忠臣蔵・・・元禄14年(1701年)赤穂藩主、浅間内匠頭が江戸城内において吉良上野介に対して刃傷沙汰をおこし切腹。藩はお取り潰しになり、翌年12月に大石内蔵助を含む47名の旧藩士が、吉良邸に討ち入り吉良の首を打ち取ったという史実・・・を基にした歌舞伎、人形浄瑠璃の演目であり、正式には「仮名手本忠臣蔵」と呼びます。
これはあくまでも大衆に対しての演目ですから、事実とは異なる部分も多数含まれていて、その後派生する多くの芝居、映画、ドラマなどもほとんどはこれをベースにしています。では、実際にはどういうことが起こっていたのか、それを検証するのに役に立つ重要な資料の一つとなるのが、大石内蔵助が遺した「預置候金銀請払帳」というもの。
これは要するにお取り潰しになった後の、藩に残された金を討ち入り決行までどのように消費したかを克明に書き残したもので、簡単に言えば家計簿みたいなもの。この決算書によって、仇討ちにどのような準備がされたかを、東京大学教授の山本博文が解説したのが「忠臣蔵の決算書(2012)」で、これを映画化したのがこの作品。
赤穂藩は江戸では火消しとして活躍していましたが、藩主内匠頭(阿部さだお)が江戸城内で上野介に刀をあげたため切腹、藩はお取り潰しになりました。残務整理をするとほとんど金は残りませんでしたが、商家に貸し付けていた内匠頭の正室、瑤泉院(石原さとみ)の持参金などをかき集め数千両を作ることができました。
喧嘩両成敗の原則にもかかわらず吉良には何のお咎めがないことにいら立つ藩士たちでしたが、筆頭家老だった内蔵助(堤真一)は、勘定方の矢頭長助(岡村隆史)の厳しい会計管理のもと、仇討ちを望む急進派をなだめつつ御家復興の道を模索します。
しかし、金を使っていろいろな策を行うも、吉良は隠居してお咎めを逃れてしまう。また、幕府も名産品となった赤穂の塩による利益を手にしてので、御家復興の可能性はすべて潰されてしまいます。内蔵助はいよいよ討ち入りしかないと決断しますが、浪人となった藩士たちの生活費や討ち入るための準備金で予算超過となってしまいます。
最初は3月14日の主君の命日に討ち入る予定でしたが、吉良が自宅にいることが判明した12月14日に急遽予定を変更。3か月分の生活費が浮いたことで、何とか希望通りの準備をすることができたのでした。
赤穂浪士には、濱田岳、横山裕、荒川良々、妻夫木聡、西村雅彦、寺脇康文、木村祐一ら。内蔵助の正妻、りくに竹内結子、長男の松之丞に鈴木福、長助の息子に鈴鹿雄央士などが出演しています。監督・脚本は中村義洋で、芸人の出演が多く笑いをところどころに混ぜてはいますが、お金で考える仇討ちなのでけっこうまじめに経済学中心で構成されています。
多くの残された藩士たちを、1年9か月の間、食べさせるのにかかる費用はさすがにバカにできません。できるだけ多くの金をもしものために残しておきたい勘定方と、何をするにしても金がかかることなど気にしない、正義のため好き勝手にふるまいばかりしている多くの浪士とのかけひきが見ものです。
最終的な討ち入りシーンはありませんが、その後始末でさらにお金がかかって赤字だったというオチで映画は終わるわけで、確かに「これでこそ武士」と持ち上げてばかりはいられない現実を知ることは意味があります。よく知られた話ですが、違った見方をしてみるのも面白いものです。