クラシックなんて、譜面通りに演奏してんだから、誰の演奏でも一緒じゃん。一応、有名な曲くらい知ってないといかんので、とにかくどれでもいいから安いもので持っていればいいじゃん。というのが、何年か前までの自分の気持ちでしたっけね。特にピアノは苦手で、どれを聞いても同じにしか聞こえない。Midiの打ち込み音楽でもいいじゃん、みたいに思っていたんですね。
でもね、2000年に復活したフジ子さんを聞いたときに、何このピアノ、って思ったわけです。一応世間の評判通り、何か今までに聞いたことがある楽譜をなぞっていくだけの音楽とは違うものがあったんですね。魂を揺さぶるというのは大げさですが、ピアニストの叫びが伝わってくる感じなんですよ。
そして、2006年夏にGlenn Gouldに再会したんです。中学生以来、30数年ぶりに聞いて鳥肌が立つようでした。J.S.BachのGoldberg Variationsは、そのあとの半年くらいの間に本当に数十回は聞きましたよ。Gouldはペダルをほんど使わないんです。時には、信じられないことに足を組んで演奏するくらいですからね。自分の指先の力だけで、一つ一つの音を紡いでいくという感じです。
他の演奏家のGoldbergもいろいろ聞き比べてみました。ピアノ、チェンバロ、ギター、ジャズ版など、それはそれは様々な演奏があるんですね。でも、自分にとってはGouldがバイブルです。
そして、それからクラシックのピアノというものを本気で聞く気にさせてくれたわけです。Beethovenのソナタといったって、情熱的な演奏、ロマンチックな演奏、淡々とした演奏など様々で、演奏者の解釈によって、それこそvariation状態です。
技巧的な部分ばかりが話題になりやすいLisztだって、トータルな音楽の完成度があるから技巧が光るんですよね。交響曲や弦楽四重奏が中心のShostakovichも、Bachの平均律クラーヴィアにヒントを得た前奏曲とフーガ集が素晴らしい。HaydnもBrahmsも、なかなかすぐれたピアノ曲をいっぱい作っているんですね。
ピアノは最も完成された楽器の一つなんでしょう。一人でソロも伴奏も、オーケストラなみに繰り広げる力があるわけで、あーちゃんと習っておけばよかったと、思うのでした。隣家のお嬢さんはお母さんからピアノを習っていて、時々怒られて泣いている声が聞こえたことがありましたが、漏れ聞こえてくる演奏がどんどん良くなっていて、勝手にがんばれー、と応援してしまうのでした。
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