20世紀のアメリカを代表する作家といえばアーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)。戦前の「日はまた昇る」、「武器よさらば」、「誰がために鐘は鳴る」などの長編代表作は、映画化もされ馴染み深い。しかし、戦後の1952年に発表された中編の「老人と海」は、名実ともにヘミングウェイの最高傑作と呼ばれています。
アメリカの不屈・不撓の精神が、無駄を削りに削ったシンプルなストーリーの中に凝縮していると評価されていますが、さて、これを映像化するとなるとかなりの困難が当然予想されます。まず、登場するのがイントロダクションとエピローグに出てくる少年を除くと、ほぼ老人一人。しかも、舞台は陸地が見えない沖合の小舟です。
演劇舞台としての上演ならともかくも、どう考えても視覚的なメリハリが付きにくく、映画的とはいえない題材です。アカデミー賞を何度も受賞している名匠フレッド・ジンネマンが当初、監督を引き受けたものの途中降板してしまいます。おそらく、自分のキャリアにプラスになる作品になるとは考えられないと思ったのでしょうか。
そこで、監督を引き継いだのがジョン・スタージェス。当時は、注目され始めたばかりのころで、「荒野の七人」や「大脱走」で名監督の仲間入りするのは後年のこと。映画史上初めてブルースクリーン合成技術を導入し、いろいろと工夫して何とか映画としての形は整えました。
キューバのハバナの老漁師サンチャゴ(スペンサー・トレイシー)は、不漁が84日間も続き、老人を慕う手伝いの少年マノーリンは、親の言いつけで別の舟に乗るようになっていました。早朝、少年に見送られて老人は一人で小舟を漕ぎ出しますが、昼になってついに大物の当たりが来ます。夜になっても、大物は疲れを知らず、船はどんどん沖に引かれて行くのです。
二日目になっても、大物は弱る気配を見せません。老人はロープで手が傷つきますが、両者の戦いは続きます。三日目になって、ついに弱ってきた大物が水面からジャンプし、船よりも大きなカジキであることがわかりました。老人は最後の力を振り絞り、カジキを引き寄せ銛を打ち込みます。
老人はついに勝利し、獲物を船に括り帰路につきますが、それは獲物を狙うサメとの戦いの始まりでもありました。真夜中にやっと港に着いた時には、獲物のほとんどが食いちぎられていたのです。翌朝、少年は死んだように眠る老人の手を見て、どれほどの戦いをしてきたのか思い涙を流すのです。
この映画は、やはりこどもの時にテレビで見て、何か海って凄いなと思わせてくれた印象的な作品。全編で90分弱ですから、2時間枠の名画劇場にはノーカットでちょうど良い作品。ただ、改めて見て思ったのは、やはり映画としてはかなり残念な出来と言わざるを得ない。
名優スペンサー・トレイシーですから、老人の演技は評価できるとしても、やはりいくらカット割りしてもどれも代り映えしない場面が続きます。一番面白くないのは、ほぼ全体が老人によるナレーションが入っていること。ナレーションと台詞として言われた言葉の違いがわかりにくいし、そもそもこれでは映像付き朗読劇になってしまいます。
さらに困ったのは、こちらも名匠ディミトリ・ティオムキンの音楽。威勢の良い西部劇じゃないんだから、そんなに威勢よく盛り上げたり、情感たっぷりに歌い上げられても、違和感しかない。もっとも、映画としてはそのあたりで特徴をだすしかなかったのかもしれません。