震災後、国内で最も日本中の注目を集めているニュースは・・・焼き肉チェーン店での集団食中毒でしょうか。連休中のニュースというと、こればかりでした。
はじめは逆ギレとも取れるような態度で記者会見をしていたチェーン店社長でしたが、日に日に憔悴しているのが誰の目にも明かです。最も責任がある立場であることを考えると同情するわけにはいきませんが、だんだん記者たちの矛先も鈍っているような印象があります。
食の安全ということが、あらためて叫ばれるようになってきましたが、そのまま医療の安全という言葉に置き換えることもできるわけで、あらためて危機管理ということを考えないわけにはいきません。
危機管理というのは、現代社会では大変重要と言われていますが、その本質をちょっと間違えると、「言い逃れ」とか「責任転嫁」ということにもなりかねません。
突然の首相の浜岡原子力発電所停止要請も、もし立て続けに東海地震が発生し浜岡原発が事故を起こしたら日本は経済的に破綻することになるという危機感からだと思います。実際、浜岡原発の安全についても確約される物はおそらく何もありません。
しかし、実際そうなったときに「だからあの時停止しておけ」と言ったでしょうみたいな、自己保身的な伏線と考えることもできなくはない。
現政府が、現在進行形の日本の危機に対して全責任を負うのは当然ですが、前与党も批判ばかりしていないで、今の原子力推進路線を作ってきた張本人としての行動をしていただきたいものです。
一方、世界に目を向けてみると、最も衝撃的だったのはアメリカによるビン・ラディン殺害のニュース。オバマ大統領ははっきりと「殺害した」と述べていますから、これは国家による「犯罪」と言えなくもない。
実際、当事国のパキスタンには許可どころか事前通告もせずに、いきなり複数のヘリコプターで強襲しているわけですから、戦争の中で人が死ぬということとは一線を画すものであって、それは「殺人」です。
殺人をアメリカの正義とするなら、こんな恐ろしいことはありません。確かに、生きて身柄を確保したとしても、どうやってアメリカに連れ帰るかとか、裁判をどうするかとか、困難な問題が山積みになるだけでしょうから、殺害は現実的な決定なのかもしれません。
ここにも、超法規的な危機管理の考え方が見て取れます。いずれにしても、これで2001年の呪縛から解放されるわけではなく、あらたな危機の連鎖を始めてしまったのではないでしょうか。
とにかく、身の回りの小さいところから、地球規模での大きなところまで、ありとあらゆる危機がいたるところに存在するのが現代社会だということを、今更のように再確認するわけです。