6月18日、医療関係者にとっては気になる法律が国会で可決されました。
脳死を持って人の死とする、という法律的な定義が含まれています。今までの脳死臓器移植にはハードルが高く、国内での症例数はきわめて少ないという状況がありました。
そのため、臓器移植が必要な患者さんは外国で順番待ちをするという状況が、いろいろ物議をかもしていたことは事実です。ですから、救える命を救うために、人道的な立場からもハードルを下げて、国内の臓器移植環境を整備していくことは必要と考えられています。
ここで、一番問題になるのは、「死」の定義ということだと思います。生物学的には死とは、生命活動の停止を意味するわけで、何らかの自動的な活動が確認できなくなった時のことであろうと思います。
ですから、心臓の停止というのは生物学的な確実な死と言うことは言えると思います。心臓が止まれば、血液循環が停止し、全ての活動は数分後に完全に停止することは間違いありません。
それに対して脳死は「人らしさ」の停止です。人間が地球を支配する動物として君臨する根本は、脳の発達により頭で考え、いろいろな情報を整理して、効果的な行動にフィードバックする力が優れているということです。
従って、脳の活動が停止してしまうと、人が人らしく活動することは不可能となり、ほぼ全ての場合に活動の再会は不可能と考えられます。
誤解を恐れず簡易な表現をするなら、心臓死は肉体の死で、脳死は精神の死ということができるかもしれません。このあたりをどのように考えるかで、脳死臓器移植に対する考え方は大きく異なってくると思います。
自分には、どちらが正しいというようなことはとても言えません。少なくとも、どつらにしても臓器移植をするためには「命」が消えることは間違いないので、助かる命も大事なんですけど、消えていく命のこともしっかれり議論しないといけないのではないかと思います。