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2023年7月2日日曜日

太陽を盗んだ男 (1979)

もう40年以上昔の映画で、当時浪人生だったのでリアルタイムに劇場で見てはいませんが、その頃の若者にはかなり話題となった映画。何しろ、当時ソロ歌手として人気絶頂だったジュリーこと沢田研二が原爆を作る犯罪者になるというのですから、ファンならずとも注目せざるをえないというものです。

それにしても、冒頭の旧日本兵に扮した老人が天皇に合わせろというところからして、いきなりメディアのタブーを打ち破るような内容に驚きます。ましてや、日本人にとって特別にセンシティブな原子爆弾や放射能被爆にまで突っ込んでくるというのは、作り手の相当な意気込みが感じられます。

日本の高度経済成長のピークで、かなりやりたい放題できた時代ということも言えますし、逆にそのころ広がり始めた「しらけ世代」の無気力感に痛烈なパンチを繰り出した作品。むしろ、今の時代では絶対に作れない映画でしょうし、ある意味カルト的な作品と言えます。

萩原健一・桃井かおり出演、神代辰巳監督の「青春の蹉跌(1974)」では脚本を担当した長谷川和彦が監督。助監督の一人には相米慎二がいました。脚本は「蜘蛛女のキス(1985)」のレナード・シュレイダー。

中学の理科を教える、城戸誠(沢田研二)は、授業中でもフーセンガムを噛み、教師なのに遅刻する無気力な教師でした。生徒を引率しての原子力発電所の社会科見学の帰りのバスが、旧日本兵の身なりをした老人にジャックされます。老人は機関銃や手榴弾などで武装して、皇居に行き天皇に合わせろと要求してくるのでしたが、山下警部(菅原文太)の活躍で犯人を取り押さえます。

城戸はこの件があってから、授業でも原子爆弾の作り方ばかりを講義するようになり、ついに茨城県東海村の原子力発電所に侵入し、液体プルトニウムを強奪するのです。自分のアパートに、さまざまな道具をそろえ、多くの行程を経て、ついに金属プルトニウムの生成に成功し、まずはその削りカスを用いた原子爆弾を国会議事堂内に仕掛けます。

警視庁に電話した城戸は、山下を交渉相手に指名し、爆弾の存在を伝えます。警察が回収すると、間違いなく爆弾の機能を有していて、削りカスではない本物であれば、東京に壊滅的被害が生じることが判明しました。

城戸は、世界に8つの原爆保有国があるので自分は9番と名乗り、日頃から不満だった野球のナイター中継を時間に囚われず最後まで中継するように要求します。すると政府からの要請によって、中継が終わることなく試合終了まで放送されたのです。

城戸は、次の要求が思いつかず、ラジオのDJ沢井零子(池上季実子)の番組に電話するとも「俺は原爆を持っているが、リスナーにそうなら何をしたいか聞いてくれ」と頼むのでした。城戸はその回答の中から、1973年に中止になったローリング・ストーンズの日本公演の実現を山下に伝えるのです。

そして第3の要求は5億円。城戸は山下らを喫茶店に釘付けにして、デパートの屋上から様子を観察していました。しかし、指示のためにかけた電話が逆探知され、デパートは警察によって封鎖されてしまいます。しかも、城戸の体には異変が始まっていました。髪の毛が抜けるようになり、歯肉出血もあり、明らかに放射能被爆の症状です。

しかたがなく、原爆が山下のいる喫茶店にあることを教え、時限装置の解除法を教えるかわりに封鎖を解かせます。大混乱の中を逃げ延びた城戸に、零子が協力して、警察から原爆を奪い返しますが、車での逃走中、カーチェイスの果てに零子は「生きてね」と言い残して事故死。

そして、ローリング・ストーンズの日本公演・・・もちろん、警察が仕組んだ偽コンサートの当日、城戸は原爆の時限装置をあらためて作動させながら、武道館で山下警部に声をかけるのでした。

昭和40年代の、特に渋谷を中心とした街並みが懐かしい。流れる音楽も、聞き覚えがあるものばかり。ド派手なカーチェイスは、「西部警察」を彷彿とさせます。ナイター中継でも王貞治のホームランをはじめ、懐かしい選手の名前が登場するのも嬉しい所。ローリング・ストーンズの日本公演も、実際に直前になってメンバーの麻薬使用歴が問題になりビザが取り消され中止になったのも、当時の若者には衝撃的なニュースでした。

沢田研二は撮影時30歳で、人気の頂点にいた時期。それが物事に無関心な若者の典型像を、今の目で見ても新鮮で見事に演じているのは驚異的です。菅原文太も任侠物からトラック野郎にイメージチェンジした時期。助演ではありますが、ここでも泥臭い熱血漢の刑事を演じて存在感を放っています。

皇居前のバスジャックのシーンや、国会議事堂に沢田が入るシーンは無許可でのゲリラ撮影だったそうで、今では到底考えられません。映画屋にとっては、やる気があれば何でもできた良い時代の名残りというところでしょうか。

現代でも、映画にかかわる人々にも影響を与え続け、自分に影響を与えた作品として必ず登場することが多い。それだけ、時代の雰囲気を凝縮させたエンターテイメントとして、記憶されるべき作品と言えそうです。