警察側の視点だけで描かれた「突入せよ! あさま山荘事件」に不満を抱いた若松孝二が、私費を投じて完成させた犯人側の視点による、「あさま山荘事件」に至るまでの過程を克明に再現した作品。学生運動が盛んな頃に、若松は反体制的な映画を作っていたので、学生たちから支持されていました。主な出演者は井浦新、坂井真紀、並木愛枝、佐野史郎、奥貫薫、そしてナレーションは原田芳雄です。
190分という長尺の映画の中で、日本の学生運動のおおまかな流れを冒頭30分ほどを使って解説しています。とは言え、現実にその中にいた者でないと簡単には理解できそうもないくらい複雑な流れなんですが、最終的に武装闘争も辞さない共産主義化を目指す赤軍派と革命左派が結びついて連合赤軍が誕生したということらしい。
最初は学生たちは、学費値上げ反対とか、大学幹部職員の不正追及といった身近な問題に対する抗議活動をしていたわけですが、次第に搾取階級を打倒し資本主義に対抗して共産主義社会を実現するための「革命」へと目的が変貌していくさまがある程度わかります。
このあたりを真に理解するためにはアメリカのベトナム戦争に対する反戦運動をはじめとした、当時世界中で巻き起こった反体制運動の流れをすべて知る必要がありますが、さすがにそこは社会学者や歴史学者に委ねるしかありません。
映画では、基本的に連合赤軍メンバーについては実名での登場になります。過激化するいろいろな運動により逮捕者が続出し、いろいろな過激派グループは人材不足があからさまになっていました。1971年、森恒夫、坂東國男、遠山恵美子らの赤軍派と永田洋子、坂口弘、吉野雅邦らの革命左派は共闘を決定し、連合赤軍として体制打破のための武装闘争の準備に入ります。
2月に栃木県の真岡銃砲店を襲撃し、大量の銃器と銃弾を手に入れます。そしてM作戦と呼ばれる金融機関強盗を繰り返し活動資金を調達していくのでした。そして集めたメンバーを引き連れ、群馬県の榛名山の「山岳ベース」において軍事訓練を開始します。
リーダー格の森と永田は、しだいに独裁色を強め、少しでも問題があるメンバーに対して、「自己批判」して猛省を促し、自分の活動を「総括」することを求めるようになります。それはどんどんエスカレートして、自分で総括てきないものには暴力によってわからせるというようになるのです。
他のメンバーにも暴力を振るうことを強制し、集団リンチは当然死者をだすことになる。そのうち総括してもダメと判断された者に対しては「死刑」を宣告し、積極的に殺すようになってしまうのでした。後に山岳ベースで見つかったメンバーの遺体は12人にも上りました。彼らはこれらの死を「敗北死」と呼んでいました。
当然、このような恐怖体制により脱走者も続出し、1972年2月に森と永田は新たなベース地となる妙義山に移動します。しかし、2月17日に森と永田は警察に発見され逮捕されてしまうのでした。残りの者は、山岳ベースを放棄して、坂東・坂口・吉野・加藤兄弟の5人が妙義山に向かいますが、別ルートでいくはずの残りの者は警察に包囲され逮捕されました。
警察の追跡を逃れた坂東らは、2月19日、ついに軽井沢レイクニュータウン内のあさま山荘に侵入し、管理人の妻を人質に籠城することになるのでした。
映画では、これらの様子をドキュメンタリー調に、理想の実現と言う高尚な目的を持っていたはずの彼らが、どんどん狂気に飲み込まれていく様が克明に描かれています。籠城したもののまったく未来が見えない状況に、あさま山荘事件の犯人の中で最年少の加藤弟が、最後に「みんな勇気がなかっただけだ」と叫ぶところはフィクションかもしれませんが、一連の事件の真理をついた言葉なんだろうと思います。
主として、山岳ベースでのエスカレートする狂気を中心としているので、正直、重苦しさが続き、映画としても楽しさはほとんどありません。しかし、登場人物の供述や回顧録などを用いて、可能な限り実際に起こったことを再現したことで、「あさま山荘事件」以後急速に消退した学生運動の流れを最低限知ることができます。しかし、それは今の時代に生きる日本人には、とうてい受け入れることができない理解を超えた非現実でしかありませんでした。