2023年7月27日木曜日

エベレスト (2015)

商業登山という言葉があります。正確には公募隊と呼ばれ、各国の登山協会などが適性を考慮して編成する遠征隊と違い、基本的には誰でもお金を出せば応募できるというもの。ベテラン・ガイドによる登山ツアーという色合いが強く、一人ではなかなか準備ができないような高難度の登山でも、時には経験の有無にも関係なく参加することが可能です。


普通の人ではとても払いきれないような高額な費用で、宇宙ロケットや深海探査艇に乗るのも、ある意味性格が似ているところがあります。最近も痛ましい事故がありましたが、普通では見れない光景を見てみたいというのは、大なり小なり誰でも願望としてはもっているものです。

登山に関しては、特に人気なのが世界最高峰のエベレストで、90年代以後、商業登山が急増したため、高地での混雑・渋滞の発生、ゴミ投棄、技量不足などによる様々なトラブルが頻発するようになりました。多くの人に門が開かれた一方で、エベレストではトラブルはすぐに死に直結するだけに、倫理的な問題を含めて議論の的になっています。

エベレストの標高は8848m。8000m以上の高地では、空気中の酸素が地上の1/3となり、普通に人が生存することは不可能で、「デス・ゾーン」と呼ばれています。無酸素登頂に成功する登山家もいますが、一般には酸素ボンベを背負っての登頂が一般的。酸素不足では、軽症では頭痛・疲労・悪心、重症になると肺水腫・脳浮腫を引き起こしただちに下山する必要があります。デス・ゾーンには100体以上の遺体が今でも回収の見込みがないままに放置されており、ある意味登山者のランドマークになっているというのは皮肉なことです。

エヴェレストに登るためには、ネパールか中国のどちらかから入山するわけですが、入山料をそれぞれの政府に払う必要があります。これが百数十万円。ベースキャンプに到着しても、すぐに登るわけではなく、薄い酸素に体を順応させるため試験的な登山を繰り返し、1か月ほどをキャンプで過ごすことになり、この費用が数百万円です。天候の状況によって出発し、第2、第3、第4キャンプを経ていよいよ頂上にアタックとなりますが、もちろん登頂が保証されているわけではありません。

ネパール政府などに払われる公的な費用は公募隊の参加費に含まれ、全部で600~800万円が必要。その他に、個人の装備は高地用の特殊なものが必要となるので、上着、靴、寝袋、テントなど、下手をすると数百万円かかるらしい。一般人でも公募隊に参加してエヴェレストに登れるとは言っても、約1千万円くらいは必要ということ。

エヴェレスト登山史が始まった1922年以降、約100年間で295人が亡くなり、死亡率は3.5%です。ただし商業登山が始まった以降では、死亡率は約1%。登頂成功率は、時代と共に増加し最近では約2/3と言われています。装備品の進歩、登山ルートの開拓・整備などともに、成功率増大に大きく寄与しているのが気象情報の詳細・正確性が格段と改善したことが挙げられます。気象情報が良くなったきっかけの一つになったのが、1996年の商業登山による大量遭難事件と言われています。

1996年5月、ニュージーランドの「アドベンチャー・コンサルタンツ(AC隊、現在でも活動しています)」は公募で集まった人々とエベレスト登頂を目指し、カトマンズに到着します。リーダーのAC隊のガイドはも出産間近の妻を残してきたロブ・ホールで、他にマイク・グルーム、アンディ・ハリス、アン・ドルジェがスタッフとして引率します。顧客は妻の反対を押し切ってやってきたベック・ウェザース、昨年登頂失敗したダグ・ハンセン、取材のために参加したジャーナリストのジョン・クラカワー、7大陸最高峰登頂の最後の仕上げとして参加した難波康子らの8名。

同時に出発を予定してる隊が多すぎるため、ロブ・ホールは、友人のマウンテン・マッドネス隊(MM隊)を率いるスコット・フィッシャーに協力を要請。5月10日、第4キャンプを出発し山頂を目指すも、ダグ・ハンセンは咳き込み遅れ気味で、ベック・ウェザースは視力障碍により途中で動けなくなります。スコット・フィッシャーも、遅れる顧客の世話で疲労がたまり体調を崩していました。

登頂成功後、難波康子はMM隊のガイドと下山、ロブ・ホールはダグ・ハウセンを何とか山頂に導きますが、トラブルの代償は時間の浪費と酸素の枯渇でした。そこに天候が激変しブリザードが発生したため、結果としてホール、ハリス、ハンセン、難波、フィッシャーが死亡します。自力で生還したのはほとんどが途中で断念した者たちで、頂上付近まで到達していた者は、大なり小なり高山病と凍傷により大きなダメージを受けたのでした。

本作は、この遭難事件をできるだけ事実に基づいて映画として組み立てた物。公開当時、流行った3D仕様で作られ、その臨場感はかなりあったと評判です。アメリカとイギリスの合作で、監督はバルタザール・コルマウクルという人。映画ですから、それなりにドラマチックな脚色はあるとは思いますが、結末の悲劇がわかっているストーリーですから、話の展開よりも、それぞれが何故山に登るのか、そしてエヴェレストが本来人を受け入れる場所では無いことを伝えようとしている映画です。

主な出演者は、ジェイソン・クラーク(ホール役)、ジョシュ・ブローリン(ウェザース役、父親はジェームズ・ブローリン)、エミリー・ワトソン(ベース・キャンプ・マネージャー役)、森尚子(難波役)、ジェイク・ギレンホール(フィッシャー役)、キーラ・ナイトレイ(ホールの妻役)などです。ハリウッド映画としては、決定的な人気俳優がいないのは寂しいところですが、ほぼノンフィクションということを考えると許せるところ。

ロケはエベレストはもちろん、イタリアの高地(標高5000m)で行われ、その映像美はただものではない。しかし、さすがにヘリコプターも到達できない山頂のシーンなどは、セットを組んでのCG合成です。それでも、本当にその場にいるかのような臨場感はなかなかのもの。

ただし、山に魅せられた人々の業みたいなものの一端が垣間見えるところは評価できますが、主役は人間を寄せ付けたくないと思っているエベレストなので、人間ドラマとしては今一つ弱い感じはします。とはいえ、エベレストという最も神の領域に近い場所を知るための映画としては、十分に評価できる作品だと感じました。