2008年12月7日日曜日

なんとなく現代史

まぁ、自分はただの医者ですから、政治学者でもないし、経済学者でもありません。むかぁ~し、ちょっと勉強しただけなんですけどね、もしかしたら違うかもしれませんから、その時は是非教えてもらいたいと思っているんですけどね。

って、何が言いたいかというと、資本主義っていうのは、簡単に言っちゃえば、お金をかければ裕福になり、がんばっている人はお金を稼げる。逆に、がんばれない人はお金が無いよってもんですよね。当然、格差社会というのは必然でありなわけです。しかし、格差は特権を生んでいきます。

一方、共産主義というのは、みんなで均等にがんばって、均等な利益を共有しようというわけですが、全体を統括する官僚に力が集中し、やはり見えないところで特権が生じてしまうわけでしょう。

20世紀になってアメリカとロシアが中心になって、世界を真っ二つに割って勢力争いをしたわけですが、その結果、まず共産主義で問題が表面化しました。

働いても働く無くても一緒という考えが増えて、生産性が低下して官僚主義が増大。ついにはソビエト連邦の崩壊となってしまったわけです。

すると、敵対勢力を失ったアメリカ資本主義は、ある意味、抑止力を失いglobalizationという表現の元で、世界を一極支配する形で20世紀末を迎えました。

そして、それまでの資本主義・共産主義社会から「植民地化」されていた経済的に弱者であった宗教的に異なるイスラム世界が、一斉に独立運動を開始します。その矛先がアメリカに向いたのが911同時テロ事件であり、その後もエスカレートする一方です。

アメリカ資本主義は、本来得られた利益をさらに生産性を増やすために使うべきであったのに、むしろネットワークが発達し実際のお金の行き来のない「株」のやり取りの増強に向かったわけです。

株価を上げることが企業の目的に変わってしまい、配当がすべて。株価が経済の善し悪しの最大の指標になってしまい、ますます実体経済とかけ離れて、一般庶民の感覚とのズレは広がる一方です。

アメリカでは企業の象徴たる自動車産業のBIG3が、ついに倒壊すれすれでいろいろなパフォーマンスでお助けを切望している。でも、本来目的であった車作りに金を使わず、魅力を失ったアメ車では、今更未来は変えられそうにありません。

戦後アメリカ資本主義のもとに国作りをした日本でも格差社会(特権社会)への様々な批判が噴出し、1億2千万総平均化(疑似共産主義化?)を目指すかのような雰囲気です。

20世紀末に共産主義が崩壊した時点で、実は資本主義も崩壊していたのではないかとも思ってしまいます。現在の世界の混乱は、まったく新しいイデオロギーの登場までの混沌の形態なのかもしれません。

なんてことを、日曜日の朝から考えてしまうというのも、どんなもんなんでしょうかね。