2008年12月23日火曜日

評論家利用法 ~ クラシックの場合

世の中には評論家と呼ばれる仕事があります。言ってみれば、他人のしたことに、あーだ、こーだと言ってお金がもらえるんだから、けっこういい商売・・・ではなく、大変だと思うんですよね。

厳密に評論するためには、単に良否だけでなく、その理由も客観的に述べるだけの知識が必要なわけで、そのためには相当な勉強が必要ですからね。

そういうところで、最近のテレビのワイドショーに必ずといっていいほど、座っているのがコメンテーター。こっちは、どちらかというと、好き勝手に自分の意見を言っているだけで、その言葉に対しての責任なんて感じていないんではないでしょうか。

でもって、クラシック音楽の話になるんですが、当然歴史のある文化ですから、評論家諸氏がわんさかいるわけです。格式ってなものも、けっこう重んじられている世界のようですから、いろいろ大変そうです。

自分の場合は、あくまでもミュージシャンではありませんから、聴くだけの立場からいろいろな評論を参考にしたりします。いろいろ見ていると、だいたいY氏とU氏という評論の重鎮がいらっしゃる。この方々が、これだって云うと、全体の流れが決まってしまうという力をお持ちのようです。

反対に、自分がいつも通販で利用しているHMVのユーザーレヴューというのが、素人評論家というかどちらかというとコメンテーター的な意見がいろいろ載っていて大変参考になる。

HMVのユーザーレヴューの多い物は、取りあえず選択する価値がたいていありそうです。たいてい多い物は好き嫌いの両方の意見が載っていて、読んでいても面白い。でも、どっちの意見も一つも載っていない物は、購入するにはちょっと心配ですよね。

そこで、しばしば目にするのがY氏やU氏に対する批判的な論調です。でも、結局音楽の好みは感性の問題ですから、意見が分かれて当たり前。

自分の気に入った音楽を批判されれば面白くないし、推薦された物を購入したらまったくつまらないということだってあります。ですから、あくまでも参考にするだけで、後は自分の基準で選んでいきたいと思うわけです。

では、自分の基準は何かというと、自分にとって聴いていて楽しい(心休まる、わくわくするなど)もの、多くの人が購入しているもの、できる限り安い物、自分のお気に入りの演奏家のものといったところでしょうか。

例えばグレン・グールドという有名なピアニストの場合、Y氏は大変惚れ込んでいるようですが、U氏は極端に嫌っていて無視に近い。この辺は音楽を聴くことに対する柔軟性の問題のようにも思えますが、むしろU氏の無視というのも意見がはっきりしていて面白い。

ところが自分にとっては、グールドの演奏は大変痛快で聴いていてとても楽しいわけです。これは、音楽がグールドのものになっているからだと思うんですよね。

クラシックというのは楽譜通りに弾くことを至上主義にしたら、コンピュータの打ち込みで十分なわけで、アーティストの個性をどれだけ出しているかが勝負だし、そうでないと文化としては化石と化してしまいます。その個性が聴く側の感性とどれだけマッチするかが大事なんでしょう。