広島県尾道市に昭和13年に生まれた大林宜彦監督は、戦後、大量に流入してきたハリウッド映画に影響されて、映画の自主制作を始めました。そして、CM撮影などで映像の仕事に関わるようになり、1977年に商業映画の監督としてデヴューします。1982~1985年にかけて、故郷の尾道を舞台として三部作を完成しますが、その後も尾道で映画を撮ってほしいという要望が続き、1991年に赤川次郎原作の「ふたり」を映画化する際に、再び尾道に戻ってきました。
赤川次郎は、この小説の映画化は何度も断っていましたが、大林が舞台を東京から尾道に移しますというと「大林さんが尾道で撮るならお任せします」と許諾しました。主演の石田ひかりは当時は18歳で、14歳でデヴューしてからあまり人気が出ずにいましたが、この作品をきっかけに知られるようになり、大林作品では度々登場するようになりました。
北尾実香(石田ひかり)は、何事にも優秀な3歳年上の姉の千津子(中島朋子)の影に隠れるような存在で、「千津子ちゃんの妹」と呼ばれてばかりいました。でも、二人はとても仲が良く、千津子は何かと実香の面倒も見ていました。実香は部屋を片付けるのは不得意で、のんびりした性格ですが、明るく真っ直ぐな長谷部真子(柴山智加)とは親友の間柄。
3か月前、登校しようと家を出た時、千津子はトラックの崩れた積み荷によって亡くなってしまいます。精神的に衰弱した母親の治子(富司純子)は、今でも千津子が生きているかのような振る舞いをしていて、父親の雄一(岸部一徳)もできるだけ見守るようにしていました。
ある日、急に実香の前に千津子の霊が現れ、これからもしっかり見守ってあげるから心配いらないと話しかけてきます。ピアノの発表会でも、学校のマラソン大会でも、千津子はずっと寄り添い実香を励まし続けます。
翌年、千津子と毎年出かけていたコンサートに、実香は真子を誘って出かけると、神永智也(尾身としのり)と出会います。神永は昨年、千津子とこのコンサートに行く約束をしていたけど現れなかったと言います。神永は実香のクラスメートの前野万里子(中江有里)のいとこで、千津子に嫉妬していた万里子の矛先は実香に向けられるようになるのでした。
そして実香の空想を書き留めていた小説原稿を見つけて、クラス中にばらまき笑いものにしたのです。真子は怒って抗議しようと実香を引き連れて万里子の家に向かいますが、出てきた母親(吉行和子)の深刻そうな様子に二人は驚きます。数日後、二人は心中をするのですが、直前に実香にかかってきた万里子からの電話で、見当をつけた実香の通報によって万里子だけ助かるのでした。
千津子と同じ高校に進学した実香は、同じ演劇部に入部しますが、千津子の妹ならできるといきなり主役を任されてしまいます。そんな時に、雄一は急に小樽に転勤が決まり単身赴任してしまい、和子だけしかいないときに、実香が事故にあったという電話がかかってきて、和子はふたたび精神的なショックから倒れてしまうのです。
千津子を演じる中島朋子は、すでに「北の国から」で人気が出ていた時ですが、話したり聞いたりはできますが実態のない幽霊という難役を見事にこなしました。原作では声が聞こえるだけでしたが、映像として見えるようにしたのは監督で、映画的な改変として大正解のアイデアです。
実香の家族は姉の死、真子の家族は父親の死、そして万里子の家族は母親の死というように、主人公の周りにいくつか違った死が配置されることで、生きることの難しさやこどもが大人に成長する過程でのいろいろな悩みなどが浮き彫りにされる構成のようです。
生と死を対比させながら、家族のいろいろな問題に揺れ動きつつも少女が成長していく姿をとらえた作品で、原作を比較的忠実にしつつも映像的に見事に再現した監督の手腕を、赤川次郎も絶賛したと言われています。
この後、「あした」、「あの、夏の日」も尾道を舞台にしたため、これらが「新尾道三部作」と呼ばれることになり、大林作品の重要な位置を占めるようになりました。