2025年3月31日月曜日
我が音楽愛好歴
似たような話は過去にも小出しにしていた気がするんですが、そもそも自分の音楽好きの一面の来歴をまとめて書いておくことにします。
そもそも父親が主として歌謡曲好きだった。家には8トラックテープ・・・って、まずほとんどの人はわからないけど、それがいくつかありました。小川知子とか、黛ジュンとか、西田佐知子などの昭和女性歌手のヒット曲がテレビ・ラジオ以外で聞くことができた。自然と音楽に触れあうことがあったのですが、決定的だったのは小学校の同級生の文房具店の倅のK君の影響です。
K君はクラリネットを習っていて、日本のジャズ・クラリネットの草分け的な存在である北村英二氏とも知り合いだった・・・と思います。自分の家にはモノラルのレコード・プレイヤーしかありませんでしたが、彼の家に遊びに行くと家具のような立派なステレオ装置があって、いろいろな音楽を聞かせてくれました。
今でも記憶に強く残っているのは、ビートルズの「Let It Be」のLPで、豪華な分厚い写真集が付属している特別限定版。他にも牛の写真がドーンと写っている「ピンク・フロイド/原子心母」みたいなプログレッシブ・ロック、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズのようなポップス、そしていろいろなクラシックのレコードが次から次へと出てくるので楽しくてしょうがない。
さらにK君は、近くの河合楽器の店を紹介してくれました。当時は楽器だけでなくレコードを扱っていて、担当の店員さんと懇意になれたので、レコードをいつでも2割引きで買えるようにしてくれたのが大きかった。
そのころSONYがレコード業界に進出して、アメリカのコロンビア・レコードを独占的に日本で販売するようになりました。最初はCBSソニーというレーベルを知ってもらうために、バーゲン価格のレコードをいろいろと出したので、これはねらい目でした。
初めて買ったクラシックのレコードはそういったセットで、レナード・バーンスタイン指揮、フィリップ・アントルモンがピアノの「ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番」が含まれていました。他にはカザルス四重奏団による「モーツァルト/クラリネット五重奏曲」とかカール・ベーム指揮の「ベートーヴェン/交響曲第9番」などが記憶にあります。
そういったごく初期に買ったクラシックの中にグレン・グールドの「バッハ/2声と3声のインベンション&シンフォニア」もあったんですが、この頃はまったく良さがわからず、なんでハープシコードの曲をピアノで弾いてんだくらいにしか思いませんでした。
K君からいろいろなジャンルの音楽を聴かされたおかげで、天地真理、石川さゆり、小林幸子なんてのも買ってましたし、中学生になるとビートルズを卒業して本格的なロックに傾倒していくのは自然な流れだと思います。レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルはもちろんのこと、ユーライア・ヒープ、ピンク・フロイド、EL&P、イエス、キング・クリムゾンなどを中心に聴くようになるわけですが、高校生になるとジャズ好きの同級生がいて新たな次元に突入することになります。
たまたま入ったdisk unionの店で、一番前にあって目に付いたのがマイルス・デイビスの「'round about midnight」のジャケット。サングラスをかけたマイルスのドアップ写真がめちやくちゃかっこいい、というだけで衝動買いです。「ロックなんてこどもだぜ。大人はジャズ」とでも思ったのか、そこからは学生のうちは主として聴きまくっていたのはジャズでした。
そんなわけで、学生時代までに集めてLPレコードは200枚くらいあったと思いますが、社会人になった頃から時代はレコードからCDに変わり、これらのレコードは部屋の隅の棚に眠ってしまうわけで、ある日気がついたら全部が湿気でカビだらけ。もう、泣く泣く捨てるしかないという・・・今はまたレコード盤が有難がられているので、ちゃんと保管していればけっこうな価値があったかもしれません・・・
まぁ、こんな話、誰も興味は湧かないところなんで、このくらいにしておきます。
2025年3月30日日曜日
SAKURA 2025 @ 早渕川 向岸
去年より、1週間ほど早く桜の便りが届いています。
毎年の光景ですが、やはり「満開の桜」というのは春代表的な風物詩ですから、思わず足を止めて見入ってしまうのは日本人の本能みたいなもの。
クリニックの裏手に流れる早渕川の川岸は、ちょっとした桜並木になっています。特に、クリニックから見て向岸、市営地下鉄の高架脇には、真っ先に咲き始める桜が並んでいます。
よく見るソメイヨシノよりもピンク色が濃い目なので、山桜の種類なのかなと思っていますが、数日前にほぼ満開となりました。すでに花見を楽しむ人がたくさん集まっているようです。
昨日はあいにく雨模様でしたが、今日天気は回復して絶好のお花見日和になりそうです。
2025年3月29日土曜日
グッドバイ〜嘘からはじまる人生喜劇〜 (2020)
太宰治という名は、誰もが知っている昭和の文豪の一人ですが、どこか屈折したイメージがつきまとう・・・というのも、愛人と入水自殺し38才の短い生涯を閉じたこともあり、およそコメディを想像させることはありません。ところが、太宰治が生前、最後に執筆し未完のままとなったのが「グッドバイ」で、モテ男が多くの愛人とグッドバイするため偽装結婚をするという、喜劇性の強い小説でした。
内容の面白さだけでなく、未完ということで様々に想像を膨らませることができるところから、何度も戯曲化もテレビドラマ化もされ、演出家・脚本家のイマジネーションを刺激し続けています。今作は2度目の映画化で、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(小林 一三)が舞台用に戯曲化したものを、自ら映画用脚本に手直してして、「ソロモンの偽証」などを手掛けた成島出が監督をしています。
終戦直後の東京。雑誌編集長をしている田島周二(大泉洋)は、優柔不断のくせに女性に対して大変優しくもててしまうため、望んだわけでもないのにあちこちに愛人がいるのです。青森に疎開している妻とこどもがいて、こどもに胸を張って再開するために、愛人を整理する決心をした田島は、小説家の漆山(松重豊)に相談しました。漆山は誰か女性を連れて行って、妻だと紹介すれば別れられるだろうと提案します。
田島は闇市で知り合いだった永井キヌ子(小池栄子)が、ふだんは汚れた格好をしていますが、実はなかなかの美人であることを知り、キヌ子に妻の役を頼み込みます。キヌ子を連れて、花屋の青木保子(緒川たまき)のもとを訪れた田島は「グッドバイ」と言って別れることに成功します。
次に挿絵画家の水原ケイ子(橋本愛)を訪ねると、保子が2階に間借りしていて失恋を苦に飛び降り自殺を図ろうとしていたため、あわてて引き上げました。漆山にキヌ子をものにしておけば、後がやりやすくなるとアドバイスし、取材で青森に行くから奥さんとこどもによろしく言ってあげると言うのです。田島はキヌ子に迫りますが逆に2階の物干し場から投げ出される始末。しかも、ケイ子にも事情が知られてしまい「グッドバイ」されてしまいます。
次に出かけたのは病院。医師の大櫛加代(水川あさみ)は、逆に田島の妻からの手紙を見せます。そこにはもう田島には愛想が尽きたので、好きにどうぞと書かれていましたが、加代はそんな田島にはこちらから「グッドバイ」だと言って去っていきました。助けを求めて漆山の家に行くと、ちょうどそこへ漆山が田島の妻、静江(木村多江)とこどもを連れて帰ってきました。驚く田島に、漆山は二人のことは自分が面倒みることにしたとと説明するのです。
絶望した田島は、飲み屋でキヌ子に愚痴りまくって、手持ちの金をばらまいて店を出ていきます。道端にいた占い師(戸田恵子)が田島に声をかけ、いろいろあるだろうけど、実は身近なところにあんたを一番理解し気兼ねなく接することができる女性がいると教えます。田島はそれがキヌ子のことだと気がつき、店に戻ることにしますが、占い師はそっちは大きな厄災があるから、反対の方角に行くようにという忠告を無視して店への近道を急ぐのでした。
太宰治がどのような結末を考えていたのか、誰にもわかるはずはありません。少なくとも「たくさんの女性と別れていったら最後に妻からグッドバイされる」という滑稽話として構想されたことだけは確からしい。
最初の女性には「グッドバイ」と言えた田島ですが。これはあくまで前振り。この後は、すべて逆グッドバイされ、最後は妻からの強烈な一撃を食らうという流れはなかなかよく出来ていると思います。ただし、コメディとしてはOKかもしれませんが、妻と作家がいとも簡単にできてしまい田島を捨てるというのは、やや強引すぎる。もう少し早い段階から匂わせるか、コメディ色を強調してもよかったように思います。
大泉洋は普段はあからさまに人から笑いを取るキャラクターとして認知されていますが、映画の中では大真面目だけどその行動が笑いを誘うような役柄が多い。この作品もそういう意味でははまり役で、何度か共演経験がある小池栄子とも息ぴったりです。
キヌ子は闇市をたった一人で生き抜いてきた女性なので、たくましいけど実はどこかに人恋しさを隠しているはずで、そのあたりは小池栄子は上手に演じていると感じました。ただ演出上の仕掛けだと思いますが、ずっとだみ声でしゃべるところはやや耳障りが悪く、わざとらしさを感じてしまいます。
それでも「店への近道を急ぐ」田島までは、うまく描かれていて楽しめます。ところが、見舞われる「大きな厄災」から後のオリジナル・ストーリー部分については、田島の部下の清川(濱田岳)のエピソードも取ってつけたような感じですし、ちょっと盛り過ぎのような感じがしました。ハッピーエンドは歓迎するところですけど、もっと素直な形の終わり方でよかったように思います。
内容の面白さだけでなく、未完ということで様々に想像を膨らませることができるところから、何度も戯曲化もテレビドラマ化もされ、演出家・脚本家のイマジネーションを刺激し続けています。今作は2度目の映画化で、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(小林 一三)が舞台用に戯曲化したものを、自ら映画用脚本に手直してして、「ソロモンの偽証」などを手掛けた成島出が監督をしています。
終戦直後の東京。雑誌編集長をしている田島周二(大泉洋)は、優柔不断のくせに女性に対して大変優しくもててしまうため、望んだわけでもないのにあちこちに愛人がいるのです。青森に疎開している妻とこどもがいて、こどもに胸を張って再開するために、愛人を整理する決心をした田島は、小説家の漆山(松重豊)に相談しました。漆山は誰か女性を連れて行って、妻だと紹介すれば別れられるだろうと提案します。
田島は闇市で知り合いだった永井キヌ子(小池栄子)が、ふだんは汚れた格好をしていますが、実はなかなかの美人であることを知り、キヌ子に妻の役を頼み込みます。キヌ子を連れて、花屋の青木保子(緒川たまき)のもとを訪れた田島は「グッドバイ」と言って別れることに成功します。
次に挿絵画家の水原ケイ子(橋本愛)を訪ねると、保子が2階に間借りしていて失恋を苦に飛び降り自殺を図ろうとしていたため、あわてて引き上げました。漆山にキヌ子をものにしておけば、後がやりやすくなるとアドバイスし、取材で青森に行くから奥さんとこどもによろしく言ってあげると言うのです。田島はキヌ子に迫りますが逆に2階の物干し場から投げ出される始末。しかも、ケイ子にも事情が知られてしまい「グッドバイ」されてしまいます。
次に出かけたのは病院。医師の大櫛加代(水川あさみ)は、逆に田島の妻からの手紙を見せます。そこにはもう田島には愛想が尽きたので、好きにどうぞと書かれていましたが、加代はそんな田島にはこちらから「グッドバイ」だと言って去っていきました。助けを求めて漆山の家に行くと、ちょうどそこへ漆山が田島の妻、静江(木村多江)とこどもを連れて帰ってきました。驚く田島に、漆山は二人のことは自分が面倒みることにしたとと説明するのです。
絶望した田島は、飲み屋でキヌ子に愚痴りまくって、手持ちの金をばらまいて店を出ていきます。道端にいた占い師(戸田恵子)が田島に声をかけ、いろいろあるだろうけど、実は身近なところにあんたを一番理解し気兼ねなく接することができる女性がいると教えます。田島はそれがキヌ子のことだと気がつき、店に戻ることにしますが、占い師はそっちは大きな厄災があるから、反対の方角に行くようにという忠告を無視して店への近道を急ぐのでした。
太宰治がどのような結末を考えていたのか、誰にもわかるはずはありません。少なくとも「たくさんの女性と別れていったら最後に妻からグッドバイされる」という滑稽話として構想されたことだけは確からしい。
最初の女性には「グッドバイ」と言えた田島ですが。これはあくまで前振り。この後は、すべて逆グッドバイされ、最後は妻からの強烈な一撃を食らうという流れはなかなかよく出来ていると思います。ただし、コメディとしてはOKかもしれませんが、妻と作家がいとも簡単にできてしまい田島を捨てるというのは、やや強引すぎる。もう少し早い段階から匂わせるか、コメディ色を強調してもよかったように思います。
大泉洋は普段はあからさまに人から笑いを取るキャラクターとして認知されていますが、映画の中では大真面目だけどその行動が笑いを誘うような役柄が多い。この作品もそういう意味でははまり役で、何度か共演経験がある小池栄子とも息ぴったりです。
キヌ子は闇市をたった一人で生き抜いてきた女性なので、たくましいけど実はどこかに人恋しさを隠しているはずで、そのあたりは小池栄子は上手に演じていると感じました。ただ演出上の仕掛けだと思いますが、ずっとだみ声でしゃべるところはやや耳障りが悪く、わざとらしさを感じてしまいます。
それでも「店への近道を急ぐ」田島までは、うまく描かれていて楽しめます。ところが、見舞われる「大きな厄災」から後のオリジナル・ストーリー部分については、田島の部下の清川(濱田岳)のエピソードも取ってつけたような感じですし、ちょっと盛り過ぎのような感じがしました。ハッピーエンドは歓迎するところですけど、もっと素直な形の終わり方でよかったように思います。
2025年3月28日金曜日
グッモーエビアン! (2012)
吉川トリコの小説が原作で、2007年にはテレビドラマがすでに作られていますが、これを山本透が監督をして映画化されました。タイトルは「Good morning, everyone」をネイティブっぽく発音したものです。
名古屋で元パンクロックバンドのキダリストをしていた広瀬アキ(麻生久美子)は、17歳で産んだ中三になるハツキ(三吉彩花)と二人暮らし。数年前までは、アキのバンド仲間、ボーカルのヤグ(大泉洋)もなぜか一緒に暮らしていましたが、ヤグは世界を見ると言って出て行ったきり、たまにハガキが来るだけでした。
ある日、そのヤグが突然帰って来て、再びアキのもとに転がり込んできました。アキとヤグはしょうもないことで笑って騒いで、明日の事などお構いなし。無遠慮に日常の中に入り込んでくるヤグは、年頃のハツキにはうざい存在でした。進路指導の三者面談の話をしても、アキは自分の事は自分で決めればいいので、母親が出る幕じゃないと言って取り合いません。
ハツキの親友で、アキやヤグのことを羨ましく思っているトモミ(能年玲奈)は、ヤグから箱入りトモちゃんと呼ばれていました。トモミはヤグが父親だったらよかったと言い出すので、ハツキはそんなこと言わないでよと席を立ってしまいます。しかし、翌日学校に行くと、何とトモミが両親の離婚によって昨日で転校してしまったと聞かされます。
たまたま空港に向かうところだったトモミと出会ったヤグは、話を聞くと学校に飛び込んできて、ハツキに「サヨナラは言える時に言わなきゃいけない」と大声で叫びます。ヤグはハツキを乗せて自転車で空港に向けて全力疾走するのですが、出合い頭にトラックとぶつかってしまうのでした。
お調子者で騒ぐのが大好きというヤグのキャラクターは、まさに大泉洋のためにあるみたいな役どころ。でも、考えていないようでしっかりと心の中に仕舞っている人間として生き方を持っている人物で、アキも同類なのです。ハツキは、表面的な部分で二人を反面教師にして、優等生であることを崩そうとしません。
ほぼ実年齢だった三吉彩花は、少しずつヤグとアキの筋が通ったいい加減さを理解していき、無理していた自分に気がついてちょっと成長していくという役どころでしょうか。トモミの能年玲奈は「あまちゃん」でブレークする前で、ハツキに家族って何と考えさせる重要な役どころです。
家族の形はいろいろなものがあって、血族=家族とは限らないことが映画で示されています。互いを信頼し愛し守るなら、それが家族であるということ。家族になるためには互いの気持ちをしっかり考えることも重要だと、この映画ではいっているようです。
名古屋で元パンクロックバンドのキダリストをしていた広瀬アキ(麻生久美子)は、17歳で産んだ中三になるハツキ(三吉彩花)と二人暮らし。数年前までは、アキのバンド仲間、ボーカルのヤグ(大泉洋)もなぜか一緒に暮らしていましたが、ヤグは世界を見ると言って出て行ったきり、たまにハガキが来るだけでした。
ある日、そのヤグが突然帰って来て、再びアキのもとに転がり込んできました。アキとヤグはしょうもないことで笑って騒いで、明日の事などお構いなし。無遠慮に日常の中に入り込んでくるヤグは、年頃のハツキにはうざい存在でした。進路指導の三者面談の話をしても、アキは自分の事は自分で決めればいいので、母親が出る幕じゃないと言って取り合いません。
ハツキの親友で、アキやヤグのことを羨ましく思っているトモミ(能年玲奈)は、ヤグから箱入りトモちゃんと呼ばれていました。トモミはヤグが父親だったらよかったと言い出すので、ハツキはそんなこと言わないでよと席を立ってしまいます。しかし、翌日学校に行くと、何とトモミが両親の離婚によって昨日で転校してしまったと聞かされます。
たまたま空港に向かうところだったトモミと出会ったヤグは、話を聞くと学校に飛び込んできて、ハツキに「サヨナラは言える時に言わなきゃいけない」と大声で叫びます。ヤグはハツキを乗せて自転車で空港に向けて全力疾走するのですが、出合い頭にトラックとぶつかってしまうのでした。
お調子者で騒ぐのが大好きというヤグのキャラクターは、まさに大泉洋のためにあるみたいな役どころ。でも、考えていないようでしっかりと心の中に仕舞っている人間として生き方を持っている人物で、アキも同類なのです。ハツキは、表面的な部分で二人を反面教師にして、優等生であることを崩そうとしません。
ほぼ実年齢だった三吉彩花は、少しずつヤグとアキの筋が通ったいい加減さを理解していき、無理していた自分に気がついてちょっと成長していくという役どころでしょうか。トモミの能年玲奈は「あまちゃん」でブレークする前で、ハツキに家族って何と考えさせる重要な役どころです。
家族の形はいろいろなものがあって、血族=家族とは限らないことが映画で示されています。互いを信頼し愛し守るなら、それが家族であるということ。家族になるためには互いの気持ちをしっかり考えることも重要だと、この映画ではいっているようです。
2025年3月27日木曜日
黄砂だけど・・・
この数日、大陸由来の黄砂が日本にまで大量飛来している・・・ということでした。
まぁ、実はこの写真は加工してある。昨日のクリニックから見たセンター南の風景ですが、いつもよりちょっと黄色を強調しちゃいました。
遠くになるほどややいつもより霞がかかったみたいな感じはあるんですが、そんなにはっきりしたものじゃありません。ただし、雲一つなく晴れているわりには、青味が少ない印象です。
でも、車のボンネットには明らかに細かい砂のような粒子が付着しているので、黄砂飛来は間違いないところだと思います。
花粉症の人は、黄砂に花粉が付着していると言われているので神経質になってしまいますが、何しろ3月だというのに25゚cを超えるような暑さ。ずっと窓を閉め切っているのも難しい。
いろいろなところで気候変動の影響を感じますね。
2025年3月26日水曜日
鶏唐揚げ or ザンギ ?
みんな大好き、鶏肉の唐揚げ。
いつ頃からか、巷には唐揚げの事をザンギと呼ぶものが登場していました。なんか、地方の方言かなんか? と思っていましたが、あまり深く追求することもなく何年もたってしまいました。
そもそもザンギとは・・・って、知ったのは数年前だったか、北海道での唐揚げの呼び名のことだと。
一般には、しっかりとした味を付けた鶏もも肉の唐揚げのことをザンギと呼ぶのですが、鶏肉以外他の肉で作った唐揚げでも呼び方は同じらしい。
それはともかく、我が家の唐揚げは・・・
ずっとずっと前から、食べやすい大きさにカットした鶏もも肉を、醤油、ニンニク、ショウガなどで漬け込んで、片栗粉2、小麦粉1くらいの割合でまぶして揚げるというもの。
・・・って、これザンギじゃんか!! !!
何と我が家で作っていたのは、まさにザンギだったんです。唐揚げと単純に呼んでいたことに対して、慙愧(ざんき)に堪えません。
2025年3月25日火曜日
騙し絵の牙 (2021)
塩田武士による小説が原作ですが、もともと大泉洋をイメージして当て書きされた物。これを「桐島、部活やめるってよ(2012)」の吉田大八が監督しました。大泉洋自身は、自分に当て書きされたわりには一番自分らしくない作品と言っていますが、出版業界の今を描いたスリリングな映画になっています。
出版大手の薫風社が発光する文芸誌「薫風」は、日本文学界にとっても重要な役割を果たしてきましたが、昨今の本が売れず本屋も減っている状況では苦戦を強いられていました。薫風社の社長(山本學)が病死して、後継者と思われていた息子の惟高(中村倫也)は実力者の新社長の東松(佐藤浩市)によってアメリカに飛ばされてしまいます。薫風を守る編集長の江波(木村佳乃)とその後ろ盾になっている常務の宮藤(佐野史郎)は、抵抗しますが東松は薫風を月刊から季刊に変更してしまいます。
最近、薫風社のカルチャー雑誌「トリニティ」の編集長に迎えられた速水(大泉洋)は、東松からトリニティも廃刊候補と言われ、まず薫風の大御所作家である二階堂(國村隼)に自身が生き残るためにトリニティに連載するマンガの原作を書かせることに成功します。
そして、薫風から外された高野(松岡茉優)を自分の編集部に向かい入れます。高野は本屋の娘で、本当に良い本を真に理解している人材で、薫風では却下された新人の矢代聖(宮沢氷魚)の小説を高く評価していました。速水は、矢代の小説もトリニティで利用していくことにします。
また以前にジョージ真崎というペンネームで面白いエッセイを書く人物が、実は人気モデルでガンマニアの城島咲(池田エライザ)であることをつきとめた速水は、咲を表紙の顔にしてエッセイを連載することにします。
高野は20年来筆を折り行方不明になっている幻の作家、神座(リリー・フランキー)に注目し、最後の作品の原稿を細かく調べ上げます。そこから、ある飛行場でセスナを所有していることを推察し現地に向かいますが、丁度離陸するところで直接会うことに失敗します。
咲はストーカー被害にあっていてましたが、いよいよトリニティが発行される直前についに直接ナイフを向けられてしまいます。咲はとっさに持っていた改造銃で発砲してしまい、警察に逮捕されてしまうのです。速水はたとえ広告が無くなっても、咲への同情も手伝って必ず発行部数が増えて赤字にはならないと東松を説得し、予想通りの売り上げ増に成功します。
宮藤と江波は、トリニティに奪われた矢代を説得し薫風に鞍替えさせますが、その発表の記者会見で、矢代は実は自分は作者ではなく行方不明の友人の作品であることを暴露してしまいます。責任を追及された宮藤は取締役から外され、ついに薫風は休刊が決定してしまうのでした。
確かにユーモアはほとんど無いので、大泉洋らしくないと言えばそうかもしれません。登場人物が何かしら誰かを騙しているというところはありますが、大泉洋が演じる速水がその中心にいて、だからと言って悪者にはなりきれていないあたりは、らしいと言えばらしい点かもしれません。
矢代、咲、神座という3人のエピソードがバラバラのようで最後につながっていくあたりはなかなか面白い構成なんですが、謎を作り出している速水と、謎を追いかける高野の存在によって、やや話が複化していることが難点になっているかもしれません。2時間弱の映画ですが、あと30分くらいは長くても良いと思います。
それにしても、出版業界の苦境は明快に示されていて、関係する仕事に就いてる方には耳の痛い話になっています。ネット社会になって、文字を粗末に扱うようになったというのは実感するところで、時代と共に文化も変化していくのは必然だと思いますが、コミュニケーション手段として重要なところなので、ネット社会が取って代わるのではなく上位互換となってもらいたいものだと感じています。
出版大手の薫風社が発光する文芸誌「薫風」は、日本文学界にとっても重要な役割を果たしてきましたが、昨今の本が売れず本屋も減っている状況では苦戦を強いられていました。薫風社の社長(山本學)が病死して、後継者と思われていた息子の惟高(中村倫也)は実力者の新社長の東松(佐藤浩市)によってアメリカに飛ばされてしまいます。薫風を守る編集長の江波(木村佳乃)とその後ろ盾になっている常務の宮藤(佐野史郎)は、抵抗しますが東松は薫風を月刊から季刊に変更してしまいます。
最近、薫風社のカルチャー雑誌「トリニティ」の編集長に迎えられた速水(大泉洋)は、東松からトリニティも廃刊候補と言われ、まず薫風の大御所作家である二階堂(國村隼)に自身が生き残るためにトリニティに連載するマンガの原作を書かせることに成功します。
そして、薫風から外された高野(松岡茉優)を自分の編集部に向かい入れます。高野は本屋の娘で、本当に良い本を真に理解している人材で、薫風では却下された新人の矢代聖(宮沢氷魚)の小説を高く評価していました。速水は、矢代の小説もトリニティで利用していくことにします。
また以前にジョージ真崎というペンネームで面白いエッセイを書く人物が、実は人気モデルでガンマニアの城島咲(池田エライザ)であることをつきとめた速水は、咲を表紙の顔にしてエッセイを連載することにします。
高野は20年来筆を折り行方不明になっている幻の作家、神座(リリー・フランキー)に注目し、最後の作品の原稿を細かく調べ上げます。そこから、ある飛行場でセスナを所有していることを推察し現地に向かいますが、丁度離陸するところで直接会うことに失敗します。
咲はストーカー被害にあっていてましたが、いよいよトリニティが発行される直前についに直接ナイフを向けられてしまいます。咲はとっさに持っていた改造銃で発砲してしまい、警察に逮捕されてしまうのです。速水はたとえ広告が無くなっても、咲への同情も手伝って必ず発行部数が増えて赤字にはならないと東松を説得し、予想通りの売り上げ増に成功します。
宮藤と江波は、トリニティに奪われた矢代を説得し薫風に鞍替えさせますが、その発表の記者会見で、矢代は実は自分は作者ではなく行方不明の友人の作品であることを暴露してしまいます。責任を追及された宮藤は取締役から外され、ついに薫風は休刊が決定してしまうのでした。
確かにユーモアはほとんど無いので、大泉洋らしくないと言えばそうかもしれません。登場人物が何かしら誰かを騙しているというところはありますが、大泉洋が演じる速水がその中心にいて、だからと言って悪者にはなりきれていないあたりは、らしいと言えばらしい点かもしれません。
矢代、咲、神座という3人のエピソードがバラバラのようで最後につながっていくあたりはなかなか面白い構成なんですが、謎を作り出している速水と、謎を追いかける高野の存在によって、やや話が複化していることが難点になっているかもしれません。2時間弱の映画ですが、あと30分くらいは長くても良いと思います。
それにしても、出版業界の苦境は明快に示されていて、関係する仕事に就いてる方には耳の痛い話になっています。ネット社会になって、文字を粗末に扱うようになったというのは実感するところで、時代と共に文化も変化していくのは必然だと思いますが、コミュニケーション手段として重要なところなので、ネット社会が取って代わるのではなく上位互換となってもらいたいものだと感じています。
2025年3月24日月曜日
浅草キッド (2021)
お笑い芸人の劇団ひとりの監督第2作で、ビートたけしの自伝的小説を原作に脚本も劇団ひとりが担当しています。制作はNetflixで配信のみで視聴となっていて、現在までDVDなどは発売されていません(中国製の怪しげなものは出回っています)。
ビートたけし、北野武は大学を早々に退学して1972年に浅草フランス座の見習いとして楽屋で寝泊まりするようになります。当時の浅草フランス座は、基本はストリップ劇場で、踊りの合間にコントを上演していました。ここから有名になった者には、渥美清、東八郎、コント55号などもいましたが、「浅草の師匠」と呼ばれた芸人、深見千三郎が経営も担っていました。
深見は古いタイプの舞台一筋の芸人でテレビに背を向けていたため、ほとんど世間に知られることはありませんでしたが、人を笑わせることには秀でていて、誰もが一目置く存在であったと言われています。
フランス座でエレベータボーイの仕事についたタケシ(柳楽優弥)は、深見千三郎(大泉洋)のコントに憧れ、弟子入りを志願します。深見は何も芸を持っていないタケシにタップダンスを教えますが、それ以来ずっと真剣にタップの練習をしているタケシを見て弟子入りを許可するのです。
踊り子のチハル(門脇麦)は、実は歌手志望でしたが流れに流れてストリップをしていました。それでも舞台が終わった後に、一人で歌の練習をしているところをタケシに見られて話をするようになります。チハルは、「あんたはこれから始まるんだからいいよね」と言うのでした。
深見はふだんの生活の中でも、すぐにボケ倒すことを修行として、「客に笑われるんじゃない、笑わすんだ」と教え込みます。タケシは、少しずつ舞台にも立たせてもらうようになり、深見も陰でタケシの才能を認めるようになっていきました。しかし、テレビが普及するにつれフランス座の経営は悪化し、深見の妻で踊り子の麻里(鈴木保奈美)は芸者としても働き続けついに体を壊してしまいます。
舞台が先細りなのに対して、テレビの漫才がどんどん人気になっているのを見て、タケシはついに先にフランス座を辞めたキヨシ(土屋伸之)の誘いで二人で漫才をするため深見の元を辞すのでした。
初めは普通の漫才で目立ちませんでしたが、ツービートに改名して毒舌漫才を始めてからはどんどん人気者になり、10年かけてついにテレビの漫才大会で優勝するまでになります。タケシは優勝した夜、フランス座を手放し、麻里を亡くして、工場で働くようになっていた深みを訪ねます。賞金をそのまま深見に「小遣いです」と言って渡すのでした。
まず冒頭、度肝を抜かれるのは特殊メイクでビートたけしになりきった柳楽の演技。そこまで似せるためのコーチは松村邦洋というのが面白い。一気に何が始まるんだろうという興味を沸かせるのに十分なんですが、ちょっと間違うと柳楽タケシの違和感も作るかもしれないという、けっこう劇団ひとりが賭けに出ているようなところがあります。
ただ、劇団ひとりのビートたけし、そして深見千三郎に対する強いリスペクトは全体に満ち溢れていて、実にていねいに練られた展開であることに拍手を送りたい。
1作目でも主役を演じた大泉洋は、深見の人物像があまり知られていないので柳楽よりは演じやすかったかもしれませんが、大泉らしさもありながら頑で不器用な昭和の芸人を実に見事に演じました。それにしても、前作の手品にしても、今回のタップダンスにしても大泉洋は劇団ひとりからずいぶんと高度な要求をされても、ちゃんとこなす所がすごい。
劇団ひとりは、映画監督としてはまだ2作だけですが、いずれも自分のテリトリーの中で作っているので、俳優、特に大泉洋のおかげで映画として成立させている感じはありますが、違う角度からの映画が作れれば今後が楽しみかもしれません。
2025年3月23日日曜日
クラシック音楽の聴き方 2025
ずいぶん昔に、「クラシック音楽の聴き方」というタイトルで書いているんですが、久しぶりに「今」はどうしているのかという話をしてみたい思います。
クラシック音楽は小学生の時からけっこう聴いていて、ロック、ポップス、歌謡曲、時には演歌もコンスタントに聴き続けています。大人になってからはジャズが中心になり、クラシックはしばらく忘れていました。その理由は、誰が演奏しても同じと思ったから。
ところが、グレン・グールドのピアノを聴いて、同じ楽譜でも演奏者の解釈の仕方によってこんなにも違う音楽になるんだということがわかってからは、どんどんクラシックが面白くなりました。
最初は器楽曲、あるいは小編成の室内楽曲を好んで聞いていましたが、カラヤンの重量級のオーケストラの音が苦手で交響曲は敬遠していました。ところがJ.E.ガーディナーの古楽オーケストラによってオーケストラに覚醒してからは、交響曲もすごく楽しめるようになりました。
J.E.ガーディナーによるもう一つの恩恵は声楽。古楽では多くが声楽が付き物の宗教曲なので、一緒に聞いているうちにクラシックの歌手に対する偏見みたいなものも無くなったわけです。その勢いでオペラも制覇しようと思ったのですが、実はこれだけは何度挑戦してもダメ。好きになった歌手が主役でも、どうしてもピンと来ないので、もうなかばあきらめています。
そんなこんなで、オペラを除いてほぼクラシック音楽の全ジャンルを聞き倒してしまうと、あらためてクラシックが有限資産であることを切実に感じます。つまり過去の有名な作曲家の残した偉大な遺産であって、いくら演奏者によって違ってくるとは言っても、ベートーヴェンの交響曲なら9曲、ピアノ・ソナタなら32曲で終わりという具合にそれ以上の新曲は無いということ。
さすがに演奏者による違いを楽しむとしても、3~4種類くらい聞けば十分で、なんでもかんでも全部を集めるなんて所詮、経済的にも、時間的にも、そして空間的にも無理と言うものです。ですから、もう何年か前から急激にクラシックのCD購入意欲が落ちてしまいました。
また、それに合わすかのように音楽産業の環境がCDという物理媒体からストリーミングに移行して、CDの発売数そのものが減ってしまい、安く全部そろうボックス物の発売も急激に減少しています。これはクラシック好きにはけっこう痛いところで、例えばバッハのカンタータ全集はボックスなら数万円ですが、バラでそろえるとなると数十万円かかってしまうかもしれません。
ただ、今年になって新しい楽しみ方が見つかりました。今まではすでに亡くなった大家の作曲家の作品をすでに名声が確立した巨匠による演奏で聞いていたわけですが、YouTubeには日本の若手の瑞々しい演奏の映像がたくさん転がっていることを知りました。
まだまだ未完成の演奏家に金と時間を使うのはもったいない・・・と思っていたわけでは無いのですが、いやいや若い人も若いからこそできる実に新鮮な感覚の音楽を演奏していることに気がつきました。これはすでに巨匠になった演奏家にはできない芸当だと思いますし、そもそも「楽譜通り」に縛られない自由な発想は若者の特権かもしれません。
巨匠の演奏は「デフォルト」として一定の評価が確立していますが、必ずしもそれが正解とは言えません。芸術は主観的なものですから、時代や社会的な背景によって評価はいくらで変化してかまいません。また若い演奏家は、成長していく過程でその演奏もどんどん変わっていくかもしれないというのも魅力です。
自分の感性にマッチする若手を見つけたら、その人を追いかけてみる、CDがあれば聞いてみるというのは、今後のクラシック音楽の勢いを減らさないためにも意味のある楽しみ方かなと思います。
2025年3月22日土曜日
トワイライト ささらさや (2014)
加納朋子によるファンタジー小説が原作。監督は深川栄洋、脚本は深川と山室有紀子。夫婦愛、親子愛など家族愛をテーマにして、笑いどころはありますがキュンとくる作品になっています。
売れない落語家のユウタロウ(大泉洋)は、自分の落語を一生懸命だったからと唯一笑ってくれたサヤ(新垣結衣)と結婚し、息子のユウスケが産まれたとたんに・・・交通事故で死んでしまいます。葬儀にユウタロウからは死んだと聞かされていた父親(石橋凌)が現れ、ユウスケは引き取ると言い出します。
この世の未練、サヤのことが心配でたまらないユウタロウの霊は、師匠(小松政夫)に乗り移って、サヤにここからユウスケを連れて逃げろと言うのです。サヤはとにかく、かつて世話になっていた佐々良にある亡き叔母の家に身を寄せます。
ユウタロウは、近所の認知症を装っているお夏(富司純子)に乗り移りますが、一人に1回しか乗り移れないらしいと話します。そして、乗り移れるのはユウタロウの気配を感じることができる者だけで、乗り移られたものはアレルギーが出てしまうので長くは乗り移れない。
それ以来、お夏さん、久代(波乃久里子)、球子(藤田弓子)というおせっかいな三人お婆らに助けられる生活が始まります。そして、強気のシングルマザー、エリカとも知り合います。エリカには言葉を失った息子のダイヤ(寺田心)がいましたが、亡くなった夫は今でも近くいるという話をエリカが信じてくれないので、ユウタロウはダイヤに乗り移って事情を話し出すのです。
偶然、サヤがちょっと留守にした時に、久代の息子(つるの剛士)が泣いているユウスをあやしていました。ユウタロウの父親が差し向けた者と勘違いしたサヤは、思わず包丁を向けてしまいます。ユウタロウは、陽気でサヤに気がある駅員の佐野(中村蒼)に乗り移り何とかその場を鎮めました。
実は、この土地では佐野が乗り移れる最後の一人だったのです。ユウタロウはこれでお別れだと言うと、サヤはだからあなたの落語は独りよがりで面白くないと二人は言い合いになります。そして、それぞれの想いをぶつけ合ったことで、サヤはユウタロウの父親と会うことを決意します。しかし、やって来たユウタロウの父は、ユウスケを抱くとそのまま家の外へ逃げ出してしまうのでした。
最初に感じたのは悪者がいない作品ということ。ですから、最後まで見て泣きはあっても、安心できる仕上がりです。ガッキー初めての母親役というのも見どころです。また乗り移られた俳優さんたちの大泉洋風の演技が実に素晴らしく、特にさすが天才子役の寺田心くんには頭が下がります。
撮影で特徴的なのは、街並みなどの遠景ではティルトレンズを使ったミニチュア風撮影を多用していること。ササラという場所がファンタジーであり、リアリティを打ち消すことを目指しているようです。もっとも霊が誰かに乗り移るというのは、冒頭のユウタロウの「私はすでに死んでいます」という説明からしてフィクションなので、もしかしたら監督が意図したほどの効果は出ていないかもしれません。
売れない落語家のユウタロウ(大泉洋)は、自分の落語を一生懸命だったからと唯一笑ってくれたサヤ(新垣結衣)と結婚し、息子のユウスケが産まれたとたんに・・・交通事故で死んでしまいます。葬儀にユウタロウからは死んだと聞かされていた父親(石橋凌)が現れ、ユウスケは引き取ると言い出します。
この世の未練、サヤのことが心配でたまらないユウタロウの霊は、師匠(小松政夫)に乗り移って、サヤにここからユウスケを連れて逃げろと言うのです。サヤはとにかく、かつて世話になっていた佐々良にある亡き叔母の家に身を寄せます。
ユウタロウは、近所の認知症を装っているお夏(富司純子)に乗り移りますが、一人に1回しか乗り移れないらしいと話します。そして、乗り移れるのはユウタロウの気配を感じることができる者だけで、乗り移られたものはアレルギーが出てしまうので長くは乗り移れない。
それ以来、お夏さん、久代(波乃久里子)、球子(藤田弓子)というおせっかいな三人お婆らに助けられる生活が始まります。そして、強気のシングルマザー、エリカとも知り合います。エリカには言葉を失った息子のダイヤ(寺田心)がいましたが、亡くなった夫は今でも近くいるという話をエリカが信じてくれないので、ユウタロウはダイヤに乗り移って事情を話し出すのです。
偶然、サヤがちょっと留守にした時に、久代の息子(つるの剛士)が泣いているユウスをあやしていました。ユウタロウの父親が差し向けた者と勘違いしたサヤは、思わず包丁を向けてしまいます。ユウタロウは、陽気でサヤに気がある駅員の佐野(中村蒼)に乗り移り何とかその場を鎮めました。
実は、この土地では佐野が乗り移れる最後の一人だったのです。ユウタロウはこれでお別れだと言うと、サヤはだからあなたの落語は独りよがりで面白くないと二人は言い合いになります。そして、それぞれの想いをぶつけ合ったことで、サヤはユウタロウの父親と会うことを決意します。しかし、やって来たユウタロウの父は、ユウスケを抱くとそのまま家の外へ逃げ出してしまうのでした。
最初に感じたのは悪者がいない作品ということ。ですから、最後まで見て泣きはあっても、安心できる仕上がりです。ガッキー初めての母親役というのも見どころです。また乗り移られた俳優さんたちの大泉洋風の演技が実に素晴らしく、特にさすが天才子役の寺田心くんには頭が下がります。
撮影で特徴的なのは、街並みなどの遠景ではティルトレンズを使ったミニチュア風撮影を多用していること。ササラという場所がファンタジーであり、リアリティを打ち消すことを目指しているようです。もっとも霊が誰かに乗り移るというのは、冒頭のユウタロウの「私はすでに死んでいます」という説明からしてフィクションなので、もしかしたら監督が意図したほどの効果は出ていないかもしれません。
2025年3月21日金曜日
銀のエンゼル (2004)
「水曜どうでしょう」で有名になったTEAM NACSの兄貴分で、北海道に強いこだわりを持つ鈴井貴之の監督第3作目の映画。今回の作品では、舞台は釧路の何にも無いところにポツンと一軒あるコンビニエンス・ストアですが、俳優陣は有名どころを取り揃え、TEAM NACSは脇役にまわっています。
もともと農家をしていた北島昇一(小日向文世)は、周りからの勧めもあってコンビニを営んでいました。店のオーナーは昇一ですが、実際に店を切り盛りしているのは妻の店長・佐和子(浅田美代子)です。高校三年生の娘、由希(佐藤めぐみ)は、東京の大学への進学を考えていて、昇一だけがそれを知りません。
ある日、佐和子が交通事故にあい入院してしまいます。昇一はしかたがなく店に立つことになるのですが、勝手がよくわからず、配送の六ッ木(大泉洋)からは、新米のバイトに思われてしまうのです。夜勤馴れしている寡黙な佐藤くん(西島秀俊)に助けられ、何とか店を開けていられましたが、佐和子はこれを機会に自分はもう店には出ないと言い出すのです。
由希は、東京に出たがっていることが狭い町の中で知れ渡ってしまい、そのような環境に窮屈な想いをつのらせていきます。そして、ついに昇一の耳にも伝わってしまいますが、怒っている昇一に、由希はずっと自分に無関心だったくせにいまさらと言い放つのでした。
ストーリーとしては娘を本心から心配している不器用な父親とそのことがわからない娘を軸に、コンビニに出入りする二人を応援するたくさんの人々の小さなドラマをたくさん散りばめた群像劇のような体裁になっています。
タイトルの「銀のエンゼル」は森永製菓のチョコボールの当たりマークのこと。常連客のスナックを経営しているシングル・マザー(山口もえ)が、自分の人生の運試しとしてチョコボールの当たりを集めているところからきています。いつも昇一に買う箱を決めてもらっていましたが、佐藤くんに自分で選べばはずれでも後悔しないと言われます。
北海道の空気感みたいなものはうまく焼き付けられていますが、強いメッセージがあるわけではなく、問題を抱えた人々がちょっとだけ前を向いていけるような気になる作品というところでしょうか。大泉洋の出演作としては、主役ではありませんが、適度なユーモアを出しつつも、なかなかかっこいい態度を出すあたりは大泉カラーが確立したような感じがします。
もともと農家をしていた北島昇一(小日向文世)は、周りからの勧めもあってコンビニを営んでいました。店のオーナーは昇一ですが、実際に店を切り盛りしているのは妻の店長・佐和子(浅田美代子)です。高校三年生の娘、由希(佐藤めぐみ)は、東京の大学への進学を考えていて、昇一だけがそれを知りません。
ある日、佐和子が交通事故にあい入院してしまいます。昇一はしかたがなく店に立つことになるのですが、勝手がよくわからず、配送の六ッ木(大泉洋)からは、新米のバイトに思われてしまうのです。夜勤馴れしている寡黙な佐藤くん(西島秀俊)に助けられ、何とか店を開けていられましたが、佐和子はこれを機会に自分はもう店には出ないと言い出すのです。
由希は、東京に出たがっていることが狭い町の中で知れ渡ってしまい、そのような環境に窮屈な想いをつのらせていきます。そして、ついに昇一の耳にも伝わってしまいますが、怒っている昇一に、由希はずっと自分に無関心だったくせにいまさらと言い放つのでした。
ストーリーとしては娘を本心から心配している不器用な父親とそのことがわからない娘を軸に、コンビニに出入りする二人を応援するたくさんの人々の小さなドラマをたくさん散りばめた群像劇のような体裁になっています。
タイトルの「銀のエンゼル」は森永製菓のチョコボールの当たりマークのこと。常連客のスナックを経営しているシングル・マザー(山口もえ)が、自分の人生の運試しとしてチョコボールの当たりを集めているところからきています。いつも昇一に買う箱を決めてもらっていましたが、佐藤くんに自分で選べばはずれでも後悔しないと言われます。
北海道の空気感みたいなものはうまく焼き付けられていますが、強いメッセージがあるわけではなく、問題を抱えた人々がちょっとだけ前を向いていけるような気になる作品というところでしょうか。大泉洋の出演作としては、主役ではありませんが、適度なユーモアを出しつつも、なかなかかっこいい態度を出すあたりは大泉カラーが確立したような感じがします。
2025年3月20日木曜日
2025年3月19日水曜日
泡沫 (うたかた)
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
2週間前に閉店してしまったセブン・イレブン。
開院以来、ずいぶんとお世話になりました。
前を通ってみると、確かに店はすでに「らしさ」は無くなっていて、あれほど繁盛してるように思えたのに見る影もありません。
いかにもオーナーかと思える太った無精ひげのオッサン、煙草を吸いながら新米の店員に講釈たれていた大柄なメガネ男。今となっては懐かしい。
この店は幸せなことに、人は変われど必ず数人のてきぱきと動けるしっかり者の店員がいました。彼ら、彼女らがいるおかげで、何かとても安心感がありました。
いくつかのセブンに寄ってみましたが、まだレギュラーとするほどの雰囲気の店は見つかりません・・・って、そんなに大袈裟なことでもありませんけど。
夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉
2025年3月18日火曜日
river (2003)
鈴井貴之の第2回監督作品で、脚本も自ら担当しました。北海道にこだわる鈴井が、今回はキャストもスタッフもほぼ北海道在住者で固めました。彼の育てたTEAM NACSのメンバーが総出演で、大泉洋は映画初主演です。
北海道の小学校の同窓会で、久しぶりに再会した4人。佐々木耕一(大泉洋)は警察官で、2か月前に通り魔に遭遇したものの、日頃から拳銃を銃弾を込めていなかったため被害者は殺され、犯人にも逃げられてしまいました。藤沢聡(安田顕)は殺された女性との結婚式を間近に予定していて、犯人と見殺しにした警察官を憎んでいました。
北海道の小学校の同窓会で、久しぶりに再会した4人。佐々木耕一(大泉洋)は警察官で、2か月前に通り魔に遭遇したものの、日頃から拳銃を銃弾を込めていなかったため被害者は殺され、犯人にも逃げられてしまいました。藤沢聡(安田顕)は殺された女性との結婚式を間近に予定していて、犯人と見殺しにした警察官を憎んでいました。
いじめに受けていた横井茂(音尾琢真)に誘われて、彼らは2次会としてバーにいきます。そこのバーテンダーはやはり同級生だった九重達也(戸次重幸)で、オリンピックを目指すスキージャンプ選手でしたが、交通事故で断念したのです。それぞれが口に出さずとも、忘れたい過去を引きづっていたのです。
そんな4人に謎の人物が接触してきます。北海薬品工業から「記憶を消す薬」を盗み出してほしいと依頼してきます。横井だけは、こどもが入院したと嘘をついて抜けてしまいます。転校生で半年しかいなかった横井は同窓会に呼ばれるはずが無いことに気がついた佐々木は、横井に対する疑惑を深めます。
流れに乗るしかないと思った佐々木は、藤沢、九重と製薬会社から首尾よく指定されたものを盗み出すことに成功します。しかし、藤沢は逃げ出してしまいました。仕方がなく、盗品の受け渡し場所とした、今では廃校になっている小学校へ向かいます。藤沢は歩いているところ、偶然を装って通りかかった横井の運転する車に拾われ睡眠薬を飲まされてしまいます。
廃墟となった小学校到着した佐々木と九重は、いきなり銃声を耳にします。佐々木は校舎に走っていきますが、足が悪い九重はその場にとどまります。そして、その後ろには銃を構えた横井が経っているのでした。
TEAM NACS総出演なのに・・・まったく笑いは有りません(ちなみにチームのリーダーである森崎博之は佐々木の先輩警官役)。サイコティックな要素も取り入れた陰湿なサスペンスです。映像は徹頭徹尾、暗めのブルーを基調として白黒に近い作りで、暗澹たる空気を増幅させています。またロングショットかアップで人物をとらえることで、極端な主観と極端な客観を表現しているようです。
おそらく大泉洋史上、最高に暗い口調で口数も少ない演技が見れると思います。これは、他のメンバーについても同じで、他の映画と比べても、これほど重たい雰囲気の作品はほとんど思いつきません。
結末は銃声のみで映像としては描かれていません。しかし、おそらく主要人物はすべて死んでしまったのではないかと想像させられる、最後まで希望を見出せない作品です。何故ならタイトルがそれを示している。
学校の浦に小川があり、生徒は毎年春に鮭の稚魚を放流していました。稚魚は皮を下り何年かして同じ川を産卵のため遡上し、産卵の後死んでしまう。つまり、元居た場所に戻ることは死を意味しているわけで、彼らは小学校に戻った時点で運命は決していたということ。
TEAM NACSを使って、真逆のキャラクターに挑戦したところは、彼らを良く知る鈴井だからこそできる芸当というところだと思います。中盤から横井の怪しさを出してサスペンスを盛り上げているのですが、残念ながら事件の動機としては弱いように思いますし、佐々木中心に展開していくので、もう少し丁寧に横井を描いてほしかったという感じがしました。
2025年3月17日月曜日
man-hole (2001)
メディア・クリエイターとして様々な顔を持つ鈴井貴之の第1回監督作品。安田顕は初めての主演作、大泉洋はセリフのある初めての映画出演となりました。
望みを書いた紙を落とすと希望が叶うマンホールが、札幌のどこかにあるという噂がまことしやかに出回っていました。
小林(安田顕)は札幌の豊水橋派出署の新任警官で、先輩は奥さんに逃げられた村田(中本賢)、あまりやる気のない吉岡(北村一輝)の二人。ある日、女子高校生の鈴木希(三輪明日美)がカバンをひったくられるところに出くわした小林は、犯人(音尾琢真)を追跡して逮捕するが、希はカバンを取り返して姿をくらましてしまう。
希の父親は高校の次期教頭候補で生活指導を担当していて、家庭はぎくしゃくしていました。望みは進学塾に行っているふりをして、寒河江純(大泉洋)のデートクラブに出入りしていました。純が買い物に出かけた時に、客(きたろう)の妻(風祭ゆき)が逆上して怒鳴り込み、仲間の梨絵(尾野真千子)が怪我をしてしまいます。純は建物の外に隠れていた希に事情を教えてもらいますが、そこを小林に見つかり追いかけられる。何とか逃げ切りますが、希は生徒手帳を落としてしまいました。
小林は正義心があふれていたので、勤務時間外に希の周辺を調べ、なんとか犯罪にならないようにしたいと考えるのです。小林がつきまとうのをしつこく感じた希は、小林を名指しでストーカーだとネットに書き込んでしまったため、小林は謹慎させられることになります。
希は小林に、いくら警察官だと言っても人の心の中にまで勝手に入っていいわけじゃないと言い、小林も謝ります。希は一緒に夢のマンホールを探すのに付き合ってほしいと頼むのでした。
TEAM NACSは、北海学園大学の演劇研究会に所属していた森崎博之、安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真により1996年に結成された演劇集団で、北海道テレビのバラエティ番組「水曜どうでしょう」により人気が高まりました。番組を企画構成したのが、監督の鈴井で、TEAM NACSにとっては世に出してくれた兄貴分みたいな存在です。
ここでは、TEAM NACSの安田顕を主役に、大泉洋を助演として、音尾琢真を端役で起用しています。北海道にこだわって作られた作品は、自主製作映画に毛が生えたくらい・・・というと怒られるかもしれませんが、おそらく超低予算の中でそれなりに頑張っていると思います。ちなみに、デートクラブのメンバーには尾野真千子や小池栄子も入っていて、さすがに超若いのは驚きます。
登場する人々は、すべてが生きることに中途半端というか、不器用な面がある。劇中に「何のために?」とか「夢は何?」といった会話が度々でてくるのですが、ちゃんと答えられる人はいません。それは現代人誰にでもあてはまるところかもしれません。ある種の閉塞感みたいなものですが、夢のマンホールという出口は誰にとってもある種の期待の一つなのかもしれません。
望みを書いた紙を落とすと希望が叶うマンホールが、札幌のどこかにあるという噂がまことしやかに出回っていました。
小林(安田顕)は札幌の豊水橋派出署の新任警官で、先輩は奥さんに逃げられた村田(中本賢)、あまりやる気のない吉岡(北村一輝)の二人。ある日、女子高校生の鈴木希(三輪明日美)がカバンをひったくられるところに出くわした小林は、犯人(音尾琢真)を追跡して逮捕するが、希はカバンを取り返して姿をくらましてしまう。
希の父親は高校の次期教頭候補で生活指導を担当していて、家庭はぎくしゃくしていました。望みは進学塾に行っているふりをして、寒河江純(大泉洋)のデートクラブに出入りしていました。純が買い物に出かけた時に、客(きたろう)の妻(風祭ゆき)が逆上して怒鳴り込み、仲間の梨絵(尾野真千子)が怪我をしてしまいます。純は建物の外に隠れていた希に事情を教えてもらいますが、そこを小林に見つかり追いかけられる。何とか逃げ切りますが、希は生徒手帳を落としてしまいました。
小林は正義心があふれていたので、勤務時間外に希の周辺を調べ、なんとか犯罪にならないようにしたいと考えるのです。小林がつきまとうのをしつこく感じた希は、小林を名指しでストーカーだとネットに書き込んでしまったため、小林は謹慎させられることになります。
希は小林に、いくら警察官だと言っても人の心の中にまで勝手に入っていいわけじゃないと言い、小林も謝ります。希は一緒に夢のマンホールを探すのに付き合ってほしいと頼むのでした。
TEAM NACSは、北海学園大学の演劇研究会に所属していた森崎博之、安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真により1996年に結成された演劇集団で、北海道テレビのバラエティ番組「水曜どうでしょう」により人気が高まりました。番組を企画構成したのが、監督の鈴井で、TEAM NACSにとっては世に出してくれた兄貴分みたいな存在です。
ここでは、TEAM NACSの安田顕を主役に、大泉洋を助演として、音尾琢真を端役で起用しています。北海道にこだわって作られた作品は、自主製作映画に毛が生えたくらい・・・というと怒られるかもしれませんが、おそらく超低予算の中でそれなりに頑張っていると思います。ちなみに、デートクラブのメンバーには尾野真千子や小池栄子も入っていて、さすがに超若いのは驚きます。
登場する人々は、すべてが生きることに中途半端というか、不器用な面がある。劇中に「何のために?」とか「夢は何?」といった会話が度々でてくるのですが、ちゃんと答えられる人はいません。それは現代人誰にでもあてはまるところかもしれません。ある種の閉塞感みたいなものですが、夢のマンホールという出口は誰にとってもある種の期待の一つなのかもしれません。
2025年3月16日日曜日
RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ (2011)
阿部秀司製作総指揮による鉄道シリーズの第2作目。今回の舞台は富山県、富山地方鉄道(通称、地鉄)の運転手の話。監督は蔵方政俊、脚本は小林弘利、ブラジリィー・アン・山田。
地鉄の運転士を42年間、無事故無違反で勤める滝島徹(三浦友和)は定年を控えていました。退職後は家族との時間を作るつもりでしたが、元看護士の妻の佐和子(余貴美子)から緩和ケアの訪問看護師土の仕事をすることにしたと聞かされます。
何度も話をしても理解を示さない徹だったので、佐和子は家を出てしまい、突然妻がいなくなり徹は困惑するのでした。しかも佐和子は、徹に名前を書き込んだ離婚届と自分の結婚指輪を渡すのです。娘の麻衣(小池栄子)も、自分のことばかりで母親のことをわかっていない徹を責めます。
徹は研修中の小田(中尾明慶)の指導を任されますが、明るい性格の小田も彼女との別れ話で落ち込んでしまいます。小田は「もしも、奥さんから離婚と言われたら、滝島さんだって冷静でいられないですよね」と言いますが、徹は平気を装うしかありませんでした。
佐和子が担当した井上信子(吉行和子)は、家族と一緒に最後の時は自宅で過ごしたいと強く思っている患者でしたが、孫に使う薬草を探しに黙って出かけてしまいます。そして帰りに、徹が指導して小田が運転する電車に乗り合わせます。しかし、落雷のため送電が止まってしまい、山肌の斜面の場所で電車はストップしてしまうのです。
徹の連絡で、佐和子が現場に駆け付けますが、救急車が近づけないため佐和子は斜面をよじ登って電車に乗り込み、信子の応急処置をするのでした。佐和子は母親を病院で亡くしたことの後悔と、自分も一時ガンを疑われたことで、強い覚悟を持って復職したのです。徹は、本当の佐和子の姿を始めて理解し、やっと佐和子や自分がこれからどのように生きて行けばいいのかの答えを見つけた気がしました。徹は離婚届を役所に提出し、自分と佐和子の結婚指輪を投げ捨てるのでした。
もちろん、ちゃんとハッピーエンドですからご安心を。指輪を捨てちゃったときは、こりゃ思い切った展開だと思いましたが、なかなかうまい着地点を用意したものだと感心します。
自分も含めて男というのは、どこかで家族のために自分が頑張るという気持ちが強く、いつの間にか家族の事が見えなくなっているものです。それを「男は理性、女は衝動」みたいな言い訳をして、自分を正当化しているところは少なからずあることは間違いない。
電車の運転士という仕事も、一度走り出したら何があっても投げ出すことができないというところは、ある意味医療の仕事と似ている部分があります。主人公は妻が同じような立場になったことで、自分の姿を家族がとのように見ていたかが初めてわかったのかもしれません。
今回もローカル鉄道が舞台ですが、都会から引退した車両などを大事に整備し続けて走らせるところは、地方の鉄道の厳しい事情が垣間見えます。しかし、だからこそ車両に対する愛情は、ドラマとしての深みを与えています。美しい風景と共に、名作とは言えないかもしれませんが、心に残る作品になっていると感じました。
このシリーズは、2018年に第3作として「かぞくいろ RAILWAYS わたしたちの出発」が作られています。こちらは九州のオレンジ鉄道が舞台で、有村架純が女性運転士を目指す話になっています。
地鉄の運転士を42年間、無事故無違反で勤める滝島徹(三浦友和)は定年を控えていました。退職後は家族との時間を作るつもりでしたが、元看護士の妻の佐和子(余貴美子)から緩和ケアの訪問看護師土の仕事をすることにしたと聞かされます。
何度も話をしても理解を示さない徹だったので、佐和子は家を出てしまい、突然妻がいなくなり徹は困惑するのでした。しかも佐和子は、徹に名前を書き込んだ離婚届と自分の結婚指輪を渡すのです。娘の麻衣(小池栄子)も、自分のことばかりで母親のことをわかっていない徹を責めます。
徹は研修中の小田(中尾明慶)の指導を任されますが、明るい性格の小田も彼女との別れ話で落ち込んでしまいます。小田は「もしも、奥さんから離婚と言われたら、滝島さんだって冷静でいられないですよね」と言いますが、徹は平気を装うしかありませんでした。
佐和子が担当した井上信子(吉行和子)は、家族と一緒に最後の時は自宅で過ごしたいと強く思っている患者でしたが、孫に使う薬草を探しに黙って出かけてしまいます。そして帰りに、徹が指導して小田が運転する電車に乗り合わせます。しかし、落雷のため送電が止まってしまい、山肌の斜面の場所で電車はストップしてしまうのです。
徹の連絡で、佐和子が現場に駆け付けますが、救急車が近づけないため佐和子は斜面をよじ登って電車に乗り込み、信子の応急処置をするのでした。佐和子は母親を病院で亡くしたことの後悔と、自分も一時ガンを疑われたことで、強い覚悟を持って復職したのです。徹は、本当の佐和子の姿を始めて理解し、やっと佐和子や自分がこれからどのように生きて行けばいいのかの答えを見つけた気がしました。徹は離婚届を役所に提出し、自分と佐和子の結婚指輪を投げ捨てるのでした。
もちろん、ちゃんとハッピーエンドですからご安心を。指輪を捨てちゃったときは、こりゃ思い切った展開だと思いましたが、なかなかうまい着地点を用意したものだと感心します。
自分も含めて男というのは、どこかで家族のために自分が頑張るという気持ちが強く、いつの間にか家族の事が見えなくなっているものです。それを「男は理性、女は衝動」みたいな言い訳をして、自分を正当化しているところは少なからずあることは間違いない。
電車の運転士という仕事も、一度走り出したら何があっても投げ出すことができないというところは、ある意味医療の仕事と似ている部分があります。主人公は妻が同じような立場になったことで、自分の姿を家族がとのように見ていたかが初めてわかったのかもしれません。
今回もローカル鉄道が舞台ですが、都会から引退した車両などを大事に整備し続けて走らせるところは、地方の鉄道の厳しい事情が垣間見えます。しかし、だからこそ車両に対する愛情は、ドラマとしての深みを与えています。美しい風景と共に、名作とは言えないかもしれませんが、心に残る作品になっていると感じました。
このシリーズは、2018年に第3作として「かぞくいろ RAILWAYS わたしたちの出発」が作られています。こちらは九州のオレンジ鉄道が舞台で、有村架純が女性運転士を目指す話になっています。
2025年3月15日土曜日
RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (2010)
21世紀の日本映画で制作チームとしてしばしば目にするのが「ROBOT」という名前。ROBOTの創業者で多くのヒット作を手掛けた阿部秀司が、大の鉄道好きであることを生かして独立後にプロデュースしたのが「RAILWAYS三部作」です。
これはその第1作目にあたり、島根県出身の錦織良成監督にとっても「島根三部作」の最後を飾る作品となりました。主として松江から出雲大社の間を走るローカル鉄道である一畑電車(通称バタデン)が全面的に協力して、四季折々の美しい風景を織り込みながら良質なヒューマンドラマに仕上がっています。
東京の大手企業の経営企画室長を務める49歳の筒井肇(中井貴一)は、会社命の生活で家族との関係もギクシャクしていました。そんな折、島根で一人暮らしをしている母親の絹代(奈良岡朋子)が倒れてしまいます。さらに同期入社の親友が事故で急死の知らせを聞き、肇は今の自分の生き方に疑問をもち、こどもの頃は家のすぐ近くを走るバタデンの運転手になることが夢だったことを思い出すのです。
肇は夢を叶えられる最初で最後のチャンスなのかもしれないと思い、会社を退職し一畑電車の運転手に応募するのです。妻の由紀子(高島礼子)は、ハーブティーの店を始めて、軌道に乗りかけていました。由紀子は自分はこのまま東京に残るけど、あなたは自分では気がつかないところで息切れしていたからと応援してくれました。
就活中の娘の倖(本仮屋ユイカ)は、休みのたびに島根を訪れ祖母を見舞います。話をしていても時計ばかり見ている父親をうっとうしく思っていましたが、変わっていく父親を見て少しずつ会話が増えていきました。
肇と同期で研修を受けた宮田(三浦貴大)は、高校球児でプロ入り目前でしたが肘の故障で夢を断たれしかたがなく運転手に応募したのです。事情を知ると、肇は自分が何故この年になって運転手を目指したのかを話をして、元気づけるのでした。
運転手の仕事に慣れてきた頃、宮田が運転席に座らせてあげたことがある小学生が、肇と宮田がちょっと目を離したすきに電車を動かしてしまいました。あわてて肇がブレーキを掛けたので、大事には至りませんでしたが、責任を取って肇は退職願いを提出するのでした。
ふだん仕事を理由にして、いろいろなことから意識的に、あるいは無意識に逃げている自分というのは少なからず誰にでも当てはまることかもしれません。そして、そのことによって何か大事なものを失っていくことに気がつくことはめったにないように思います。
この主人公はそこに気がついた。とんでもなくドラマチックなことが起こるわけではありませんが、より豊かな生き方を見つけることができて、それを実践できたのはとても幸せな事だと思います。こういうまじめ一筋のサラリーマンは中井貴一は適任で、このキャスティングだけでもう映画は完成したようなもの・・・というのはさすがに言いすぎかもしれません。
それにしても、こどもが運転してしまうという重大な不祥事を起こし社長が記者会見で謝罪するという場面があるにもかかわらず、実名で登場する一畑電車には頭が下がります。実在する電車が登場するからフィクションでもリアリティが増してくるわけで、会社の英断には拍手を送りたいと思います。
これはその第1作目にあたり、島根県出身の錦織良成監督にとっても「島根三部作」の最後を飾る作品となりました。主として松江から出雲大社の間を走るローカル鉄道である一畑電車(通称バタデン)が全面的に協力して、四季折々の美しい風景を織り込みながら良質なヒューマンドラマに仕上がっています。
東京の大手企業の経営企画室長を務める49歳の筒井肇(中井貴一)は、会社命の生活で家族との関係もギクシャクしていました。そんな折、島根で一人暮らしをしている母親の絹代(奈良岡朋子)が倒れてしまいます。さらに同期入社の親友が事故で急死の知らせを聞き、肇は今の自分の生き方に疑問をもち、こどもの頃は家のすぐ近くを走るバタデンの運転手になることが夢だったことを思い出すのです。
肇は夢を叶えられる最初で最後のチャンスなのかもしれないと思い、会社を退職し一畑電車の運転手に応募するのです。妻の由紀子(高島礼子)は、ハーブティーの店を始めて、軌道に乗りかけていました。由紀子は自分はこのまま東京に残るけど、あなたは自分では気がつかないところで息切れしていたからと応援してくれました。
就活中の娘の倖(本仮屋ユイカ)は、休みのたびに島根を訪れ祖母を見舞います。話をしていても時計ばかり見ている父親をうっとうしく思っていましたが、変わっていく父親を見て少しずつ会話が増えていきました。
肇と同期で研修を受けた宮田(三浦貴大)は、高校球児でプロ入り目前でしたが肘の故障で夢を断たれしかたがなく運転手に応募したのです。事情を知ると、肇は自分が何故この年になって運転手を目指したのかを話をして、元気づけるのでした。
運転手の仕事に慣れてきた頃、宮田が運転席に座らせてあげたことがある小学生が、肇と宮田がちょっと目を離したすきに電車を動かしてしまいました。あわてて肇がブレーキを掛けたので、大事には至りませんでしたが、責任を取って肇は退職願いを提出するのでした。
ふだん仕事を理由にして、いろいろなことから意識的に、あるいは無意識に逃げている自分というのは少なからず誰にでも当てはまることかもしれません。そして、そのことによって何か大事なものを失っていくことに気がつくことはめったにないように思います。
この主人公はそこに気がついた。とんでもなくドラマチックなことが起こるわけではありませんが、より豊かな生き方を見つけることができて、それを実践できたのはとても幸せな事だと思います。こういうまじめ一筋のサラリーマンは中井貴一は適任で、このキャスティングだけでもう映画は完成したようなもの・・・というのはさすがに言いすぎかもしれません。
それにしても、こどもが運転してしまうという重大な不祥事を起こし社長が記者会見で謝罪するという場面があるにもかかわらず、実名で登場する一畑電車には頭が下がります。実在する電車が登場するからフィクションでもリアリティが増してくるわけで、会社の英断には拍手を送りたいと思います。
2025年3月14日金曜日
霧だけど・・・
前の日に本降りの雨・・・
昨日の朝は、とんでもないぐらいの霧が発生しました。
高原の朝みたい・・・なんて、のんびりしたことを言っている場合じゃない。この場所は、左側が田んぼなので、霧が出やすい場所ですが、こんなに見えないことは初めて。
道の先が見えないので、視界は100m程度でしょうか。でも、先に進むと、数10m先がよくわからないというところもありました。
時速40km/hだと、車の停止距離はだいたい20mと言われています。対向車も40km/hなら、40mくらいの視界が無いと衝突する危険があるということ。
こういう時は、とにかく安全第一。下手したら雪より怖いかもしれません。
2025年3月13日木曜日
青天の霹靂 (2014)
青天の霹靂(せいてんのへきれき)・・・とは、随分と難しいタイトルですが、米の銘柄ではなく、故事による「晴れ渡った空に突然起こる雷」という意味で、一般には思っても見なかった事件、突然の衝撃といった意味で用いられています。ピン芸人の劇団ひとりが書いた小説が原作で、劇団ひとりが自ら監督・脚本を務めています。
場末のマジックバーで店員をしている轟晴夫(大泉洋)は、手品の腕は悪くないのに口下手のために、後輩がテレビに出てちやほやされているのを苦い思いで見ているしかありませんでした。晴夫はラブホテルの清掃員だった父親の正太郎の手によって育てられ、母親は晴夫を生むと子供を置いて出て行ってしまったということで、ろくな生活をしてこなかったのです。その父親とも、高校を卒業してから一度も顔を合わせていません。
ある日、警察から河原でのたれ死にしていたホームレスが、晴夫の父親、轟正太郎であることが分かったので遺体を引き取りに来てほしいと連絡を受けます。お骨を持って河原に立ち寄った晴夫は、突然の雷に打たれ気を失ってしまうのでした。
気がつくとそこは何と昭和48年、自分が生まれる1年前の東京でした。困っていると通りかかった手品好きの少年に連れられて、演芸場である雷門ホールに案内され、晴夫は支配人(風間杜夫)に手品を見せます。スプーン曲げに興味を持った支配人は、相方が姿を消してしまった悦子(柴咲コウ)に助手をさせて晴夫を舞台に出させるのです。
これが好評で軌道にのったかに見えましたが、悦子が妊娠していることがわかり、父親は姿を消していた相方、手品師の轟正太郎(劇団ひとり)であることが判明します。支配人は、戻ってきた正太郎と晴夫を組ませて、喧嘩しながら手品を見せるようにしたところ、これも人気になりました。
正太郎と晴夫はテレビのオーディション番組に応募して勝ち進みますが、悦子が倒れてしまいます。医者から胎盤早期剥離で、母子ともに危険な状態と聞かされた正太郎はテレビの決勝を辞退してしまいます。悦子が分娩室に入っていったとき、晴夫は一人で決勝の舞台に立ち、一世一代のマジックショーを始めるのでした。
まずキャスティングが絶妙です。バラエティでおおはしゃぎするイメージが強い大泉洋ですが、映画となると実に人間臭い演技がうまい。ここでも、将来に希望が持てない売れない手品師、そしてその根っこにある母親に捨てられたという生きる意義を見出せない男を見事に演じています。気丈な芸人の妻を演じる柴咲コウも、この役にぴったりです。
劇団ひとりはフィクションとして小説を書いているわけですが、実際に昭和の時代までは浅草あたりの場末には売れることを夢見る芸人が山ほどいて、ヒントになるような夫婦が実在していたのかもしれません。劇団ひとりが実際に体験してきたはずはありませんが、そのようにがむしゃらに生きていた人々に対するリスペクトみたいなものが感じられます。
過去にタイムスリップして、自分の出生の謎を解き明かすというファンタジーですが、いろいろな形の家族、親子の関係の一つとして救いを見つけることができるストーリーは素晴らしい。映画監督としての劇団ひとりの評価は可も無し不可も無しというところかもしれませんが、俳優たちに恵まれて合格点の監督デヴューと言えそうです。
場末のマジックバーで店員をしている轟晴夫(大泉洋)は、手品の腕は悪くないのに口下手のために、後輩がテレビに出てちやほやされているのを苦い思いで見ているしかありませんでした。晴夫はラブホテルの清掃員だった父親の正太郎の手によって育てられ、母親は晴夫を生むと子供を置いて出て行ってしまったということで、ろくな生活をしてこなかったのです。その父親とも、高校を卒業してから一度も顔を合わせていません。
ある日、警察から河原でのたれ死にしていたホームレスが、晴夫の父親、轟正太郎であることが分かったので遺体を引き取りに来てほしいと連絡を受けます。お骨を持って河原に立ち寄った晴夫は、突然の雷に打たれ気を失ってしまうのでした。
気がつくとそこは何と昭和48年、自分が生まれる1年前の東京でした。困っていると通りかかった手品好きの少年に連れられて、演芸場である雷門ホールに案内され、晴夫は支配人(風間杜夫)に手品を見せます。スプーン曲げに興味を持った支配人は、相方が姿を消してしまった悦子(柴咲コウ)に助手をさせて晴夫を舞台に出させるのです。
これが好評で軌道にのったかに見えましたが、悦子が妊娠していることがわかり、父親は姿を消していた相方、手品師の轟正太郎(劇団ひとり)であることが判明します。支配人は、戻ってきた正太郎と晴夫を組ませて、喧嘩しながら手品を見せるようにしたところ、これも人気になりました。
正太郎と晴夫はテレビのオーディション番組に応募して勝ち進みますが、悦子が倒れてしまいます。医者から胎盤早期剥離で、母子ともに危険な状態と聞かされた正太郎はテレビの決勝を辞退してしまいます。悦子が分娩室に入っていったとき、晴夫は一人で決勝の舞台に立ち、一世一代のマジックショーを始めるのでした。
まずキャスティングが絶妙です。バラエティでおおはしゃぎするイメージが強い大泉洋ですが、映画となると実に人間臭い演技がうまい。ここでも、将来に希望が持てない売れない手品師、そしてその根っこにある母親に捨てられたという生きる意義を見出せない男を見事に演じています。気丈な芸人の妻を演じる柴咲コウも、この役にぴったりです。
劇団ひとりはフィクションとして小説を書いているわけですが、実際に昭和の時代までは浅草あたりの場末には売れることを夢見る芸人が山ほどいて、ヒントになるような夫婦が実在していたのかもしれません。劇団ひとりが実際に体験してきたはずはありませんが、そのようにがむしゃらに生きていた人々に対するリスペクトみたいなものが感じられます。
過去にタイムスリップして、自分の出生の謎を解き明かすというファンタジーですが、いろいろな形の家族、親子の関係の一つとして救いを見つけることができるストーリーは素晴らしい。映画監督としての劇団ひとりの評価は可も無し不可も無しというところかもしれませんが、俳優たちに恵まれて合格点の監督デヴューと言えそうです。
2025年3月12日水曜日
こんにちは、母さん (2023)
永井愛の舞台作品を、「男はつらいよ」の山田洋次が監督・脚本を担当し、「母べえ(2008)」、「母と暮らせば(2015)」に続く吉永小百合を迎えた「母三部作」という位置づけの作品です。いかにも山田監督らしい東京の下町を舞台に、母、息子、そして孫という3世代の抱える悩みを描いています。
隅田川沿いの向島で細々と足袋屋を営む神崎福江(吉永小百合)は、近所の人たちとホームレス支援のボランティア活動を行っていました。頑固だった足袋職人の父親との折り合いが悪く早々に家を出た息子の神崎昭夫(大泉洋)は、企業の人事部長でリストラにも関わるストレスの高い立場で、妻とも別居中という悩みも抱えています。
たまたま久しぶりに昭夫は実家訪ねると、娘の舞(永野芽郁)が母親のもとから飛び出して福江の元に居ついていました。昭夫は舞から、福江はボランティア仲間の牧師をしている萩生(寺田聰)のことが好きなんだと思うと聞かされ驚きます。
そして同期入社の友人、木部(宮藤官九郎)がやって来て、自分がリストラ対象だということを何故黙っていたと昭夫に詰め寄るのです。昭夫は立場上言えなかったが、できるだけ木部が会社に残れるように動いていたと説明しますが、木部は聞く耳を持たず「絶交だ」と言い捨てて出て行ってしまいます。福江は何とかしてあげるのがともだちだろと言いますが、昭夫は組織の中では簡単なことではないというしかありませんでした。
萩生にコンサートを誘われた福江は、久しぶりの楽しい一時を過ごしますが、その後で萩生から「実は、北海道の教会に転勤になる。他の人から聞くのではなく、自分の口からあなたに話したかった」と伝えられるのです。一方、希望退職を拒否した木部は閑職に追いやられ、会議に無理矢理出ようとして上司にケガをさせてしまい懲戒解雇になることが決まってしまいます。
昭夫は離婚を決意し、木部の事も人事部長決済で通常の退職として処理するのでした。役員会での決定事項を独断で無視した昭夫は、責任を取って会社を去るしかありませんでした。実家に戻ると、「失恋」した福江は珍しく一人で酒を飲んでいました・・・
福江は亡き夫が残した足袋屋を守らないといけないしがらみを背負い続けています。ボランティアも、ある意味福江にとっては自由への憧れだったのかもしれません。昭夫は妻との関係が崩れ、会社と友人の板挟みになってしまう。舞は両親の間で入って悩み、福江の元に逃避している。
現代を舞台にしていますが、どの時代でも、どの世代でもそれぞれの悩みを抱えて人が生きていること。そして母と息子、父と娘といった、山田監督がずっとテーマに掲げてきた「家族」の在り方を描いた作品ということだと思います。それをどう感じ取るかは、人によって様々だとは思いますが、少なくともいろいろな不平不満も受け入れてくれるのが家族という関係なのかなと思いました。
にぎやかな大泉が、落ち着いた演技をするのも見所で、ハイテンションの宮藤官九郎が対照的に演出されています。ちょっと気になったのは、ホームレスのイノさん(田中泯)の存在。物語の中で、役割がよくわかりませんでした。せっかくの大物登場なんですが、もう少し深い関りが描けてもよかったかもしれません。
それしても、娘、母親を通り越して"大スター"吉永小百合をお婆さんにしてしまったのは、さすが山田監督。しかも老いらくの恋をさせて振られてしまうという、こんな吉永小百合は見たくないと思うか、人間らしさが前面に出て好感を持つか、あなたはどっち?
隅田川沿いの向島で細々と足袋屋を営む神崎福江(吉永小百合)は、近所の人たちとホームレス支援のボランティア活動を行っていました。頑固だった足袋職人の父親との折り合いが悪く早々に家を出た息子の神崎昭夫(大泉洋)は、企業の人事部長でリストラにも関わるストレスの高い立場で、妻とも別居中という悩みも抱えています。
たまたま久しぶりに昭夫は実家訪ねると、娘の舞(永野芽郁)が母親のもとから飛び出して福江の元に居ついていました。昭夫は舞から、福江はボランティア仲間の牧師をしている萩生(寺田聰)のことが好きなんだと思うと聞かされ驚きます。
そして同期入社の友人、木部(宮藤官九郎)がやって来て、自分がリストラ対象だということを何故黙っていたと昭夫に詰め寄るのです。昭夫は立場上言えなかったが、できるだけ木部が会社に残れるように動いていたと説明しますが、木部は聞く耳を持たず「絶交だ」と言い捨てて出て行ってしまいます。福江は何とかしてあげるのがともだちだろと言いますが、昭夫は組織の中では簡単なことではないというしかありませんでした。
萩生にコンサートを誘われた福江は、久しぶりの楽しい一時を過ごしますが、その後で萩生から「実は、北海道の教会に転勤になる。他の人から聞くのではなく、自分の口からあなたに話したかった」と伝えられるのです。一方、希望退職を拒否した木部は閑職に追いやられ、会議に無理矢理出ようとして上司にケガをさせてしまい懲戒解雇になることが決まってしまいます。
昭夫は離婚を決意し、木部の事も人事部長決済で通常の退職として処理するのでした。役員会での決定事項を独断で無視した昭夫は、責任を取って会社を去るしかありませんでした。実家に戻ると、「失恋」した福江は珍しく一人で酒を飲んでいました・・・
福江は亡き夫が残した足袋屋を守らないといけないしがらみを背負い続けています。ボランティアも、ある意味福江にとっては自由への憧れだったのかもしれません。昭夫は妻との関係が崩れ、会社と友人の板挟みになってしまう。舞は両親の間で入って悩み、福江の元に逃避している。
現代を舞台にしていますが、どの時代でも、どの世代でもそれぞれの悩みを抱えて人が生きていること。そして母と息子、父と娘といった、山田監督がずっとテーマに掲げてきた「家族」の在り方を描いた作品ということだと思います。それをどう感じ取るかは、人によって様々だとは思いますが、少なくともいろいろな不平不満も受け入れてくれるのが家族という関係なのかなと思いました。
にぎやかな大泉が、落ち着いた演技をするのも見所で、ハイテンションの宮藤官九郎が対照的に演出されています。ちょっと気になったのは、ホームレスのイノさん(田中泯)の存在。物語の中で、役割がよくわかりませんでした。せっかくの大物登場なんですが、もう少し深い関りが描けてもよかったかもしれません。
それしても、娘、母親を通り越して"大スター"吉永小百合をお婆さんにしてしまったのは、さすが山田監督。しかも老いらくの恋をさせて振られてしまうという、こんな吉永小百合は見たくないと思うか、人間らしさが前面に出て好感を持つか、あなたはどっち?
2025年3月11日火曜日
ディア・ファミリー (2024)
清武英利のノンフィクション「アトムの心臓 ディア・ファミリー 23年間の記録」が原作で、東海メディカルプロダクツの会長筒井宣政氏が、医学知識の無い所から娘のために人工心臓を研究・開発しようとした実話が基になっています。監督は月川翔、脚本は林民夫、主題歌はMrs.Green Appleが歌っています。
町工場を経営している坪井宣政(大泉洋)は、妻の陽子(菅野美穂)、長女の奈美(川栄李奈)、次女の佳美(福本莉子)、三女の寿美(新井美羽)の5人暮らし。しかし、心臓疾患を抱える佳美は幼い頃に20歳まで生きられないだろうと宣告されていました。佳美中心の生活に、奈美も寿美も文句も言わず協力的でしたが、家族としての楽しみには多くの制約が伴っていました。
アメリカで人工心臓が開発されたニュースを聞いた宣政は、佳美を救える望みを抱き、大学や研究室を巡って情報を集め出すのです。東京都市医科大学心臓研究所を訪れた時、自分の工作の知識が人工心臓の開発に応用できると感じた宣政は、貯えてきた私財を投げうって研究所に協力して人工心臓の開発を始めます。
しかし、アメリカでの臨床試験が失敗したことを受けて、それまで協力的だった石黒教授(光石研)は、態度を変え宣政の出入りを禁止してしまいます。絶望する宣政は佳美に「絶対に助ける」という約束を守れないかもしれないと告げるのですが、自分の隣に入院していた少女が亡くなったことで、バルーンカテーテルさえあれば助けられたことを伝え、自分の代わりに多くの命を救ってほしいと言うのでした。
当時は心臓カテーテルで用いられるバルーンカテーテルは輸入した物しかなく日本人の体格には適合せず成功率はかなり低かったのです。人工心臓には否定的だった研究室の富岡(松村北斗)は、宣政の熱意にうたれ日本人のためのカテーテル製作に協力するのでした。
実話をもとにしていますので、感動することは間違いない。佳美はカテーテルでは自分が助からないことをわかった上で、父親の必死の努力が報われる方向に導くのは並大抵の心の持ち主ではありません。何とか成人式は祝うことが出来ましたが、その後に亡くなってしまいます。しかし、現実に宣政が開発したバルーンカテーテルは多くの患者の命を救うことに繋がったのです。
映画では、おそらくドラマ的なフィクションは混ざっているのではないかと思いますが、大筋は実話通り。そのまま映像化すると、かなりベタな展開になってしまいそうですが、そのあたりは脚本の上手さのせいか素直に見ることができました。
ただし、宣政が功績をたたえられ叙勲する場面で、宣政を積極的に取材する女性記者(有村架純)が登場してくるところだけは、やや不必要な付け足しに感じられます。このシーンがあるために、宣政が佳美を救えなかった後悔を和らげようとしているのだと思いますが、感動の上乗せになっているかもしれません。
町工場を経営している坪井宣政(大泉洋)は、妻の陽子(菅野美穂)、長女の奈美(川栄李奈)、次女の佳美(福本莉子)、三女の寿美(新井美羽)の5人暮らし。しかし、心臓疾患を抱える佳美は幼い頃に20歳まで生きられないだろうと宣告されていました。佳美中心の生活に、奈美も寿美も文句も言わず協力的でしたが、家族としての楽しみには多くの制約が伴っていました。
アメリカで人工心臓が開発されたニュースを聞いた宣政は、佳美を救える望みを抱き、大学や研究室を巡って情報を集め出すのです。東京都市医科大学心臓研究所を訪れた時、自分の工作の知識が人工心臓の開発に応用できると感じた宣政は、貯えてきた私財を投げうって研究所に協力して人工心臓の開発を始めます。
しかし、アメリカでの臨床試験が失敗したことを受けて、それまで協力的だった石黒教授(光石研)は、態度を変え宣政の出入りを禁止してしまいます。絶望する宣政は佳美に「絶対に助ける」という約束を守れないかもしれないと告げるのですが、自分の隣に入院していた少女が亡くなったことで、バルーンカテーテルさえあれば助けられたことを伝え、自分の代わりに多くの命を救ってほしいと言うのでした。
当時は心臓カテーテルで用いられるバルーンカテーテルは輸入した物しかなく日本人の体格には適合せず成功率はかなり低かったのです。人工心臓には否定的だった研究室の富岡(松村北斗)は、宣政の熱意にうたれ日本人のためのカテーテル製作に協力するのでした。
実話をもとにしていますので、感動することは間違いない。佳美はカテーテルでは自分が助からないことをわかった上で、父親の必死の努力が報われる方向に導くのは並大抵の心の持ち主ではありません。何とか成人式は祝うことが出来ましたが、その後に亡くなってしまいます。しかし、現実に宣政が開発したバルーンカテーテルは多くの患者の命を救うことに繋がったのです。
映画では、おそらくドラマ的なフィクションは混ざっているのではないかと思いますが、大筋は実話通り。そのまま映像化すると、かなりベタな展開になってしまいそうですが、そのあたりは脚本の上手さのせいか素直に見ることができました。
ただし、宣政が功績をたたえられ叙勲する場面で、宣政を積極的に取材する女性記者(有村架純)が登場してくるところだけは、やや不必要な付け足しに感じられます。このシーンがあるために、宣政が佳美を救えなかった後悔を和らげようとしているのだと思いますが、感動の上乗せになっているかもしれません。
2025年3月10日月曜日
ブルーピリオド (2024)
青春スターを集めた青春応援映画・・・という薄っぺらな言い回しは似合わない、けっこう硬派な映画です。原作は山口つばさのマンガ。脚本は吉田玲子、監督は「東京喰種 トーキョーグール」の萩原健太郎です。
矢口八虎(眞栄田郷敦)は成績優秀ですが、タバコは吸うし酒も飲むという荒れた生活もしていました。両親(石田ひかり、ずん)は、いい大学を受験してもらいたいと思っていますが、本人は何事にも一生懸命になれないでいました。
ある日美術室で見た一枚の絵に魅力を感じ、佐伯先生(薬師丸ひろ子)が顧問をしている美術部に入部します。美術部には友人のユカちゃん(高橋文哉)もいました。ユカちゃんは、本当は龍二という名で、化粧をして全身ギャル衣装に身を包んでいました。
しだいに絵を描くことで初めて熱中できるものを見つけた八虎は、東京芸術大学を受験することに決め、美術予備校にも通い出します。そこでは、大葉先生(江口のりこ)の指導を受け、しだいに絵画の技量が足りなくても戦略を練ることで自分の絵が描けることを学んでいきます。
いよいよ受験当日。1次試験は丸1日かけてデッサンの課題でしたが、八虎はさまざまな多面性を表現した自画像を描いて合格します。龍二は父親に女装道具をすべて捨てられてしまい。試験をボイコットしてしまいました。八虎は心配して電話をすると、海にいるから心配なら来てよと言われます。2次試験があるから無理だと言うと、龍二は自分の殻を脱げずに上から心配するなと言い返されてしまいます。
八虎はあわてて海に向かいます。龍二は自分の裸を描いてみたみたことはあるかといい、二人とも服を脱いで自分のままを書くのでした。しかし、翌日2次試験会場に現れた八虎は、熱を出して体調を崩してしまったのです。2次試験のテーマは裸婦でした。
眞栄田郷敦の演技力もなかなかのものでしたが、注目だったのは高橋文哉。長い金髪で化粧バリバリのスカート姿で、これが実に板についています。仮面ライダー出身の高橋ですが、他の人気者になった俳優とは一味違った柔らかいイメージです。
美術という評価が難しい主観的な目標を達成するのは、なかなか難しい。ましてや、それをマンガや映画にして見せるのは大変な事だろうと思います。スポ根物と違い、どうしたら「勝利」なのかがわかりにくいのですが、そこを芸大合格というわかりやすいゴールを設定したところがうまいポイントです。ただし、どんどん上に行くだけで、挫折がほとんど表現されていないところがちょっと物足りませんでした。
矢口八虎(眞栄田郷敦)は成績優秀ですが、タバコは吸うし酒も飲むという荒れた生活もしていました。両親(石田ひかり、ずん)は、いい大学を受験してもらいたいと思っていますが、本人は何事にも一生懸命になれないでいました。
ある日美術室で見た一枚の絵に魅力を感じ、佐伯先生(薬師丸ひろ子)が顧問をしている美術部に入部します。美術部には友人のユカちゃん(高橋文哉)もいました。ユカちゃんは、本当は龍二という名で、化粧をして全身ギャル衣装に身を包んでいました。
しだいに絵を描くことで初めて熱中できるものを見つけた八虎は、東京芸術大学を受験することに決め、美術予備校にも通い出します。そこでは、大葉先生(江口のりこ)の指導を受け、しだいに絵画の技量が足りなくても戦略を練ることで自分の絵が描けることを学んでいきます。
いよいよ受験当日。1次試験は丸1日かけてデッサンの課題でしたが、八虎はさまざまな多面性を表現した自画像を描いて合格します。龍二は父親に女装道具をすべて捨てられてしまい。試験をボイコットしてしまいました。八虎は心配して電話をすると、海にいるから心配なら来てよと言われます。2次試験があるから無理だと言うと、龍二は自分の殻を脱げずに上から心配するなと言い返されてしまいます。
八虎はあわてて海に向かいます。龍二は自分の裸を描いてみたみたことはあるかといい、二人とも服を脱いで自分のままを書くのでした。しかし、翌日2次試験会場に現れた八虎は、熱を出して体調を崩してしまったのです。2次試験のテーマは裸婦でした。
眞栄田郷敦の演技力もなかなかのものでしたが、注目だったのは高橋文哉。長い金髪で化粧バリバリのスカート姿で、これが実に板についています。仮面ライダー出身の高橋ですが、他の人気者になった俳優とは一味違った柔らかいイメージです。
美術という評価が難しい主観的な目標を達成するのは、なかなか難しい。ましてや、それをマンガや映画にして見せるのは大変な事だろうと思います。スポ根物と違い、どうしたら「勝利」なのかがわかりにくいのですが、そこを芸大合格というわかりやすいゴールを設定したところがうまいポイントです。ただし、どんどん上に行くだけで、挫折がほとんど表現されていないところがちょっと物足りませんでした。
2025年3月9日日曜日
仮設トイレ
とある工事現場に設置された仮設トイレです。
どうでもいいことですが、いくつか「あれっ?!」と思ったことがあります。
まず、ずいぶんとカラフルで、デザイン性が(多少は)高まったものだなぁと思いました。中には入っていないのでわかりませんけど、少なくとも外観上は清潔感がアップしているように思います。
次に、男子トイレと女子トイレが分かれているのが画期的。人気観光地とかならともかく、そこらの普通の工事現場ですから・・・っていうか、分ける必要があるほど、現場に女子が多いというのに驚くわけです。これも時代というものでしょうか。
ただ、「男子トイレはこちら」、「女子トイレはこちら」と掲示されているものの、その下のピクトグラムが同じというのが、まさに「画竜点睛を欠く」状態。これでは、初めての時にはどっちに入ればいいのか一目ではわかりづらい。
混乱してどこからか文句が出たのか、「左側」、「右側」と手書きされていますが、これがまたわかるようでよくわからない。男か女のどちらかのピクトグラムだけ掲示すれば、シンプルに誰でもわかると思うんですけどね。
2025年3月8日土曜日
手作り餃子
餃子のネタの話。
カロリー気にすると、肉少なめ、野菜多めとなるんですが、キャベツは高いしどうしようかと・・・
冷蔵庫の野菜室を、じっと見る。おー、鍋の残りの白菜があった。使いかけの長ネギもあるじゃないか。
というわけで、キャベツ 1、白菜 1、ニラ 0.3、長ネギ 0.2くらいの割合でみじん切りにしました。
味付けは、少量の塩、多めのにんにく、その半分くらいのショウガ、してテキトウにオイスターソース。
そうそう、ひき肉は・・・シャジャーン、大豆ミートを使いました。
IHですので、いつも中心部は焦げても周囲がいまいちに仕上がることが多い。今回はある程度焼けた後に、弱火で長めに放置したところ焦げ方は十分になりました。
食べてみると、あれれ、あれだけ詰めたはずなのに中身がしょぼい。
うーん、なんでだろん。蒸し焼きの時間が長すぎて、野菜が溶けちゃったかんじです。白菜が多かったのも原因かもしれません。
やはり、奥が深い。いろいろ失敗して賢くなれるということですね。
2025年3月7日金曜日
2025年3月6日木曜日
雪だけど・・・
この数日は天気予報通りで、真冬のような寒さ・・・
というか、3月になったというのに、下手すると今シーズンで一番寒いかもしれない。
雪が何となくパラついたのは、1回か2回ありましたが、積雪らしいのはこの冬で初めてのことです。
ですが、未明から雨に変わっていたので、朝の時点では残っていた雪はわずかで、雪合戦はできないし、ましてや雪だるますら作れない程度にしか残っていません。
屋根が白くなった程度で、雪が降ったのがわかる程度。道路はほぼ濡れているだけで、雨のおかげで凍結もしていませんでした。
大人になると、あーよかったと思ってしまいます。こどもの頃の純粋な無邪気さは、とっくの昔に忘れ去っているようです。
2025年3月5日水曜日
セーラー服と機関銃 (1981)
もう言わずと知れた、初期の角川映画、最大のヒット作であり、かつ邦画史上でも必ず上位に食い込む名作です。当時も「か・い・か・ん・・・」の名セリフと共に社会現象になるほどのブームを巻き起こしました。
原作は赤川次郎。脚本は鈴木清順作品で活躍した田中陽造、監督は相米慎二。相米監督は「翔んだカップル」に続く本作でも、主演に薬師丸ひろ子を迎え、両者とも監督として女優として確固たる評価を獲得しました。
跡目は甥に譲ると遺言を残して、目高組三代目組長が亡くなりました。しかし、その甥は交通事故で亡くなり、その娘である星泉(薬師丸ひろ子)は天涯孤独の身となってしまいます。目高組は佐久間(渡瀬恒彦)、政(大門正明)、ヒコ(林家しん平)、メイ(酒井敏也)の4人しかいませんが、組を潰すわけにはいかないと、泉に四代目組長になるよう頼み込みます。
最初は拒否した泉でしたが、それなら殴り込みをして全員で死を選ぶというため、仕方がなく組長になることを承諾します。しかし、事務所が銃撃され、泉も高校を強制退学させられます。さらにヒコが何者かに殺されてしまう。
どうやら敵対する松の木組、それを操る浜口物産、そして真の黒幕である三大寺らの仕業であると佐久間は考えます。実は、三大寺と手を組む黒木刑事(柄本明)が、手に入れたヘロインを咄嗟に通りかかった泉の父親のバッグに隠し、それが何かわからずに泉が受け取っていたのでした。メイも殺され、ついにイズミは佐久間とマサを引き連れ浜口物産に殴り込みをかけるのでした。
三大寺には三國廉太郎、松の木組組長には佐藤允、浜口物産社長には北村和夫など豪華な大ベテランが脇を固めます。三大寺の娘で佐久間に味方するマユミには風祭ゆき、泉の同級生には柳沢慎吾、光石研などが登場します。
公開時は約112分の映画でしたが、翌年尺の都合でカットされたシーンを復活させた「完璧版(131分)」が公開され、より高い評価を受けました。また主題歌は来生たかおの「夢の途中」が使われ、相米監督の強い意向で薬師丸ひろ子が歌い大ヒットしています。
内容はそもそも、原作者の赤川次郎も映画の3年前に本作を執筆した時点で、なかば薬師丸ひろ子に当て書きしていました。アイドル映画と思いきや、薬師丸ひろ子にとっては、「野生の証明(1978)」で鮮烈なデヴューを飾り、「翔んだカップル(1980)」でアイドル的な人気が上昇、そして本作で演技力も認められ女優としての地位を決定づけました。角川映画創業期を支える看板女優であったことは間違いありません。
相米監督の特徴と呼ばれるワンカット長回しは、この映画でも顕著です。やり方を間違えると画面がだれてしまったりするリスクを伴ないますが、計算された長回しは見る側に一つのシーンで多くの情報を提供できる。もっとも、登場する俳優たちの演技力にもかなり左右されるので、この映画の出演陣の緊張感は見事と言えるかもしれません。
原作は赤川次郎。脚本は鈴木清順作品で活躍した田中陽造、監督は相米慎二。相米監督は「翔んだカップル」に続く本作でも、主演に薬師丸ひろ子を迎え、両者とも監督として女優として確固たる評価を獲得しました。
跡目は甥に譲ると遺言を残して、目高組三代目組長が亡くなりました。しかし、その甥は交通事故で亡くなり、その娘である星泉(薬師丸ひろ子)は天涯孤独の身となってしまいます。目高組は佐久間(渡瀬恒彦)、政(大門正明)、ヒコ(林家しん平)、メイ(酒井敏也)の4人しかいませんが、組を潰すわけにはいかないと、泉に四代目組長になるよう頼み込みます。
最初は拒否した泉でしたが、それなら殴り込みをして全員で死を選ぶというため、仕方がなく組長になることを承諾します。しかし、事務所が銃撃され、泉も高校を強制退学させられます。さらにヒコが何者かに殺されてしまう。
どうやら敵対する松の木組、それを操る浜口物産、そして真の黒幕である三大寺らの仕業であると佐久間は考えます。実は、三大寺と手を組む黒木刑事(柄本明)が、手に入れたヘロインを咄嗟に通りかかった泉の父親のバッグに隠し、それが何かわからずに泉が受け取っていたのでした。メイも殺され、ついにイズミは佐久間とマサを引き連れ浜口物産に殴り込みをかけるのでした。
三大寺には三國廉太郎、松の木組組長には佐藤允、浜口物産社長には北村和夫など豪華な大ベテランが脇を固めます。三大寺の娘で佐久間に味方するマユミには風祭ゆき、泉の同級生には柳沢慎吾、光石研などが登場します。
公開時は約112分の映画でしたが、翌年尺の都合でカットされたシーンを復活させた「完璧版(131分)」が公開され、より高い評価を受けました。また主題歌は来生たかおの「夢の途中」が使われ、相米監督の強い意向で薬師丸ひろ子が歌い大ヒットしています。
内容はそもそも、原作者の赤川次郎も映画の3年前に本作を執筆した時点で、なかば薬師丸ひろ子に当て書きしていました。アイドル映画と思いきや、薬師丸ひろ子にとっては、「野生の証明(1978)」で鮮烈なデヴューを飾り、「翔んだカップル(1980)」でアイドル的な人気が上昇、そして本作で演技力も認められ女優としての地位を決定づけました。角川映画創業期を支える看板女優であったことは間違いありません。
相米監督の特徴と呼ばれるワンカット長回しは、この映画でも顕著です。やり方を間違えると画面がだれてしまったりするリスクを伴ないますが、計算された長回しは見る側に一つのシーンで多くの情報を提供できる。もっとも、登場する俳優たちの演技力にもかなり左右されるので、この映画の出演陣の緊張感は見事と言えるかもしれません。
2025年3月4日火曜日
翔んだカップル (1980)
薬師丸ひろ子は高倉健と共演した角川映画「野生の証明」で映画デヴューし、すごい子役が登場したと話題になったのが1978年。その後テレビ・ドラマの後、1980年のこの柳沢みきおのマンガが原作のこの映画で「アイドル女優」としての人気を決定づけました。
と、同時に、ロマン・ポルノの助監督をしていた相米慎司にとっても商業映画監督デヴュー作となりました。相米はこの処女作から、役者自身にどう演じるかを自分で考えさせ何度でもテイクを重ねる演出技法を取っており、出演したまた少年少女たちはたいぶ苦労したようです。
北条高校に入学した田代勇介(鶴見慎吾)は、外国に転勤になった伯父の家に一人住まいすることになりますが、小遣い稼ぎに同居人を募集したところ、何と同級生の山葉圭(薬師丸ひろ子)が引っ越してきてしまいます。女の子、それも同級生と一緒に住むなんてとオロオロする勇介をよそに、あっけらかんとした圭は動じる気配がありません。
勇介とともだちになった秀才肌の中山わたる(尾身としのり)は、圭が気になる。やはり秀才の杉村秋美(石原真理子)は、自分も一人住まいなので勇介に一緒に暮らそうと積極的にアプローチしてくるのです。
事あるごとにぶつかり合う二人なんですが、まぁ、青春ですから・・・いろいろあるわな。素直じゃない二人が、しだいにお互いの気持ちをやっと表に出せるようになるのですが、ついにノイローゼになったわたるは学校に二人の同居を通報してしまいます。
今でこそ、ドラマの世界ではあるあるのシチュエーションですが、当時はまさに「翔んだ」設定で、原作は大ヒットしました。映画でも、まだ互いを思いやる方法に未熟な二人のぶつかり合いの中で、少しずつ相手の気持ちを理解していくところがうまく描かれていました。
勇介に積極的な秋美は、その後「ぷっつん女優」となる美少女、石原真理子で、この映画のためにスカウトされた聖心女子学院に通学していた正真正銘のお嬢様でした。一方、圭に想いをつのらせるわたるは「転校生」でブレークする前の尾身としのりで、いびつな性格の秀才を演じました。
勇介は、いまでこそ貴重な脇役としてコンスタントにドラマ・映画に登場している鶴見慎吾ですが、さすがに演技としてはまだまだというところでしょうか。薬師丸ひろ子は初主演ですが、「野生の証明」と違い、年齢相応のはじけた演技を披露しました。
原作は、この後も年齢を重ね変化していく勇介と圭の関係を追っていくので、始まりの1年間だけにかぎるこの映画のストーリーは起承転結の「起」の部分だけ。ですから、監督も無理して盛り上げようとせず、日常的なさざ波のような変化を丹念に追いかけています。
そのいう意味では薬師丸見たさのファン以外には物足りなさを感じさせるかもしれませんが、実際の生活の中でも、同級生の異性と同居するということ以上の事件なんてそうそうおこるはずもありません。そこを無理しないことで、翔んだ設定の中で可能な限りリアリティを持たせることに成功しているのかもしれません。
と、同時に、ロマン・ポルノの助監督をしていた相米慎司にとっても商業映画監督デヴュー作となりました。相米はこの処女作から、役者自身にどう演じるかを自分で考えさせ何度でもテイクを重ねる演出技法を取っており、出演したまた少年少女たちはたいぶ苦労したようです。
北条高校に入学した田代勇介(鶴見慎吾)は、外国に転勤になった伯父の家に一人住まいすることになりますが、小遣い稼ぎに同居人を募集したところ、何と同級生の山葉圭(薬師丸ひろ子)が引っ越してきてしまいます。女の子、それも同級生と一緒に住むなんてとオロオロする勇介をよそに、あっけらかんとした圭は動じる気配がありません。
勇介とともだちになった秀才肌の中山わたる(尾身としのり)は、圭が気になる。やはり秀才の杉村秋美(石原真理子)は、自分も一人住まいなので勇介に一緒に暮らそうと積極的にアプローチしてくるのです。
事あるごとにぶつかり合う二人なんですが、まぁ、青春ですから・・・いろいろあるわな。素直じゃない二人が、しだいにお互いの気持ちをやっと表に出せるようになるのですが、ついにノイローゼになったわたるは学校に二人の同居を通報してしまいます。
今でこそ、ドラマの世界ではあるあるのシチュエーションですが、当時はまさに「翔んだ」設定で、原作は大ヒットしました。映画でも、まだ互いを思いやる方法に未熟な二人のぶつかり合いの中で、少しずつ相手の気持ちを理解していくところがうまく描かれていました。
勇介に積極的な秋美は、その後「ぷっつん女優」となる美少女、石原真理子で、この映画のためにスカウトされた聖心女子学院に通学していた正真正銘のお嬢様でした。一方、圭に想いをつのらせるわたるは「転校生」でブレークする前の尾身としのりで、いびつな性格の秀才を演じました。
勇介は、いまでこそ貴重な脇役としてコンスタントにドラマ・映画に登場している鶴見慎吾ですが、さすがに演技としてはまだまだというところでしょうか。薬師丸ひろ子は初主演ですが、「野生の証明」と違い、年齢相応のはじけた演技を披露しました。
原作は、この後も年齢を重ね変化していく勇介と圭の関係を追っていくので、始まりの1年間だけにかぎるこの映画のストーリーは起承転結の「起」の部分だけ。ですから、監督も無理して盛り上げようとせず、日常的なさざ波のような変化を丹念に追いかけています。
そのいう意味では薬師丸見たさのファン以外には物足りなさを感じさせるかもしれませんが、実際の生活の中でも、同級生の異性と同居するということ以上の事件なんてそうそうおこるはずもありません。そこを無理しないことで、翔んだ設定の中で可能な限りリアリティを持たせることに成功しているのかもしれません。
2025年3月3日月曜日
となり町戦争 (2007)
三崎亜記による絶賛されたデヴュー小説が原作。「舟を編む」の渡辺謙作が脚本・監督を務めています。いろいろなレヴューでは評価が高いとは言えない作品なんですが、となり町同士がある日、突然戦争を行うという不思議なプロットに惹かれました。
北原修路(江口洋介)は、舞浜町に住み、隣の森見町を通って自動車通勤をして旅行代理店に勤めています。ある日、舞浜町と森見町が互いに宣戦布告をして戦争が始まったという小さな新聞記事を見ます。そして北原の携帯電話に舞浜町役場の香西瑞希(原田知世)から連絡があり、辞令交付式に出席するように言われます。
香西はとなり町戦争推進室に所属し、訳がわからないまま辞令を受けた北原に、通勤途中で見聞きしたことを逐一秘密裏に報告する仕事だと説明します。しかし、町の様子に変わったところは無く、人々は普段通りに生活しているように見えるのでした。しかし、町の広報には着実に戦死者の人数が記載されているのです。
開戦して何日かして、呼び出された北原は、香西から積極的に森見町の偵察任務にあたるように言われます。そして、そのために香西と偽装結婚して森見町のアパートで同居することになります。敵地に潜入することは協定違反にあたり、見つかった場合は舞浜町としては知らないで押し通すらしい。
香西の弟の香西智希(瑛太)は戦争には反対の立場ですが、町を愛する気持ちには変わりなく、最前線で活動するため志願兵となるのです。北原の会社の同僚も、先頭に巻き込まれ亡くなります。上司の田尻(岩松了)はかつて外国で傭兵として働いていた経験から、森見町に志願して会社に来なくなります。
北原は一途に業務を行う香西に次第に惹かれていくのですが、実際の戦闘を目にするわけでもなく、そもそもこの戦争の目的もわからないままの日々を過ごすのでした。しかし、ある日のこと、香西から電話があり、潜入していた証拠になる書類を持って、アパートからすぐに脱出するように言われます。
用水路にたどり着くと、暗闇の中に自分を捜索している様子の人物がいることに気がつき、別の下水道をを舞浜町に向かいますが、途中で香西智希に助けられ、なんとか町の境界線を越えることができました。智希は、まだ無断で越境した一般人を保護する任務があると言って、再び下水道の方へ戻っていきました。
北原は舞浜町に向かおうとしたとき、背後で銃声を聞きます。そして、再び境界線を一歩超えた時、いきなり田尻に襲われるのです。
この映画がつまらないと思う人は、基本的に「なんで戦争なんだ」という根源的な説明が無いことに不満があるのかもしれません。そのために、戦争だからと町のために献身的に働く香西の心情が理解できないのです。ですから登場人物に感情移入できないという、映画を見る上で重要なポイントが欠けているということ。
しかし、これは映画を見ている者を北原と同じ状況に置くための巧妙な仕掛けであり、戦争になると一般人も理由も知らされないまま歯車の一つに組み込まれ、親しい人も失い、自分の様々な感情も狂っていくということ。戦闘そのもの描くのではなく、その裏で人々が物理的・精神的に多大な影響を被る様を凝縮して見せているのだと思います。
ただし、後半、北原と香西の恋愛要素が強まるところは、戦争であっても失いたくない物があるということに繋げたいのかもしれませんが、やや本命のテーマから逸脱してしまった感が残念なところ。原作未読ですが、映画的に膨らませたところのようです。
全体としては、多少のモヤモヤが残りますが、原田知世の透明感に支えられて比較的良い出来の映画と感じました。
北原修路(江口洋介)は、舞浜町に住み、隣の森見町を通って自動車通勤をして旅行代理店に勤めています。ある日、舞浜町と森見町が互いに宣戦布告をして戦争が始まったという小さな新聞記事を見ます。そして北原の携帯電話に舞浜町役場の香西瑞希(原田知世)から連絡があり、辞令交付式に出席するように言われます。
香西はとなり町戦争推進室に所属し、訳がわからないまま辞令を受けた北原に、通勤途中で見聞きしたことを逐一秘密裏に報告する仕事だと説明します。しかし、町の様子に変わったところは無く、人々は普段通りに生活しているように見えるのでした。しかし、町の広報には着実に戦死者の人数が記載されているのです。
開戦して何日かして、呼び出された北原は、香西から積極的に森見町の偵察任務にあたるように言われます。そして、そのために香西と偽装結婚して森見町のアパートで同居することになります。敵地に潜入することは協定違反にあたり、見つかった場合は舞浜町としては知らないで押し通すらしい。
香西の弟の香西智希(瑛太)は戦争には反対の立場ですが、町を愛する気持ちには変わりなく、最前線で活動するため志願兵となるのです。北原の会社の同僚も、先頭に巻き込まれ亡くなります。上司の田尻(岩松了)はかつて外国で傭兵として働いていた経験から、森見町に志願して会社に来なくなります。
北原は一途に業務を行う香西に次第に惹かれていくのですが、実際の戦闘を目にするわけでもなく、そもそもこの戦争の目的もわからないままの日々を過ごすのでした。しかし、ある日のこと、香西から電話があり、潜入していた証拠になる書類を持って、アパートからすぐに脱出するように言われます。
用水路にたどり着くと、暗闇の中に自分を捜索している様子の人物がいることに気がつき、別の下水道をを舞浜町に向かいますが、途中で香西智希に助けられ、なんとか町の境界線を越えることができました。智希は、まだ無断で越境した一般人を保護する任務があると言って、再び下水道の方へ戻っていきました。
北原は舞浜町に向かおうとしたとき、背後で銃声を聞きます。そして、再び境界線を一歩超えた時、いきなり田尻に襲われるのです。
この映画がつまらないと思う人は、基本的に「なんで戦争なんだ」という根源的な説明が無いことに不満があるのかもしれません。そのために、戦争だからと町のために献身的に働く香西の心情が理解できないのです。ですから登場人物に感情移入できないという、映画を見る上で重要なポイントが欠けているということ。
しかし、これは映画を見ている者を北原と同じ状況に置くための巧妙な仕掛けであり、戦争になると一般人も理由も知らされないまま歯車の一つに組み込まれ、親しい人も失い、自分の様々な感情も狂っていくということ。戦闘そのもの描くのではなく、その裏で人々が物理的・精神的に多大な影響を被る様を凝縮して見せているのだと思います。
ただし、後半、北原と香西の恋愛要素が強まるところは、戦争であっても失いたくない物があるということに繋げたいのかもしれませんが、やや本命のテーマから逸脱してしまった感が残念なところ。原作未読ですが、映画的に膨らませたところのようです。
全体としては、多少のモヤモヤが残りますが、原田知世の透明感に支えられて比較的良い出来の映画と感じました。
2025年3月2日日曜日
セブンのおにぎり 63
何気なく始まったセブン・イレブンのおにぎり紹介ですが・・・
もしかしたら、これが最終回になってしまうかもしれない。何と、クリニック開業以来、利用し続けていたセブン・イレブンが3月5日に閉店してしまうのです。
この店は、センター南とセンター北の中間で、港北ニュータウンのメインとなる区役所通りに面していて、立地条件が良く繁盛していました。何でも、土地の貸主が更新を拒んだためらしい。
通常の通勤途中には他のセブン・イレブンが無いため、今後は朝に立ち寄れるのはファミマだけになったら・・・たぶん飽きてしまうかもしれない。あ~、困るよねぇ。
というわけで、今回の新発売は「チャーシューわさび」と「コンビーフマヨネーズ」の2つです。
どちらも既視感があって、新鮮味はあまりありません。食べてみても想像通りの味なので、好きな人ははずれることは無いと思います。
以前だったら150円くらいのものだったと思いますが、米価格の高騰は当然影響しているわけで、おにぎりは軒並みじわじわと値上げされ、これらも180円クラスになってしまいました。
まぁ、しょうがないと言ってしまえばそれまでですが、手取りが増えるより物価が下がる方が、一般人には生活しやすい印象があります。もっともそれでは国の勢いが劣る一方なので、おにぎり1個200円で当たり前と思えるようならいいんでしょうけどね。
2025年3月1日土曜日
大林宜彦、全自作を語る
大林宜彦。昭和13年、広島県尾道にて代々医家を営む家庭に生まれ、こどもの時からたくさんの映画を見て、自らも映写機や8mmカメラなどにおもちゃ代わりに親しみます。
大人になって上京すると、自主制作で映画を作り始め、CM製作の仕事に就きます。いろいろフィルム素材からいじることが好きだった大林は、1977年に「HOUSE」で商業映画監督としてデヴューし、実写やアニメをいろいろと合成し、まったく新しいワンダーランドに多くの人が驚かされました。
特に尾道三部作、新尾道三部作などで故郷の尾道を舞台にした映像作品の数々は、撮影場所の「聖地巡礼」という現象を引き起こし、撮影地の観光資源の一つとして重要な役割を果たすようになったことは特筆すべき功績です。
この本は、大林監督が自ら語り下ろした内容をまとめたもの。2020年に亡くなったため、遺作となった「海辺の映画館」だけは、妻で全作品のプロデュースに関わった大林恭子氏が解説しています。
映画評論の本はいろいろありますが、第三者が書いたものは評論家の主観であって、必ずしも作り手の意図を正確にとらえていない場合はかなりあります。そういう意味で、監督が自ら語る製作の裏話や俳優たちとのやり取りなどの話は、映画を理解する上でこれ以上は無い優れた資料となります。
大林監督がこのような本を残してくれたのは、自分の死期を悟ったところもあるかもしれませんが、やはり作るだけでなく見る側としても大の映画ファンだったのだろうと想像します。
この本の画期的なところは、約760ページがかなり小さなフォントで埋まっていて、中身の濃厚さは他に類を見ない・・・にも関わらず、何と定価が3200円という、驚くべき低価格であるというところ。とにかく手に取ってほしい、是非読んでもらいたいという、発行した立冬舎の心意気を感じます。
全作品を見るつもりは無いという方でも、一つでも大林作品が好きならば手に取る価値は十二分にあると思います。
大人になって上京すると、自主制作で映画を作り始め、CM製作の仕事に就きます。いろいろフィルム素材からいじることが好きだった大林は、1977年に「HOUSE」で商業映画監督としてデヴューし、実写やアニメをいろいろと合成し、まったく新しいワンダーランドに多くの人が驚かされました。
特に尾道三部作、新尾道三部作などで故郷の尾道を舞台にした映像作品の数々は、撮影場所の「聖地巡礼」という現象を引き起こし、撮影地の観光資源の一つとして重要な役割を果たすようになったことは特筆すべき功績です。
この本は、大林監督が自ら語り下ろした内容をまとめたもの。2020年に亡くなったため、遺作となった「海辺の映画館」だけは、妻で全作品のプロデュースに関わった大林恭子氏が解説しています。
映画評論の本はいろいろありますが、第三者が書いたものは評論家の主観であって、必ずしも作り手の意図を正確にとらえていない場合はかなりあります。そういう意味で、監督が自ら語る製作の裏話や俳優たちとのやり取りなどの話は、映画を理解する上でこれ以上は無い優れた資料となります。
大林監督がこのような本を残してくれたのは、自分の死期を悟ったところもあるかもしれませんが、やはり作るだけでなく見る側としても大の映画ファンだったのだろうと想像します。
この本の画期的なところは、約760ページがかなり小さなフォントで埋まっていて、中身の濃厚さは他に類を見ない・・・にも関わらず、何と定価が3200円という、驚くべき低価格であるというところ。とにかく手に取ってほしい、是非読んでもらいたいという、発行した立冬舎の心意気を感じます。
全作品を見るつもりは無いという方でも、一つでも大林作品が好きならば手に取る価値は十二分にあると思います。
登録:
投稿 (Atom)