(昭和47年)、日航ジャンボ機墜落(昭和60年)などがすぐに思いつきます。
これらはすべて昭和の出来事。戦後の高度経済成長の時代、日本はいいことだらけで、どんどん大きくなることだけを考えていたわけで、最近のどこかの国のように空はいつでもスモッグで煙っていました。
しかし、しだいに成長の裏側で、いろいろな社会の歪が噴出し始め、暗い事件ばかりが記憶に残るようになりました。平成に入ってからは、バブル崩壊(平成3年)、阪神淡路大震災(平成7年)、アメリカ同時多発テロ(平成13年)と続き、そして東日本大震災(平成23年)。
今の日本で、主な「大人」の代表が戦後昭和人ととするならば、「若者」というのは平成生まれの方々。両者の間には、高度経済成長・バブル経済という時代の経験の違い・・・だけではないでしょうが、同じ日本人としてジェネレーション・ギャップが存在するとよく言われます。
若者は、日本の景気のよかった時代を知らず、頭をたれて萎縮した社会の中で育ってきた事は間違いありません。大人との間で、考え方の根本的な格差が生じるのはやむを得ないかもしれません。
しかし、東日本大震災は違います。そういう大人と若者が、日本人として共有できる大きな事件なのです。もちろん、事件としては悲しみしかない悲惨なものてすが、それをバネにして新しい何かを生み出していくきっかけにできるのです。
しだいに、少しずつ記憶は風化して記録になっていくことは避けられません。東日本大震災も、いつの日か歴史の一つになるのでしょぅが、まだまだ実際に体験した日本人は、世代に関係なく同じ方向に向かっていけるのかなと思います。
2013年3月10日日曜日
黄砂・花粉とPM2.5
今日は日曜日。めっきり春めいて、さわやかな晴天の朝。ですが、天気予報では、黄砂と花粉が飛びまくり、さらに何かと話題の中国から(?)来ているPM2.5のトリプル・パンチとのこと。
午前中は、南風がけっこう強くて、気温もどんどん上昇し昼には24度という、初夏並みの暖かさ。と思っていたら、風が少しおさまってきたと思ったとたん、急に空の色が変わってきました。
全体に黄色調で、薄ぼんやりとした空で、そうそう去年の日食のときのような感じ。晴れているんですが、太陽は輪郭がまったくわからない。2kmと離れていないあたりが黄色く煙っていて、よく見えません。
いやはや、こりゃすごいもんです。黄砂の飛来は自然現象ですから、まぁしょぅがないとあきらめます。自分は今までのところ花粉症ではないので我慢できますが、目や鼻が大変になっている人にとっては、この中にどんだけの花粉が混ざっていると考えると恐ろしいことでしょう。
さこへもってきて、PM2.5とやらが混入してきたから、さらに話は複雑です。ニュースで報道されているようなことが真実ならば、内政干渉と言われようと政府には厳重な抗議と、また解消するための援助をしてもらいたいものです。
・・・と、ここまで書いてみたら、夕方のニュースで、この黄色の空の正体は「煙霧(えんむ)」 というらしく、地表の埃が巻き上げられたものだと。
黄砂は観測されないと気象庁は言っているらしいのですが、じゃあ、車につもった茶色の細かい粉状の砂は何ですか。地表の誇り? うーん、ほんまかいな。
午前中は、南風がけっこう強くて、気温もどんどん上昇し昼には24度という、初夏並みの暖かさ。と思っていたら、風が少しおさまってきたと思ったとたん、急に空の色が変わってきました。
全体に黄色調で、薄ぼんやりとした空で、そうそう去年の日食のときのような感じ。晴れているんですが、太陽は輪郭がまったくわからない。2kmと離れていないあたりが黄色く煙っていて、よく見えません。
いやはや、こりゃすごいもんです。黄砂の飛来は自然現象ですから、まぁしょぅがないとあきらめます。自分は今までのところ花粉症ではないので我慢できますが、目や鼻が大変になっている人にとっては、この中にどんだけの花粉が混ざっていると考えると恐ろしいことでしょう。
さこへもってきて、PM2.5とやらが混入してきたから、さらに話は複雑です。ニュースで報道されているようなことが真実ならば、内政干渉と言われようと政府には厳重な抗議と、また解消するための援助をしてもらいたいものです。
・・・と、ここまで書いてみたら、夕方のニュースで、この黄色の空の正体は「煙霧(えんむ)」 というらしく、地表の埃が巻き上げられたものだと。
黄砂は観測されないと気象庁は言っているらしいのですが、じゃあ、車につもった茶色の細かい粉状の砂は何ですか。地表の誇り? うーん、ほんまかいな。
2013年3月9日土曜日
テルマエ・ロマエ (2012)
最近の映画・テレビは、たいてい原作がマンガということで、この作品も例にもれずです。それが悪いとは言いませんが、映像を作る側がマンガしか見ない世代が中心なのか、あるいはオリジナルのストーリーをくみ上げる力がないのか・・・
それはさておき、映画そのものは確かによくできている。評判になったように、「濃い」顔の俳優を選び抜いて、古代ローマ人として登場させても違和感がない。
ただ、ひねくれ者の自分としては、ちょっとだけ意義を唱えておきたい事があります。
主人公は、古代ローマの風呂作りの技師。ですから、彼が現代日本に何故かタイム・スリップして、そこから得たアイデアを持ち帰り古代ローマでヒットさせるというのが、ストーリーの主軸です。
ですから、映画そのものには、なんの問題もなく文句のつけようがない・・・のですが、宣伝でやたらと目立っていたのが、現代日本でのあわてぶりでした。
つまり、この映画を宣伝する映画会社の方針は、現代日本に何故かタイム・スリップしてきた古代ローマの風呂作りの技師が、そのカルチャー・ギャップであわてふためくところを楽しむコメディだというものだったわけです。
映画を作った人たち、監督とか俳優さんとかと、映画を売ろうとしている人たちの間には明らかな、作品に対する考え方の違いが存在していて、観ている側からすると何がしかの物足りなさが生じる部分がある。
初めて観るときの観客の期待は、もしも古代ローマ人が現代日本に登場したらどんなコメディが生まれるだろうかという興味に集中しているのですが、実際そういうシーンは前半の一部であって、いわゆる「つかみ」にすぎないのです。
108分間の映画の多くは、古代ローマにタイム・スリップした現代日本人が、その知識を生かして古代ローマで風呂作りに協力する話に使われています。それは、あまり笑いの要素は入り込みにくい、言ってみれば異世界に入り込んで、そこで精一杯生き抜いていくしかなくという悲壮感すら漂うわけです。
そういう意味で、よくできた映画だと思うわけです。もともとタイム・スリップという荒唐無稽なテーマですから、いろいろとご都合主義的な展開はありますが、時空を超えて風呂作りに一致団結する話としてよくまとまった内容でした。
2013年3月8日金曜日
プラモデル
でもって、作るのは何かと言うと、戦争物だと戦車や零戦や戦艦。スポーツカーや日本のお城シリーズなんていうのもありましたが、一番よく作ったのはテレビのヒーロー物。
日本だと鉄腕アトム、鉄人28号、外国だとサンダーバード。ウルトラマンやウルトラセブンに登場する、飛行機や自動車も大人気でした。
小学生ですから、おこずかいはたかが知れているので、予算は50円からで、誕生日とかだと数千円くらいまでだったかと思います。50円はかなりお気楽なもので、鉄人のボディ表裏、腕や足もそれぞれが表裏程度で、全部のパーツでも10個くらい。あっという間にできあがり、水に浸して浮いてくるシールを貼っておしまい。
よく作る標準的なものだと、だいたい500円くらいのもの。パーツは50~100個程度でしょぅか。こうなると、制作時間延べ数時間となり、時には接着する前に彩色して、より高い完成度を目指したりしたくなるわけです。
中に動力を組み込んで、完成後に動くものは特に楽しい。ただ、500円前後まではたいてい動力はぜんまいで、動き出したらコントロールできません。1000円近くなると、電池と(マブチの)モーターを組み込んで、いっそうマニアック。
いつだったか、サンダーバードの秘密基地のセットを誕生日にもらったのですが、確か5000円くらいで1号の出口のプールが開閉したり、空中に吊り上げた5号がくるくる廻ったりするのをモーターで行うセットがありました。
ところが、実際にもらったのはぜんまい仕掛けのタイプ、3000円です。動きはだいぶ違うし、なんともがっかりした記憶があります。
その後は、プラモデルはどうなったんでしょぅかね。おもちゃの専門店では、時折昔ながらのものを少しは見たことがありますが、大多数はガンプラと呼ばれる、ガンダム・シリーズのものばかり。
しかも、接着剤を使わないようにパチっとはめ込んでおしまい。
塗料はシンナーを使うのでだめらしく、最初から豪華に塗装がしてあったりして、もはや作る喜びみたいなものは期待すべくもありません。
今から考えると、こういう遊びは物を作ったり壊したりしながら、いろいろなものの仕組みとかを覚える事に役立っているわけで、こどものイマジネーションを豊かにする事に貢献していたんだろうと思います。
今のこどもたちは、どうやって心を豊かにしているんでしょぅかね。
2013年3月7日木曜日
卒業シーズン開幕
急に春めいてまいりました。今年の冬は、例年になく寒く感じていただけに、だいぶ暖かさを強く感じますね。
周りを見渡してみると、いつの間にか梅がほぼ満開。寒いと、下ばかり見て歩いていたのか、こういう季節の風物に気が付きにくいものだと思います。
受験生の方は国公立も終了し、後は結果を待つだけ。すでに「桜咲く」の報を受け取った方もいるでしょぅし、残念ながらもう一年という方も・・・
いろいろな卒業というイベントもたくさんあります。当然、そこには人と人との別れのシーンがあって、涙や笑いなどいろいろな感情が交錯するものです。
別れというと寂しい感じになりますが、あくまでも今までの関係が終了するだけで、新しい関係へのステップアップだと考えたらどうでしょう。難しい言い回しをすると、発展的解消というやつ。
それまでの集団の中で自由を感じていたのかもしれませんが、実際はその集団のルールに縛られていたはずです。「別れ」の後は、そういう束縛からは解放されて、より自由な関係を築く事ができるはずです。
そして桜が咲く頃になると、そこに新しい出逢いがあり、人はより成長していくんだろうと。この時期が、より多感な若い人ほど、人間として大きくなっていく上で重要なんだと思います。
周りを見渡してみると、いつの間にか梅がほぼ満開。寒いと、下ばかり見て歩いていたのか、こういう季節の風物に気が付きにくいものだと思います。
受験生の方は国公立も終了し、後は結果を待つだけ。すでに「桜咲く」の報を受け取った方もいるでしょぅし、残念ながらもう一年という方も・・・
いろいろな卒業というイベントもたくさんあります。当然、そこには人と人との別れのシーンがあって、涙や笑いなどいろいろな感情が交錯するものです。
別れというと寂しい感じになりますが、あくまでも今までの関係が終了するだけで、新しい関係へのステップアップだと考えたらどうでしょう。難しい言い回しをすると、発展的解消というやつ。
それまでの集団の中で自由を感じていたのかもしれませんが、実際はその集団のルールに縛られていたはずです。「別れ」の後は、そういう束縛からは解放されて、より自由な関係を築く事ができるはずです。
そして桜が咲く頃になると、そこに新しい出逢いがあり、人はより成長していくんだろうと。この時期が、より多感な若い人ほど、人間として大きくなっていく上で重要なんだと思います。
2013年3月6日水曜日
何かとがっかり
今更言うまでも無く、うちのクリニックの看板は整形外科。大学病院で勤務していた頃は、「整形外科は全身管理ができない」とよく言われ、事実苦手にしていたことは否定できません。
言い訳をすると、そもそも全身管理を必要とする患者さんが少ないので、なかなかトレーニングされないというところが大きい。自分の頃は、医者になって最初の2年間は関連する科をローテーションして、整形外科では学べないスキルを身につけるシステムでした。
1年目の5月から勤務が始まり、最初の半年は整形外科、11月からは分院の整形外科、2月から放射線科を廻りました。2年目の5月からは外科、8月からまた整形外科に戻って、10月から麻酔科、そして最後に1月から救命センターでしたた。
あらためて見ると、整形外科だけでも半分の1年くらい。今から考えると、これを半分くらいにして、呼吸器とか循環器のような命にかかわる病気が多い内科をローテーションしたかった感じです。
さすがに、長年医者をやっていると、骨だけの事を考えているわけにはいかず、いろいろな内科的な合併症を持った患者さんなどに遭遇するために、最低限の他科の知識も積み上げられていくものです。
まあ、いまだに当直バイトやっていると、主として仕事内容は内科的な部分なので、多少は「一般医」的な部分を維持していくことに役に立っているだろうとは思います。
最近、ちょっと気分的にがっかりすることがありました。開院以来ずっと診させてもらっていた関節リウマチの患者さんで、もともと肺の合併症を持っている方がいます。これまで、しばしば肺の検査もしていたのですが、変な咳が出るという のでCT検査をしたところ、悪性腫瘍らしきものを発見しました。
そこで、大学病院呼吸器科に紹介受診してもらったのですが、待てど暮らせど結果の報告がない。患者さんに直接聞いても、高齢のせいか家族とばかり話をしていて自分には説明がないのでわからないという。
そうこうしているうちに、他の病院からこれまでの経過がわかるような紹介状が欲しいと連絡がありました。大学病院は、悪性腫瘍だけど治療はせず今後は在宅で管理するようにということで、別の病院に患者さんを紹介したということでした。
うちへの連絡も無く、通院は継続しているにもかかわらず、知らないところで話が進んでいたと言うわけで、うがった見方をすれば「整形外科だから呼吸器はどうせ診ないだろう」と考えられたということでしょうか。
もちろん、自分は呼吸器専門ではありませんし(だから大学に紹介するわけで)、在宅医療を行っているわけではないので、現状の患者さんのニーズに沿った医療を提供できないかもしれません。
でも、患者さんと作ってきた関係もありますので、ちょっとは先に話を知っておきたかった・・・という気持ちはどうしてもあります。まあ、所詮ボヤキということになりますけど、何にしても患者さんに不利益がないように、これからも少しでもかかわっていければと思うだけです。
言い訳をすると、そもそも全身管理を必要とする患者さんが少ないので、なかなかトレーニングされないというところが大きい。自分の頃は、医者になって最初の2年間は関連する科をローテーションして、整形外科では学べないスキルを身につけるシステムでした。
1年目の5月から勤務が始まり、最初の半年は整形外科、11月からは分院の整形外科、2月から放射線科を廻りました。2年目の5月からは外科、8月からまた整形外科に戻って、10月から麻酔科、そして最後に1月から救命センターでしたた。
あらためて見ると、整形外科だけでも半分の1年くらい。今から考えると、これを半分くらいにして、呼吸器とか循環器のような命にかかわる病気が多い内科をローテーションしたかった感じです。
さすがに、長年医者をやっていると、骨だけの事を考えているわけにはいかず、いろいろな内科的な合併症を持った患者さんなどに遭遇するために、最低限の他科の知識も積み上げられていくものです。
まあ、いまだに当直バイトやっていると、主として仕事内容は内科的な部分なので、多少は「一般医」的な部分を維持していくことに役に立っているだろうとは思います。
最近、ちょっと気分的にがっかりすることがありました。開院以来ずっと診させてもらっていた関節リウマチの患者さんで、もともと肺の合併症を持っている方がいます。これまで、しばしば肺の検査もしていたのですが、変な咳が出るという のでCT検査をしたところ、悪性腫瘍らしきものを発見しました。
そこで、大学病院呼吸器科に紹介受診してもらったのですが、待てど暮らせど結果の報告がない。患者さんに直接聞いても、高齢のせいか家族とばかり話をしていて自分には説明がないのでわからないという。
そうこうしているうちに、他の病院からこれまでの経過がわかるような紹介状が欲しいと連絡がありました。大学病院は、悪性腫瘍だけど治療はせず今後は在宅で管理するようにということで、別の病院に患者さんを紹介したということでした。
うちへの連絡も無く、通院は継続しているにもかかわらず、知らないところで話が進んでいたと言うわけで、うがった見方をすれば「整形外科だから呼吸器はどうせ診ないだろう」と考えられたということでしょうか。
もちろん、自分は呼吸器専門ではありませんし(だから大学に紹介するわけで)、在宅医療を行っているわけではないので、現状の患者さんのニーズに沿った医療を提供できないかもしれません。
でも、患者さんと作ってきた関係もありますので、ちょっとは先に話を知っておきたかった・・・という気持ちはどうしてもあります。まあ、所詮ボヤキということになりますけど、何にしても患者さんに不利益がないように、これからも少しでもかかわっていければと思うだけです。
2013年3月5日火曜日
2020年の夢
2020年の開催地として立候補しようとしているのが、トルコのイスタンブール、スペインのマドリード、そして日本の東京。それぞれがいろいろと問題はあるようですが、日本の場合よく言われているのが国民的賛同の欠如。まぁ、簡単に言えば一般市民の関心度が低いと言う事。
昨年のロンドンでも、ずいぶんと盛り上がりをみせたものの、熱しやすく冷めやすい(・・・覚めやすい?)のがいい意味でも悪い意味でも日本人の特徴。まして、7年後の話ですから、なかなか先が読めないところもあります。
自分も反対する理由は無いのですが、積極的に賛成する理由も無いという状態です。なにしろ、一番気持ちがなえるのは、招致したがっている政治家諸氏のパフォーマンス。
前都知事の「何があなたをそこまで突き動かす」的な発言の数々、そして引き継いだ現都知事の変わり映えのしないパフォーマンス。そして、さすがにこりゃないわと思ったのが、現職総理大臣が歌いながら「生涯の夢」ですとぶちまけるという。
そんなわきゃないでしょう。あまりにご都合主義的なはしゃぎすぎパフォーマンスで、誰のためにオリンピックを招致したいのかまったくわからないところです。日本の政治が、国民よりも企業などに向いている印象があるだけに、政治家が出てくれば出てくるほど疑問が湧くのは自分だけでしょうか。
1964年の東京オリンピックは、実体験したものの小さかったのでうろ覚え。まぁ、生きているうちにもう一度くらい、身近で感じてみたいと思いますけど、オリンピックそのものの商業化や、それに伴ういろいろな問題もあり、どこまで夢をみていいものなのかよくわからない感じがします。
2013年3月4日月曜日
クリニック飲み会 @ 市 センター南
土曜日の夜はクリニックの飲み会。昨日で退職したスタッフの一人の送別会をやりました。長く働いてくれた方なので、大変寂しいのですが、ご主人の転勤で頻繁で、今までは何とか通勤してもらっていたのですが、さすがに今回遠くなって辞めることになったのです。
クリニックのスタッフは、大企業と違って人数も少なく、一度入ってもらうと家族よりも長くいる時間が多い。長いスタッフとは、お互いにペースが出来上がって、ヒトが変わるとしばらくはやりにくくなるものです。
クリニックの院長をしていると、毎度のことながら労務管理という業務は畑違いで一番気苦労が多いところ。そんなことはわかって開業したんでしょうと言われればそれまでですが、なんにしても経営者としてはもともと素人。
スタッフから「ちょっと話が・・・」なんて言われると、辞めたいという話かとびくびくしてしまうものです。また新たな求人を出すのかと思うと、気が重い。税理士さんからは「求人も広告の一つ」みたいなことを言われたこともありますが、そんな広告は嬉しくない。
最初の1年は、自分とかみさんと、あとは受付一人という、最低限人数で診療をしていました。今は診療は5人体制で、飲み会をするとなると十数人を集めることになります。とにかくチームワークが大事ですから、スタッフは大事にしないとね。
ちなみに、今回の飲み会の場所はセンター南の居酒屋の一つ、市(いち)。数年前に仲町台の店で忘年会をしたことがありました。ちょうど、全員が一つのテーブルを囲んでワイワイできてよかったです。
クリニックのスタッフは、大企業と違って人数も少なく、一度入ってもらうと家族よりも長くいる時間が多い。長いスタッフとは、お互いにペースが出来上がって、ヒトが変わるとしばらくはやりにくくなるものです。
クリニックの院長をしていると、毎度のことながら労務管理という業務は畑違いで一番気苦労が多いところ。そんなことはわかって開業したんでしょうと言われればそれまでですが、なんにしても経営者としてはもともと素人。
スタッフから「ちょっと話が・・・」なんて言われると、辞めたいという話かとびくびくしてしまうものです。また新たな求人を出すのかと思うと、気が重い。税理士さんからは「求人も広告の一つ」みたいなことを言われたこともありますが、そんな広告は嬉しくない。
最初の1年は、自分とかみさんと、あとは受付一人という、最低限人数で診療をしていました。今は診療は5人体制で、飲み会をするとなると十数人を集めることになります。とにかくチームワークが大事ですから、スタッフは大事にしないとね。
ちなみに、今回の飲み会の場所はセンター南の居酒屋の一つ、市(いち)。数年前に仲町台の店で忘年会をしたことがありました。ちょうど、全員が一つのテーブルを囲んでワイワイできてよかったです。
2013年3月3日日曜日
SUN CITY
南アフリカでは、当時アパルトヘイト政策がとられ、白人と黒人は政治的に明確な差別が堂々と行われていたのです。ネルソン・マンデラらの活動家は拘束され、国際社会からも多くの非難が起こっていました。確か、日本人は「名誉有色人種」みたいな扱いでしたよね。
SUN CITYは、当時南アフリカの白人のための娯楽スペースで、音楽家などからは差別の象徴のような存在でした。そこでアパルトヘイトに反対する音楽家が集まって、「SUN CITYなどでは、演奏するもんか」的なエイドを行ったのです。
今でこそ当たり前ですが、ヒップホップ系の当時としてはかなり新しい感覚の音楽です。政治色が強く、攻撃的な内容が不利だったのか、日本ではやや盛り上がらなかったのですが、これも登場するのはそうそうたるメンバー。
リンゴ・スター、ボノ、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、パット・ベネター、ピーター・ガブリエル、エディ・ケンドリックス、ジミー・クリフ、ホール&オーツ、ボニー・レイット、ルー・リード、ザック・スターキー、ジャクソン・ブラウン、ピーター・ギャレット、ピート・タウンゼントなどなど・・・
政治的な部分はともかく、自分の場合は実はこれにはかなりの注目点がありました。なんと、マイルス・デイビスが参加しているんです。YouTubeでも''Artists United Against Apartheid - Sun City''でプロモが今でも見れますが、イントロにかぶってくるトランペットがマイルス。静止画もちらっと出てきます。
当然マイルスは、参加といってもオバーダビング。それにでも、マイルスは自分の名義以外に顔を出すというのは極めて希なことで、これは当時としても「事件」だったわけです。しかも、この後はマイルスは亡くなるまで何でもあり状態になり、あちこちに顔を出すようになりますけど。
ところが、驚いたことはそれだけではなく、この''SUN CITY''のアルバムでは、さらに2曲に参加している。しかも、そのうちの一つは、鉄壁のクインテットと評されたハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスらとの競演というから、ぶっ飛んだ。
このメンバーが一緒に演奏していたのは1964~1967まで。およそ20年ぶりという、再会セッションですから、ファンとしては狂喜乱舞の大注目。もちろん、昔のことはやらない。今のマイルスがでてくるんですが、それがそれでかっこいい。
主義主張がない話で申し訳ないのですが、そんな点が気に入っているという話。でも、このような運動がマンデラ大統領を作る一つの要素だったということは感慨深いものがあります。
2013年3月2日土曜日
We Are the World
グループ名は''USA for Africa''となっており、この企画は当時のアフリカの飢餓と貧困層の解消を目的としたチャリティでした。
何しろ登場するメンバーが凄すぎる。80年代のアメリカの音楽シーンで、活躍する思いつく有名人でいない人のほうが少ないという感じでした。
それまでのエイドものは有名アーティストが集まってコンサートを開くという形態が主でしたが、ここではこのための楽曲を新たに作り、全員で歌うと言う完全な共同作業であったことが画期的だったのです。
この時代、マイケル・ジャクソンは絶頂期であり、そのプロデューサーとして辣腕を振るったクインシー・ジョーンズの二人の力と人脈の凄さが、これだけの人を集められたわけです。また、彼らが作った曲じたいも素晴らしく、自然と盛り上がって感動したものでした。
もうひとつ素晴らしいところは、20人ほどのソロパートを歌う歌手たち。それぞれが数小節ずつにもかかわらず、各人の特徴がよく出た歌いまわしで、 聴いていて次から次へと出てくるアーティストを聞き分けるのが大変に楽しい。
この頃から普通になりだした、プロモーション・ビデオの存在も、そういった楽しみに拍車をかけました。これだけのビッグネームを一度に集められるわけが無いと考えるところで、どうせバラバラに収録したんだろうと思ってしまいがち。ところが、ビデオで全員が集まっているシーンを見て、これはものすごい事だとあらためて実感したものです。
後にマイケル・ジャクソンが一人で歌った、デモ用のバージョンが公開されましたが、彼には申し訳ないのですが、やはり大人数で盛り上がるこっちのほうが数段よいと思います。
一応、ソロをとる歌手をあげてみると、
ライオル・リッチー、スティービー・ワンダー、ポール・サイモン、ケニー・ロジャース、ジェームス・イングラム、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーイック、ウィーリー・ネルソン、アル・ジャロウ、ブルース・スプリングティーン、ケニー・ロギンス、スティーブ・ペリー、ダリル・ホール、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、キム・カーンズ、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ。
80年代の洋楽ファンだったものなら、そのまま土下座して謝ってしまうほどのメンバーです。
2013年3月1日金曜日
The Concert for Bangladesh
自分が学校で歴史・地理などを学んでいた頃と、今ではずいぶんと世界の国の名前が変わっています。その一つが、バングラデシュ。
大きなインドを真ん中に挟むように、現在のパキスタンがその西側にあり西パキスタン。そして、インドの東側にイスラム教の東パキスタンが存在したいました。インドが東パキスタンに加勢して、独立戦争が起こり、バングラデシュとして独立したのが1971年。
その過程で、先住民族と間に内乱も起こり、国内は混乱をきわめ、食糧難などから多くの国民が貧困に苦しみ、大量の餓死者が発生したのです。
ビートルズが事実上解散し、シタール奏者のラヴィ・シャンカール(い先頃亡くなりました)と親交の深かったジョージ・ハリソンは、このバングラデシュの悲惨な状況を知り、支援のためのコンサートを企画。賛同した多くのビッグネームが参加して、ものすごいコンサートが実現したのです。
その記録は厚さ1センチくらいの箱型の2枚組みレコードのセットとして発売され、当時自分も購入して、何度も聴いて楽しみました。茶色中心の箱の中央にやせ細った幼児の写真が使われ、大きなインパクトがありました。
登場するアーティストは、ジョージ・ハリソン、ビリー・プレストン、リンゴ・スター、レオン・ラッセル、ボブ・ディラン、ラヴィ・シャンカールなどなど。そして、全編にわたってメインのギターを弾くのがエリック・クラプトン。
特に''My Guitar Gentry Weeps''における、ジョージ・ハリソンとクラプトンの泣きのギターの共演は、これ以上無いくらいの名演です。また、すでに伝説になりつつあったボブ・ディランは名曲をたくさん披露し、もうここの演奏だけでも究極セレクトなんです。
当時、このコンサートの模様は撮影され映画としても公開されました。これが今ではDVDとしても手に入るので、映像で見ると感動がさらに盛り上がってきますね。
バングラデシュの悲惨な状況については、ジョーン・バエズも歌っていて、当時のアーティストの多くが関心を寄せていたのだと思います。自分は、それほど深く考えたりはしませんでしたが、後に政治的支援コンサートがいろいろ出てくる最初のものかもしれません。
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