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2022年9月6日火曜日

俳句の勉強 32 客観写生

客観写生とは、高濱虚子が俳句を作る時の基本として提唱したことばです。

もともとは、画家の中村不折と交流した正岡子規が、見たままを精密に描く絵画の「写生」技法を俳句に取り入れたことから始まります。子規は、「理想を詠みあげると誰でも考えつくところだいたい同じで類想になるが、写生なら自然界の様々な変化をとらえることでき深みが増す(病床六尺)」と述べています。

子規の薫陶を受けた虚子は、俳句における写生を守り、「客観写生」という考え方に昇華し生涯説き続けました。

主観を直接述べては押し付けられる感じがし味わいと余韻が無い。その感情を客観的に述べて、その後ろに主観をにじませることが句の深みを増すことにつながる、ということ。客観の中に新しい物を発見することが写生であり、新しい発見の感動そのものを文字にするのではなく、感動を起こしたものを具象化・単純化することが大事と説明しています。

従って、初心者は、できるだけ見たままを詠むことが大事で、慣れてくると客観の中に主観がしっかりと溶け込んでくることになり、実際に多くの俳人が育ったことは紛れもない事実です。その一方で、客観視することばかりに力が注がれ、平板な句から抜け出せないということもあるので注意が必要です。

現代においても、ホトトギス系(虚子系列)の俳人でなくても、客観写生は広く受け入れられており、有季定型の作句をする時の基本として守るべきルールとなっています。つまり、主として主観的な感情表現は17文字の中に含めないということ。


例えば、目の前のチューリップを観察しているとします。

眼前のチューリップ美しき

まさに写生ですが、チューリップを見ての句ならば、眼前にあることも当然なので無駄な文字ですし、美しいという主観表現はチューリップがあれば誰でも思うことなので必要がありません。

このチューリップが咲いたばかりなのであれば、「固き花びら」のような表現を入れたいし、その場合は「一直線に突き進む若さ」のような感情も呼び起こします。散りかけならば「花びら落ちる」という言い方もあり、年を重ねた悲哀がにじむかもしれません。

「美しき」と自分の感情をそのまま文字にするのではなく、何が美しく感じたのかを詠むことが重要。真っ赤な色かもしれませんし、青空との対比でかんじたことかもしれません。またミツバチが寄ってきたことが注意を引いたことだってあるかもしれない。


チューリップ固き花びら蜂が舞い

「固き」にまだまだ主観がまざっていますので、さらに推敲します。固いと思うのは、花びらが立っていて艶があるということ。また、蜂が実際に踊るわけではなく、擬人化で舞っているように見えたということ。

チューリップ蜂が寄りたる艶花唇

「花びら」の類語には「花弁」や「花唇」があります。ここまで来ると、だいぶ俳句らしくなったように思います。ただし、「チューリップ」と「蜂」がどちらも春の季語なので、季重なりの問題が残っている。

チューリップ蜜で誘いし艶花唇

蜜で誘うと言えば、蜂のことだとわかりそうです。もしかしたら自分もどこかで誘われているかもしれません。これがどれほどのものかはわかりませんが、少なくとも客観写生を実践する例題としてはまぁまぁかなと思います。