昨日は、東日本大震災について書き始めたら、途中で話の焦点が多少ずれたような気がしていました。自分でも書いていて、実はなるほどと思っていたんですが、それは自分がテレビというものに大変影響を受けてきたということなんです。
日本でテレビ放送が始まったのは昭和28年のこと。テレビ放送が、市民の生活を大きく変えたと言えるのは、それまでニュース映画で動画を見ることができたとは言え、ニュースを知るための手段は音声だけのラジオか、活字媒体の新聞でした。
テレビの登場は、お茶の間(これも死語に近いですが)に直接ニュースを届ける事ができるようになったことを意味します。世界の出来事がほぼリアルタイムで動画として観る事ができたり、わざわざ出かけていかなくても憧れのスターに会えたりするのです。
何しろアメリカの初めて衛星放送が始まったのが昭和38年11月で、最初に飛び込んできたのはケネディ大統領暗殺のニュースだったことは象徴的です。
昨日、いまだに自分が記憶に残る大きな出来事としてあげたものは、どれもテレビを通じて知った事でしたし、テレビによってその場にいないにもかかわらず、まるで直接見ていたかのような鮮明な記憶になっていたということなんです。
東京オリンピックだけは住んでいたところの近くに会場が集中していて、実体験できたものでしたが、さすがに幼稚園児だったので記憶は曖昧な部分が多く、後からニュースなどで補足して出来上がったメモリーでしょう。
唯一、本当に体験したのは日本万国博覧会。春休みと夏休みに、それぞれ1日ずつ2回も連れて行ってもらえました。でも、父親が並んで待つのが嫌いな性格だったので、人気のアメリカ館、日本館、ソビエト館、三菱重工館などはまったく見ていない。
浅間山荘事件は、小学校から帰ってくると、父親が「テレビで戦争を生中継している」と興奮していたのを覚えています。たぶん午後2時くらいから、 犯人が捕まるすでに暗くなってきた午後6時すぎまでずっとテレビを見続けました。
日航機墜落も事件発生直後のニュース速報から、テレビはつけっぱなし。翌日の奇跡的な生存者の救出シーンも、目が離せませんでした。ダッチロールとか圧力隔壁といった、耳慣れない言葉は魔法のように自分をテレビに釘つげにしたものです。
阪神大震災では倒れた高速道路に自分の目を疑い、アメリカ同時多発テロはビルに飛び込んでいく飛行機は何かの映画を見ているような気がしました。 これらは、あまりに衝撃的すぎて、かえって「今放送されているものは嘘ではないか」と思えたのです。
テレビがあまりにも簡単に真実を映し出すことが、逆に想像力を超えてしまったということなのでしょう。理解の限界を超えてしまうと、それはかえって作り話のような印象を与えてしまうものなんです。
しかし、東日本大震災は違います。その一端を自分でも体験し、自分でも何が起こったのかを理解したいし、自分がどうすればいいかも知りたい。テレビで映し出された、津波の映像はまさに現実として脳裏に刻まれました。
これからも、テレビはたくさんの世界中のニュースを簡単に家庭に届け続けるのだろうと思います。しかし、その内容を直接体験したのかしないのか、また事件の大きさなどによっても、観ているものにはいろいろな違った印象を与えるものなんですね。
映し出されているものは、真実だとしてもいろいろな価値観が与えられていくわけで、テレビの善悪のようなものは一定の評価の中にはありません。自分がしっかりと判断する力を持たないと、どんどん流されてしまうのかもしれませんね。