2025年2月17日月曜日

マヌケ先生 (1998)

この作品の監督は内藤忠司で、大林宜彦監督作品で助監督を長年務めた方です。1998年1月に中国放送が90分枠のテレビドラマとして放送しましたが、2000年に20分間追加されたものが劇場版として公開されました。

中国放送から依頼されたものの「あの、夏の日」にかかりきりだった大林監督が、せっかくなので少年時代を回想した自著を原作に、自分は「総監督」という立場で口を出さずに、実質的には内藤をはじめとした大林組に任せた作品です。

映画監督の馬場鞠男(三浦友和)は、新作を故郷の尾道で作ることにしていましたが、なかなか良いアイデアが浮かばないままに尾道行の列車に乗り込みます。向かいの席に風変わりな紳士(谷啓)が座っていて、「尾道のタンク岩に行ってともだちの宝を探す。あなたならわかるでしょう」と言うのですが鞠男にはよくわかりません。

眠気がさした鞠男は、戦時中だった少年時代(厚木拓郎)を思い出します。一緒に落とし穴をつくってくれた校長先生(荻原賢三)、蛇から逃げ方を教えてくれたおなご先生(洞口依子)、知らないことがあるとこどもたちに正直に謝るおとこ先生(林泰文)などが懐かしい。

そして広島にいる父親の馬場九八郎(竹内力)に会うため、母親の文子(南野陽子)と一緒に列車に乗っていて、活動写真小屋の病弱な娘、辰村千代子(有坂来瞳)と知り合います。久しぶりに会った九八郎は鞠男に「好きなことをとことんやれば神様が道筋を作ってくれる」と語るのでした。

終戦を迎え、尾道も自由な空気になり、鞠男は教科書の片隅に可愛い紳士が動くパラパラ漫画を書いていました。そして、それを活動写真にしようと思い立ち、色が抜けてしまった活動写真のフィルムに一コマ一コマを手書きしていきます。

大人の鞠男は紳士に導かれるように少しずつ少年時代の記憶を呼び起こし、自分が初めて作った活動写真の主人公に「マヌケ先生」という名前を付けたことを思い出します。出来上がった活動写真の映写会行うことになり、町のあちこちにポスターを張り、手作りの招待券を千代子にも渡したのでした。

大盛況の上映会となりますが、千代子の姿はありませんでした。千代子は亡くなって見に来ることができなかったのです。しかも、活動写真の中からマヌケ先生が飛び出して逃げ出してし、タンク岩のところで消えてしまいます・・・そこで列車が尾道に到着し、鞠男はその時のフィルムをタンク岩の下に埋めたことを思い出します。紳士が言う「ともだち」とは自分の事だと気がついた鞠男に、紳士は「私がマヌケ先生です」と言うと、再び走って逃げていくのでした。

谷啓は得意のトロンボーンを演奏したり、歌を歌ったりの大活躍。鞠男の祖父は丹波哲郎、祖母は入江若葉、活動写真小屋のおかみに風吹ジュン、下男にミッキー・カーティスなどが登場し、大林作品常連が大勢出てきて花を添えています。子役の厚木拓郎は「あの、夏の日」と同時期の登場ですが、この後の多くの大林作品に登場する存在になりました。

鞠男が活動写真を作ろうと思い立つきっかけはアメリカ人の記録映画監督に出会ったからなんですが、これはいかにもジョン・フォード監督をパロディにしたもので、大林宜彦がカメオ出演して怪しげな英語で熱演しています。また、馬場鞠男という名前も、60年代のイタリアのホラー映画の巨匠、マリオ・バーヴァに由来しています。

大林宜彦が映画を作るきっかけのエピソードを使ったファンタジーですが、こどもを否定しない家族に囲まれて、戦中・戦後の苦しい時代を生き抜くたくましさをうまく現在と過去を交差させて描いています。

正規の大林宜彦の監督作品ではありませんが、2つの大林宜彦監督の尾道三部作の番外編として、大林監督が好きで、特に尾道作品が気に入った方は、絶対に合わせて見ておくべきものだと思います。