大林宜彦監督の「新・尾道三部作」の第2弾で、今作も第1弾「ふたり」と同じ赤川次郎の小説「午前0時の忘れもの」が原作です。映画化された「ふたり」の完成度に感激した赤川次郎が、自ら監督に映画化を勧め実現しました。
あまり知られていない小さな浜に船着き場待合室と桟橋をセットで組み、ほとんどがその場所で話が進行するため、舞台は尾道ですがそれらしいシーンは多くはありません。大林作品としては珍しい「グランドホテル形式」による群像劇のスタイルになっています。
3か月前に小型客船の呼子丸が尾道沖で嵐のために沈没し、乗客は全員絶望が伝えられました。残された家族や友人たちは、様々な想いを抱いてなかなか日常に戻れない生活をしていました。
安田沙由利(椎名ルミ)は、信頼する水泳コーチの唐木隆司(村田雄浩)を事故で失い、良い記録を出しても一緒に喜んでもらえず辛い毎日でした。ある時、掲示板に「さゆりへ、今夜午前0時に呼子浜で待つ、RYUJI」という伝言を見つけ、混乱する心を持ちつつもバイクで飛び出していくのでした。
中学生の朝倉恵(宝生舞)は、事故で亡くなったはずの大好きだった高柳淳(柏原収史)から同じようなメッセージを受け取り、自転車で呼子浜を目指します。会社員の永尾要治(峰岸徹)は、妻の厚子(小林かおり)と娘のしずか(大野紋香)を失ったのですが、会社のFAXにメッセージが届いたため、車に乗ってでかけます。会社役員の夫、森下薫(井川比佐志)を失った妻の美津子(多岐川裕美)は、秘書の一ノ瀬布子(根岸季衣)と共にモーターボートで出発しました。
そして地元の親分、金澤弥一郎(植木等)は、妻の澄子(津島恵子)と孫の正を亡くしていましたが、メッセージを受け取ると、部下の池之内勝(ベンガル)、山形ケン(小倉久寛)、大木貢(林泰文)を引き連れて車で呼子浜に向かいますが、途中で車が入れない道になってしまい徒歩を余儀なくされました。さらに、弥一郎を殺して組織を手にしようと、笹山剛(岸部一徳)と笹山哲(田口トモロヲ)の兄弟が後を追いかけていました。
たまたま旅行に来ていた大学生の原田法子(高橋かおり)と綿貫ルミ(朱門みず穂)は、フェリーの時間を間違えて帰れなくなり、呼子浜にたどり着き、仕方がなく待合室で夜を明かすことにしました。そこへ、次から次へと人が集まってくる。その中に、小学生の時待ち合わせの約束をしたきり会うことがなかった大木貢を見つけます。
貢は笹山兄弟に言い含められ弥一郎を殺すはずでしたが、どんどん人が増えてタイミングを失っていました。しびれを切らした哲が飛び出してきますが、弥一郎はとにかく0時まで待てと説得します。法子は貢にあの時の約束をずっと待っていたといい、まだやり直せると話すのでした。
そして午前0時。桟橋の向こうに音を立てずに呼子丸が浮かび上がってきて、桟橋に着くと、死んだはずの人々が次から次へと降りてきたのでした。
新・尾道三部作は生と死を正面から描いているところが共通の特徴としてありそうです。ここでは、多くの死が一時的に戻って来て、生の側に残された人々との間で、お互いに残して来た想いを伝えあうドラマが描かれます。
普通に別れの挨拶をできなかったことの無念だけでなく、亡くして大切さを初めて気がつく者、なんとかそのまま生き返らせようと考える者、自分の想いだけで相手には伝わっていなかったことがわかる者などなど、様々な再会がありました。
しかし、いずれも夜が明けるまでの生と死の再会であり、それと強く対比されるのが法子と貢の再会です。二人は未来がある生と生の再会であり、再び沈んでいく船と共に消え去ることはありません。
わずかな出番ですが、大変印象的な登場をするのが「わたし」と名乗るだけの原田知世です。船から降りてこない、誰も待っていない女性で、自ら大林監督にそんな乗客もいてもいいんじゃないかとアイデアを出したもの。誰とも再会しない人もいることが、再会した人々をより印象的なものにしているように思いました。