2013年3月17日日曜日

野獣死すべし (1980)

最近ではメディアでやたらと使われて、だいぶ権威が無くなった言葉にカリスマというのがあります。本来、charismaは、他人を引きつけ感銘を与える強力な資質のこととされています。最近のカリスマは、いろいろな分野で単なる有名になった人のことでしょうか。

松田優作は、間違いなくカリスマ性をそなえていた俳優でした。1973年に「太陽にほえろ」に出演し一躍名を知られるようになり、最後の殉職シーンはいまだに取り上げられることが多く、多大なインパクトを残しました。

そこからは、アクション俳優としてテレビ・映画にいろいろ登場し、自分たち同世代の若者は皆彼に憧れたのです。もちろん演じる役柄がハードボイルドそのもので、軽い言葉ですけど、一言で言うと「かっこいい」のでした。

誰もが松田優作のようになりたい気持ちをどこかに持って、なにかしらちょっとした仕草を真似たりした物です。そういうことを他人に感じさせる力が、本当のカリスマです。その頂点に存在するのが、1979年のテレビドラマ「探偵物語」でしょう。

それから亡くなるまでの10年間は、ハードボイルド俳優から、個性派俳優として演技に磨きをかけていく方向性に転換していきました。鈴木清順監督の「陽炎座」、森田芳光監督の「家族ゲーム」などによって、まったく違う松田優作に出会って、ファンははじめは戸惑ったものです。

しかし、しだいに演技に対してストイックでのめりこんでいく松田優作は、それまでと変わっていないことがだんだんわかってきたのです。演技派としての成功はハリウッド進出をはたしたリドリー・スコット監督「プラック・レイン」によって決定的となりました。

自らのカリスマ性の仕上げは、40歳という若さでの突然の病死という形で完成しました。「ブラック・レイン」の撮影の頃から、すでに末期癌で死が迫っていたにもかかわらず、治療を拒否して映画にのめり込んでいった姿は壮絶としか例えようがなく、常人を遙かに超えた強い意志がありました。

松田優作のアクションスターとしての最初の10年間、村上透監督との共作の数々が代表的な仕事としてあげられるでしょう。東映での「遊戯シリーズ」でもずいぶんと興奮させられたものですが、1980年の「野獣死すべし」は、演技派への変換点にたつ作品として一定の評価を与えるべき物だと思っています。

まず、大薮春彦の原作ではまさに「遊戯シリーズ」のようなクールなタフガイであった主人公は、体制に迎合せず、社会に対して冷めた感情を持った若者に変わり、松田優作はその役作りのために10キロ以上の減量、さらに頬がこけて見えるために奥歯まで抜いてしまいます。

映画でこの病的な青白い顔の松田優作を初めて見たときは、その異様な印象にしばらくたじろいでしまうほどでした。 しかし、独自の価値観の中で平然と犯罪を重ねていく主人公の姿は、この松田の役作り故の青白い炎を発して非日常のなかのリアリティを作り出しています。

日本の映画史の中では、とるにたらない一本かもしれませんが、松田優作という俳優を語る場合には、絶対に外してはいけない作品の一つ・・・と、自分は勝手に思い込んでいるのです。