2025年2月16日日曜日

あの、夏の日 - とんでろ じいちゃん (1999)

大林宜彦監督の「新・尾道三部作」の最後は、原点である「転校生」と同じ山中亘の小説「とんでろじいちゃん」が原作。新三部作は尾道市政100周年記念する企画であり、本作は文部省、厚生省、全国PTAなどの多くの推薦を受けました。

小学5年生の大井由太(厚木拓郎)は、のんびり屋で「ボケタ」とあだ名されていました。尾道にいる昔校長をしていた祖父の大井賢司郎(小林桂樹)が、最近おかしなことをするのでボケたのではないかと心配する両親(嶋田久作、松田美由紀)から頼まれて、ボケタは夏休みの間、おじいちゃんを監視するため尾道にでかけていきます。

祖母の亀乃(菅井きん)の話では、おじいちゃんは他人の葬儀で急にラジオ体操をしたり、他所の家に家に入り込んでお供え物を食べ散らかしたりしたらしい。しかし、実際合ってみると、ボケタには厳しいけど優しい感じで、「明日、メダカやドジョウを見せてやる」と言うのです。

おばあちゃんは今どきメダカなどおるものかと言うのですが、翌日おじいちゃんは尾道水道を挟んだ向島が見える場所にボケタを連れて行き、手を握ると「目を閉じろ、息を止めろ」といい「夢のまきまきに・・・」と歌い出します。すると、二人の体は浮き上がり、向島まで空を飛んでいくのでした。気がつくと周りはのどかな田園風景がひろがり、おじいちゃんは小川にいる魚たちをボケタに見せてくれたのです。

おばあちゃんとボケタは、向島に潮干狩りにでかけます。そこで、顔なじみの長惠寺の小林雪路(入江若葉)と娘のミカリ(勝野雅奈恵)と出会い、昔、寺に出入りしていたホラタコの多吉(小磯勝弥)が弥勒菩薩の仏像を壊して、左手の小指だけが紛失したままだという話を聞きます。ミカリは玉虫を見せてあげようとボケタを長恵寺に案内します。そこで、ふだん入ってはいけないといわれてる昔結核で亡くなった叔母のお玉(宮崎あおい)の部屋で蓄音機を鳴らします。その曲は「ジョスランの子守唄」で、まさにおじいちゃんが口づさむ「夢のまきまき・・・」でした。

ボケタはおじいちゃんが、お玉、多吉らと昔何かの出来事があって、ずっと心に引っかかっているのではないかと考え、もう一度空を飛んで一緒に向島に行こうと言いました。翌日、あの歌に乗って気がつくとボケタは、長恵寺に入っていくこどもの時のおじいちゃんを見つけました。おじいちゃんの賢司郎は、結核のため部屋から出れないお玉が蓄音機から流す「ジョスランの子守唄」を聞き入るのです。そして、玉虫がいるから捕まえようと多吉に誘われた賢司郎は、言われるがままに弥勒菩薩の手にとまっていた玉虫を獲ろうと突いた棒で仏像を壊してしまったのでした。

こどもの時の淡い恋と仏像を壊した思い出を心の奥に封印していたおじいちゃんが、死期が近づき過去を清算しようとしていたのが奇怪な行動になっていたのですが、疑うことを知らないボケタの後押しでその想いの真相にたどり着き、悔いを残すことなく一生を終えることになります。

賢司郎とお玉の関係とボケタとミカリを対比させながら、両者を「ジョスランの子守唄」でつなぎ止め玉虫を象徴的に扱うことで、映像に情緒的な広がりを作り上げているところが大林監督の真骨頂のように思います。

前編に尾道弁を強調した脚本と、今までにないくらいたっぷりと尾道の自然を映し出すことで、シリーズの最後を飾るのにふさわしい作品になっています。