間違いなく、「ライフ・オブ・パイ - トラと漂流した227日」は良い映画だと思う。先頃発表された、アカデミー賞では監督賞などを獲得しています。
邦題だけ見ると、パイが絶望的な漂流生活から無事に生還するアドベンチャー・ストーリーと思いやすいけれど、そんな簡単な内容ではない。実に奥深い話であり、一つ一つのセリフにこめられた意味は、強いメッセージとなって観る人に伝わるのです。
創作活動に行き詰まっているカナダ人の作家が、ママジというインド人からパイに会えば「神の存在を信じる」話を聞けると教えてもらいます。そして彼が、パイののもとを尋ねてきて、その生い立ちからの話を聞くところから映画は始まります。
パイはこどものときに、名前からいじめを受けます。正確にはピシン(piscine)というのですが、これがおしっこ(pissing)に似ているためでした。そこで、彼は自らパイと名乗り、果てしなく続く数学のπを覚えて、いじめを克服するのです。
そして、もともと家はヒンズー教でしたが、父親は愚か者は嘘をつき、無知だから宗教が必要だとこどもに言うのです。無知だったパイは、あるときキリスト教に興味を持ち神と自分たちの存在を意識します。さらにイスラム教も受け入れるようになるのです。
父親の言葉は含蓄があり、3つとも信仰する事はどれも信じない事だとパイに説明します。このあたりの宗教観は日本人には、理解しにくいところですが、自分たちもパイと一緒に無知な状態から出発すると思えたら、この物語のすごいところの一端がわかるような気がします。
動物園を営んでいた一家は、政治的情勢の悪化により動物をカナダで売るために貨物船に乗船します。その途中で 嵐に会い貨物船は沈没しもパイは家族を失います。そして救命艇で脱出できたのは、パイとハイエナとシマウマとオラウータン、そしてリチャード・パーカー。
リチャード・パーカーはベンガル虎で、最終的にパイとリチャード・パーカーが漂流を続ける事になるのです。ここで、リチャード・パーカーという名前について、知っておくべき予備知識があります。
エドガー・アラン・ポーの小説の中で、4人で漂流中に食べ物がなくなり生贄になる人物の名前がリチャード・パーカーなのです。その後、同様の事件が実際に起こり、他の遭難者に生贄にされた17歳の少年の名前もリチャード・パーカーだったという事実があるのです。
このことは、映画のオフィシャル・サイトに書かれている事なので、ネタバレではなく映画を見る前に知っておいたほうが良い知識なのでしょう。実際、トラと一緒にすごした驚異の物語の後に、もう一つの別の解釈による話が用意されていて、ここで生き抜くための究極の話がパイの口から語られるのです。
パイは漂流の過程で、宗教を超えた本当の「神」の存在を確信し、トラのリチャード・パーカーと一心同体となって、生き延びるための様々な知識を体得します。 宗教には疑問が付き物で、疑いが信仰を維持させる。
無知でなくなったパイは、もはや既存の宗教は必要なく、その上に立つ「神」を直接に信仰するような気持ちになったのでしょぅか。誰かのために死ぬことと、自分のために誰かを死に追いやることを対比比させて、信仰とは何かを問いているのかもしれません。
映画の技術的な部分で、リチャード・パーカーのほぼすべてがCGで作られているという点は驚異的です。確かに本物のトラでは、このような映像は不可能でしょう。ありあまるCGは、映画の嘘を際立てるので、あまり好きではありませんが、この映画はCGを効果的に使う手法の手本となるでしょう。
少なくともアカデミー作品賞を受賞した「アルゴ」よりも、視覚的体験を通して、多くのことを考えさせられる映画だと思います。そして、素晴らしく美しい映像よりも、何度か見直してセリフの一つ一つを吟味すべき良質の映画であろうと断言できると思いました。
★★★★☆