2022年9月7日水曜日

俳句の勉強 33 花鳥諷詠


「花鳥風月」という言葉がありますが、英語でいうと「 beauties of nature」ということになって、直接的でだいぶ味気ない感じになってしまう。一般には、美しい自然の風景や、それを重んじる風流を意味します。

古くからある言葉ですが、現代でもなおスピッツやレミオロメンなどが歌のタイトルに使ったりする、強いロマンチシズムを内包した魅力的な言葉です。

「花鳥諷詠」は、高濱虚子による造語で、俳句に対する根本理念として使われる言葉。「花鳥」は花鳥風月を省略したもので、「諷詠」は歌句を作ったり、吟じることの意味。

虚子自身の説明によると、「花鳥風月を諷詠すること。四季の移り変わりによる自然界の現象、およびそれに伴う人事の動きを俳句にする」ということになります。そして、特に新しい概念ではなく、これまでに作られた俳句が行ってきたことを、あらためて言葉にしただけと説明しています。

しかし、客観写生が広く受け入れられたのと違い、花鳥諷詠は「花鳥風月」を土台にした言葉であったため、人間の営みが含まれないとの誤解を招きやすく、批判的な意見も散見され、特にもともと虚子を師としていた水原秋櫻子は「人も含めるのであれば万象諷詠」とすべきと述べています。

確かに花鳥は花鳥風月の省略とした時点で、自然の美に特化する言葉であり、自然界と人事は切り離されていると考えるのが普通だと思いますので、適切な表現とは言い難い(怒られると思いますけど)。極論が許されるならば、虚子の主張は「花鳥風月を表す季語が最も大事で、それさえあればあとは自然でも人事でもかまわない」ということなんでしょうか。

80歳になった虚子自身が花鳥諷詠を読み込んだ句を紹介します。

明易や花鳥諷詠南無阿弥陀 高濱虚子

「明易い」は夏の夜が短く夜が早くに明けるという意味の季語で、ここでは「あけやすや」と読みます。虚子は、ここでは人生が短いという意味を込めているようです。花鳥諷詠、つまり俳句を詠むことは念仏を唱えるみたいな信仰みたいなものだということ。

虚子は亡くなるまで「花鳥諷詠」を使い続け、「ホトトギス」およびその系列の俳句結社では、客観写生と共に最重要理念とされています。もっとも、ホトトギスと直接関係が無くても、特に意識せずに「俳句とはそういうもんだ」と認めているんだと思います。